引越し、しました


2


 次の日、朝から盛大に動き出した南郷にアカギは未だ寝惚け眼のまま、言われるがままに荷物を運び出しトラックへと積む作業をさせられる。ミニトラックの荷台は決して広くは無かったが、少ない荷物は充分に乗せる事が出来た。布団も丸めて、テーブルは梱包せずに、ようやく全てを積み終えれば、最後に部屋を軽く掃除して、搬出は完了である。
 南郷は大家に再度挨拶をしに向かおうと、菓子折りを片手に部屋を出ようとするが、はっと思い出したようにアカギに振り返る。

「アカギ」
「ん」
「鍵、ここの鍵」
「ん?」
「返さないとならんから、ほら」

 南郷はアカギに手を差し出すが、アカギは無言のままにその手を見詰めた後、飄々と言ってのけたのだ。「失くした」と。

「はぁ?」
「だから、失くした」
「おまっ、先週は持ってるって言ってただろ」
「その後で失くした」
「お前なぁ」
「ここの鍵なんてあってないようなもんでしょ」
「は?」
「俺ならピン一つで開けられる」
「・・・」
「ほら、行ってくれば」
「ったく」

 南郷は諦めたのか足早に部屋を出て行った。
 アカギはゆっくりと窓辺に腰を降ろして窓の外を見詰める。座ったときに、ポケットでは二つの鍵がぶつかってチャリンと小さな金属音を立てた。アカギの小さな嘘に南郷は気付いているか否か、それはアカギにも分からない。
 少しして南郷が戻ってくればアカギは外に出ようと立ち上がったが、南郷が「ちょっと待て」とそれを止め、窓から外に出て隅っこにしゃがみ何やら置いている。アカギはその丸まった背に歩み寄り、上から不思議そうに手元を覗き込んだ。
 どうやら干物を、少し多めに、置き去りにしていくつもりのようであった。

「怒られんじゃない、それ」
「気付かないさ」
「そう」

 野良猫達は南郷が居なくなったことを知ればまた違う餌場を探すだろう。それでも、南郷はこうして餌を少しでも残していきたくなってしまう。これがこの男の根っからの性格なのだ。

「よし、と」

 頷いて立ち上がった南郷は、窓から部屋に戻り、玄関へ向かう。アカギもそれに倣った。そして扉を出て行く前に振り返り、部屋を一度見回す。やはりアカギもそれに倣った。
 そして南郷は小さく「ありがとう」と呟いて、扉を出て行く。アカギはそこは倣わず、そう呟く南郷の横顔をジッと見詰めていた。
 ようやく車に乗って出発すれば、アカギは助手席から、遠く離れていくアパートを見送る。

「あそこ、いつまであるかな」
「んー、もうかなり古いからな」
「南郷さん、運転、大丈夫」
「おぅ、任せろ」

 かなり遅めのしっかり安全運転な速度で走るトラックから見える景色はとてもゆっくりと流れていく。運転席に妙にちょっかいをかけては命が危ないと本能的に悟ったアカギは、黙って窓からの景色を見詰めていた。ようやく今日の天気の良さに気付く。
 暫くすれば遠くに例の土手が見えてきて、直線距離にすればそう遠く離れてはいない事にも気付く。

「もうすぐだぞー」
「腹が減ったよ」
「そうだな、もう昼も過ぎてる」

 ようやく新居という名の古民家の前に着けば、南郷はどこかウキウキした面持ちで扉へと向かった。初めて自分で扉を開けるという瞬間に、大人気なく心躍っているようであった。だが鍵を開けても扉は上手いこと開いてくれず、ガタガタと空しく音を響かせるばかり。首を傾げる南郷だが、ふと、貸し主の老人が一度強く引いてから開けていた事を思い出し、それを真似てみる。ガタンとまるでつっかえが取れたかのような物音の後、扉はガラガラと見事に開いてくれた。
 なるほど少しコツが要るようだ、と理解した南郷は、さして不満も無くそれを手に覚えたようであった。

