さぁ、はじめようか。』のつづき











――かわいいアリス。僕だけのアリス。可哀相な君を見るだけで僕の心は癒される。――







薬を仕込んだのはもう何度目になるだろうか。少なくとも両手では数えきれない。アリスにとって女王は癒しだ。このセカイの住人は全くもって会話が成り立たないために、賢いアリスには理解者というものがどうやら絶対的なものとなるようだ。それはジョーカーが切り札として存在するようなものであり、ジョーカーに対してだけ強さを発揮するスペードの3のような存在でもある。互いが互いを引き立てるために切り離せない物。必要不可欠。つまりはそういうものなのだろう。
真っ赤でウサギの毛のようにふわふわした絨毯の上に横たわる黒の物体を眺めながら、ほうっと一息つく。美しいものに抱かれた可愛らしいものに視線を釘付けにしながら出来るだけ近づく。本当はその絹のような肌に手を滑らせたいが、しかし自分の役割を考えるとそれも出来ない。王は何者にも触れることは許されない。それが僕のルールだ。
それでも、最愛の女王に懐くアリスがもっともっと傍にいてくれるようにと始めた行為は、確かに現在進行形で僕の心の癒しとなっている。役柄アリスに触れることが出来ない僕にとってそれは一時とはいえ褒美となる。このセカイにはアリスに触れることを許されたものたちばかりだから羨ましいと思ってしまうのも至極当然のことなのだ。
手に入らないものほど欲しくなってしまう。それが人の性だろう?



『アリスは帰りたいと望み過ぎだな』


「これも必然さ。アリスはここでは異物だ。馴染めないままではここに存在できない」


『それをどうにかしてやりたいと願ってしまう反面、手放したくないと思うのだからまた困ったものだ』


「それは君だけじゃないさ。むしろ僕はアリスにずっとここに居てもらいたいと思っているよ。赤の騎士と同じくね」


『…………』


「騎士は嫌いかい?」



クスクスクス。笑いながら分かりきった質問をすれば彼女はない首を精いっぱいに僕から逸らした。彼女の騎士嫌いは何も今に始まったものではない。女王はこの国にとっては絶対不可欠なものだ。彼女がこのセカイに存在することで不思議の国は成り立っている。
そんな彼女を殺せる唯一無二の存在が赤の騎士。彼の剣だけが首がなくとも生き続ける彼女の命を止めることが出来るのだ。なんていう皮肉だろう。従者に殺され天命を全うするだなんてどの国も、どの御時世でも変りがないものらしい。なんだかそれが可笑しくてけらけらと声を立てて笑えば、女王の影がゆっくりと僕の首の回りをなじった。



「僕の首も跳ねるのかい?」


『お前の首を撥ねるのは、天命を全うしてもらってからに決まっているだろう?』


「僕はこんなにも君を愛しているのに」


『役柄になぞった言葉はいらないさ。お前が愛しているのは死んでもアリスだけだ』


「辛辣だなぁ」


『が、しかし。お前にもアリスは譲らないよ』



ぶわりと女王から湧いた影は鋭い棘となって僕の喉元に突きつけられる。それがやっぱりなんだかおかしくて笑いが込み上げる。
この国で唯一女王だけがアリスの本当の幸せを願っている。こうやって時折懐に入れて匿ってやるのも、夢の世界へひっぱりこんでやるのも、全部が全部アリスのため。アリスがアリスではなく彼が彼として存在出来る一時があるように女王は逃げ道を用意してあげるのだ。影は、本体なくしては存在出来ないのだから当然といえば当然のことなのだけど、それでもまるで可笑しな喜劇を見ているようで笑いが込み上げる。
衝動に任せて大きな声を上げ笑えば、女王の首がある辺りからぶわりと漆黒の霧が舞った。



「アリスがいるからこそ不思議の国という役割が、そして僕たちの存在が成り立つのにね。君はそれすらも彼のために放り出そうとする。可笑しいよその神経が」


『お前たちみたいな気狂いと一緒にするな』


「それは君のことだろう?多数派が絶対。それが世の摂理であれば僕たちが正常さ。となれば君の方が気狂いだ。満場一致でね」


『しかしこの国は私とアリスが絶対だ』


「不思議の国の理論ではなく人の心理の話さ」



まったく持って可笑しくて笑いが止まらない。大好きでたまらない女王の戯れ言がアリスという名を喚ぶたびに僕の身体が歓喜する。
どうしてアリスはアリスなんだろう。
どうして彼がアリスなんだろう。
それは不思議の国の住人みんなが思っていること。彼が彼女であればまったく以てうまくいったことも、彼が彼であるために全てがうまくいかない。総じて女と男は違うのだ。改めてそう思う。女であれば無理にでもねじ伏せて子を宿らせ自分のものに出来るのに、男じゃなにも所有印が生まれない。首輪をつけたって、鎖で繋いだって、それじゃただの白ウサギの処罰の対象であるわけで全くもって意味もない。
どうしたらアリスが自分のものになるのか。考えて考えて突き詰めると、つまりは愛だとか恋だのか、心が伴うそんな何かが必要となってくる。それは不思議の国の住人にとって難しいことを要求されるということになるわけで果たしてそんなことは可能なのだろうか。無理難題はこの国の住人の十八番だというのにまさかあちらの人間に無理難題を吹っかけられるだなんて誰が想像しただろうか。逆さまにまっさかさまだ。どうしようもない。



『……。まぁいいさ。お前たちじゃこの子は幸せになれないし納得しない。どんなに足りないピースを望もうが』


「やってみなければ分からないだろう?」


『結果は見えてる。偽りは所詮偽りさ』



――アリスは少女だ。
しかしこのアリスは違う――

そう言って肩を揺らして笑う女王は果たしていつになれば役割を終えるのだろうか。固まったように動かなくなった口元に我ながら如何にアリスに執着しているか思い知らされる。
女王のいう通り今いるアリスはアリスではない。本当のアリスはまだ大人にも子どもにも当たらない少女だ。本来の彼女なら要らない理由を今のアリスは必要とする。理由をつけることは簡単だが、その理由を納得してもらえるかと言えば話は変わる。このアリスは賢い。人間の善いところも悪いところもすべて知っている。だからこそ手強い。無知ならばたとえ偽りであろうとも知識を埋め込んでやればよかった。さも当然のように手解きを施しながらこの国のことを、愛を、独占欲を全て注ぎこめばよかった。それなのに、このアリスは。アリスは。



『私はね、赤の王。アリスはこの国を壊してくれると信じてる。世界はもう終焉に向かってる』


「君はこの国の女王だろう?そんなことを黙って見過ごすなんて許されない。早く一思いに命令すればいいんだ。千言万語の中からただ一つ、首を撥ねよ。アリスの首を撥ねよっ、てね。」


『善因善果という言葉を知ってるだろう?私は私なりに抗うんだよ』


「決まりきった運命なのに?」


『脇役は黙って見ていればいいのさ』



声なんて聞こえないはずなのにクツクツと笑う女王は至極楽しそうに見える。屈辱に歪む僕の顔がそんなにも面白いのだろうか。悪趣味極まりない。
仕返しとばかりに手に持った国のトップである証の杖を血のような赤い絨毯の上で大きく一突きする。鈍くも高らかになったその音と共に赤の騎士はどこからか姿を現した。血のような赤とそれを引き立てる黒と金の装飾を施した服。主人の前であるにも関わらず憮然した態度を取る男は、それでもアリスを見つけた途端目の色を変え、剣の柄を握り締めた。纏うオーラがまがまがしいものとなる。
騎士はアリスを誰よりも必要としてるから当然だ。絶対不可侵な存在。誰にもアリスを譲ったりはしない。何かあれば剣で裂き、何かあればその力を以て捻りつぶす。それでもそんな暴力的に見える行動も全ては愛情の裏返しといえば美学に見えてしまうのだから僕の思考はほとほと末期患者のようだ。少なくともそう思う。



『…………』



騎士が鋭く女王を睨む。そんな男の汚い感情に伴って女王が気高いオーラを持ってアリスを抱え込んだ。



「君は弱いね女王」



満足げに微笑めば今度は女王の影が部屋全体を覆い始めた。絶対零度。まさにその言葉が相応しいほどに場の空気が呑まれる。
不思議の国がまだ無名のあらくれた国だったあの頃。それを彷彿させるその様子に笑いが込み上げる。



「諸行無常、形あるものは必ず滅ぶのさ。それが必然。ならば恐れることもない。己の思うままに生きてやろう、そう僕は思うね。少なくとも」


『ならば私がアリスを殺してあげようか』


「君はそんなこと出来ないさ、僕の可愛い女王。君はあまりにも弱い」



影を広げ続ける女王の行動を見て騎士は舌を打つ。歪みまくった関係だらけで成り立つ国に相応しい歪みまくった主従関係。そんな中で声を殺して、如何様で、と似合わない敬語で訊ねる騎士に、ただの嫌がらせさ二人へのねと応えてやれば騎士からも女王からも冷たい視線を浴びせられた。
それでも、なんて楽しいのだろう。にんまりと口角を上げて王座に座って杖を着く。足を組み、肘を掛け大きく凭れかかったままただ一言告げてやる。



「勝つのは誰だろうねぇ」



愛しのアリスを巡る物語は果たしてどうやって終焉に向かうのだろうか。誰かのものになって墜ちるのか、それともアリスの手によって壊されるのか。
今日も不思議の国は回り続ける。ただひたすら終焉を迎えるために回り続ける。






12,12,18(wed)


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