「よし、荷物入れるぞ」
「飯は」
「荷物入れてからな。その後に俺は車を返してこなきゃならんから」
「その間に何か買ってくりゃいんだろ」
「よーし、良い子だ」
「・・・」

 強かになったなこの人、とアカギはジト目で南郷を見据えた。
 それから二人、せっせと荷物を運び入れ(せっせと運んだのは南郷だけで、アカギは適当に、けれど出来るだけ大きいものは手伝った)、少ない荷物はすぐに搬入を終えることが出来た。
 そして南郷が再び車に乗って行ってしまうと、アカギは散歩がてらに近くを歩く。駅前の商店街まで戻りはせず、家の周りを散策する事に決めたようだった。商店街程とは言わずともそれなりに小さな店はあり、食べ物ならば困る事はなさそうだと知る。
 何にしようかと物色していれば、不意に蕎麦屋の前を通り過ぎて足を止めた。少し考えてから歩みを戻して暖簾を潜ると、景気の良さそうな声が店内に響く。配達をしているか聞けば、もちろん、と元気に答えが返ってきたので、二人前を注文した。住所が分からなかったので道筋を伝えれば、近所なだけあってどの家の事かすぐに分かってくれたようで、嬉しそうに「引越し蕎麦だね」と頷く店主にアカギは眉を上げた。どうやら前の住人とも懇意だったようで、空き家なのを知っていたようだった。
 無表情で愛想のないアカギに対しても、どうぞこれから贔屓によろしく、と笑顔で手を振る店主。これは南郷とならば気が合い過ぎそうだ、とアカギは肩を竦めながら店を後にした。それから土手に向かい、ゆっくりとした足取りで心地良い太陽の光を浴びながら歩いた。天気が良いので時期の割には暖かいが、風が吹けばやはり少し肌寒い。穏やかに照る太陽を眩しそうに見上げ、何故か南郷の事を思い出した。
 真夏の太陽を見てもそんな事は思わない。そう、まるで秋の太陽のような男だ、とそこまで思ってアカギは小さく笑う。まるで太陽の似合わない自分が、まさかそれを見上げて何かを思うなんて、と。
 家に戻ればまだ南郷の姿は無く、アカギは縁側で煙草を吸う。腹が鳴って、思わず眉を寄せた。だがそれからさほど間を空けず南郷が帰ってきたので、それ以上に機嫌が悪くなる事は無かった。
 小一時間程は家を空けていた南郷も存分に腹が減っていて、途中で何かしら買ったのか腕には小さな袋が抱えられていた。

「ただいま」
「おかえり」

 慣れた言葉が、新しい家ではどこか照れ臭い。
 はにかむ南郷のその表情に、アカギは、かなわねぇな、と心の隅で思うのだった。

「何それ」
「あぁ、駅前の商店街通ってきたからさ、物色がてらちょっとな」
「そう」
「お前は」
「蕎麦頼んだ」
「お、気が利くな。引越し蕎麦だ」
「まぁね」
「近くか?」
「あぁ、たまたま見付けたから、配達頼んだ」
「そうか、ありがとな」
「うん」

 噂をすれば何とやら、ちょうど蕎麦屋が訪れて、二人前の蕎麦を置いていく。持ってきたのが店主だったせいもあり、南郷と挨拶がてら大分と盛り上がっていたようだった。やっぱりね、とアカギは一人頷いていた。
 まだ部屋の中は荷物が散らばっていたので、縁側に二人並んで蕎麦を食べ始める。南郷が買ってきたのは漬物とビール。まだ片付けがあるので互いに一缶だけ、蕎麦のお供に嗜んだ。

「美味いな、この蕎麦」
「うん」
「けっこう近くに店あるもんだな」
「みたいだね」
「今度は店で食おうな、これ」
「あぁ」

 食べ終えれば流しにざると器を置いて、ようやく片付けを開始する。
 改めて家の中を見て回ると、家具がいくつか残されているようだった。内見に来たときも気付いてはいたが、そこまで把握しないままに居たので、いざ見てみればけっこう使えるものばかり。得した気分である。
 洋室には大きめの本棚と机が、寝室にはベッドの骨組みとハンガーラック、居間には電話台が残っていた。アカギはベッドを見て眉を上げると、ふむ、と頷く。悪くない、と思った。ベッドの方が夜のあれやこれやで南郷の背を痛めずに済むと考えたようだ。
 その後ろからヒョイッと顔を覗かせた南郷が眉尻を下げる。

「ベッドかぁ」
「いいじゃない」
「俺あんま使った事ないからなぁ」
「こっちのが体にいいよ」
「出張でホテル泊まったときぐらいだぞ。慣れねぇよ」
「マット買わなきゃね」

 どうやらアカギの一念でベッドは採用決定のようである。
 洋室の方は大分小さな部屋で、客室と言うには質素であった。現にそこには机が置かれているし、どうやら仕事部屋だったようである。

「ここはどうするの南郷さん」
「あれだ、ほら、書斎」
「・・・」
「俺だって書斎ぐらいあったら使うさ」
「へぇ」
「信じてないな」
「そんなことないよ」

 結局片付けが終わる頃にはその部屋は書斎という名の物置になる事を、南郷はまだ知らない。
 居間は大分広いので、持って来たテレビとテーブルと小さな棚を置いただけでは若干物寂しい。だがこれからいくらでも物は増えていくことを思えば、今はこれくらいでいいのかもしれない、と南郷は思い直す。部屋の隅に置かれていた電話台を見れば、考え込むような顔で歩み寄った。

「何、南郷さん」
「あぁ、いや、そのうち電話、入れようかと思って」
「どうしたの」
「どうしたって程じゃないだろ。アパートじゃないから借りに行くのも手間が掛かるし、最近は加入権も手が出るようになったし、入れといた方がいいかなと思って」
「ふぅん」
「まぁそうは言っても今は空き待ちで1年2年かかるらしいから、まだ先の話だけどな」
「そうなんだ」
「でもウチに電話あれば、お前も、その、気兼ねなく連絡、出来るだろうし」
「・・・うん」

 新生活の名に恥じないむず痒さを醸し出す大の男二人。
 兎にも角にも荷物を解いて仕舞い込んでいった。家具はすぐに配置が終わり、次に衣服や食器類、それから早速、書斎とやらの本棚に本を並べていく。と言っても南郷の手持ちの本など数えるほどで、それもすぐに終わってしまった。ちなみに書斎という名の物置もここで完成である。
 そんなこんなで持ち込んだものを片付け終えれば、今度は掃除。ここに来てアカギは領分から外れてしまい、猫の手にもならない彼はノータッチとなった。庭でぼんやりと一服する事に決める。さして広いわけでもなく、そこまで荒れていたわけでもない家内は、南郷一人の手でもすぐに掃除し終える事が出来た。
 最後に水場の掃除を終えた南郷が、嬉しそうに庭に顔を出す。

「アカギ」
「終わった?」
「あぁ。風呂、思ったより綺麗で広いぞ」
「そう」
「これから毎日でも入れるんだなー」

 銭湯も嫌いなわけではないが、手間を思えば内風呂はやはり有り難い。南郷は浮かれているようだったが、そこに小さく響く悪魔の一声。

「これで毎日でも平気だね」
「・・・何が?」
「ナニが」
「この馬鹿!」
「はいはい」

 風呂があれば良いというわけではないだろう、と続けようとした罵声を、だが無駄な押し問答になるだろうと南郷は飲み込んだ。


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我が家のアカギ君は性欲だけは年相応で困った。続きます。でも18禁には至りません。すいません(何故)

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