4話 休日出勤の矛盾を貫け



早朝からの、鶯の鳴き声。砂利道を照らしつける、太陽。新緑の吹き抜けるような、匂い。
はっきりと、覚えている。
もう何年前の話になるのだろうか?お母さんとお父さんの仲が良かった時。小学校低学年?幼稚園?それとも、物心ついた頃だっただろうか?思い出せそうにない。
「いまのてじな、もういっかいみせて!」
言葉をはっきり話している私は、小学校に入った頃くらい。なら、小学校一年生のゴールデンウィークの記憶だ。
一日文学館の一室にある、たった六畳の狭い空間。この部屋は、本棚と手品用品で構成されている。
本は、絵本から聖書まで。戦争心理学や犯罪心理学等、私には到底理解出来そうにない物もあった。
手品用品は雑誌の付録から、外国の有名会社の物まで。引越し会社の段ボールに詰め込まれていた。年代物も多く、皺が寄っていたり染みがあったり。使用感がある物の方が、触れやすかったように思う。
「駄目。手品は、二回見せたら魔法が解けるんだよ」
「まほうは、とけないからまほうだよ」
「頭良いから、魔法の原理に気付いちゃうよ?」
「タカヒロおにいさんのいじわる〜!」
タカヒロおにいさん。私より、十歳程年上の存在。ゴールデンウィーク、夏休み、お正月。神忘村へ来ると、たまに会えた。
「……ん。なんか、夢見ていたような」
駄目だ。今となっては、はっきりと思い出せない。高校生くらいの男の子と、話していたように思うんだけど。
「お姉ちゃん、タカヒロお兄さんってだれ?」
「桜。おはよう……タカヒロお兄さん?青柳先生のこと?」
「ねごとで言ってた人のこと、聞いてるんだよ?」
桜の一言が、潤滑油として錆びた歯車に注がれた。
「ぬぁあああああああああああああ!!!そりゃ、先生私のこと知ってるわ!!!!ぬぉおおおおおおおおおお!!」
「お姉ちゃん!?どうしたの!!?」
「あんたたち、朝から五月蝿い!!」
雷よりもお腹に響き、稲妻のような速さで障子を開けた。
「お母さん、ごめんなさい……」
「いい子に出来ないなら、イトーヨーカドー連れて行かないわよ」
「「は〜い」」
そうです。今日は、土曜日。お母さんの誕生日の前日。
イトーヨーカドーに連れて行って貰えないなら、私たちがお風呂掃除と食器洗いの労働で得た千円札が水の泡となってしまう。
それだけは、避けないとならない。
「今日は、青柳さん達とバーベキュなんだから尚の事いい子にしててよ」
「バーベキュー!?すごいね!お姉ちゃん!」
「え、あ、うん……」
まさか、物置に眠っていたあのコンロを使う気なのだろうか?
埃まみれな、大型のハリボテコンロ。おじいちゃんと、おばあちゃんですら覚えてなかったのに……何故、お母さんはどうでもいい事の記憶は良いのだ。
「あのコンロって、何処で買ったんやっけ?」
「陽子が、雑誌の懸賞で当てたやつやわ。20年くらいになるのう……懐かしいのう」
「ほんまやのう」
何故、おじいちゃんとおばあちゃんは昨日のことのように話しているのだろうか。
桜は桜で、お手製糸電話の紙コップを両手で包み込んだ。口元に紙コップを当て、凧糸を背筋のごとくピンと張った。
通称「青柳先生直通電話」
暇なのか、先生は7割くらいの確率で出てくれる。
「は〜い。もしもし〜」
とても眠そうな、先生の声。教室で居る時のテンションより、小指の先くらい低い。
「今日ね!一日文学かんのおじいちゃんと、先生でバーベキューするの!さくらたち、おいしいお肉をイトーヨーカドーで買って来るからね!」
「マジで!?ひゅ〜!!人の金で食べる焼肉、超好き!!近江牛買って来て!!」
この人、やっぱりクズだ!!
「先生!桜に悪影響与えかねない発言は、やめて下さい!」
「深見、怒るなよ〜。ビールやるからさあ」
「本当、教師の風上にもおけないですね!!」
「カシスオレンジの方が良い?」
「女子大生が、合コンで飲むようなもん飲みませんよ!!」
「もしかして、飲んでるの?校長先生にチクっちゃうぞ〜」
「飲んでませんよ!!!」
悔しいけれど、先生相手が一番言葉を淀みなく言えてしまう。
だけれど、悪く思われたくない。と言う、感情もある。
勿論、人間同士の付き合いだから一切マイナス感情を持たれない。ということは、不可能に近いであろう。それでも、先生に悪く思われたくないのだ。
こんな風に思う大人は、先生が初めてかもしれないな。







山を二つ越えて、車に揺られること一時間。
イトヨーカドーに到着した。
イトヨーカドーがあるH市は、私たちからしたら十分な都会だ。イトヨーカドーがあれば、本屋だって、美容院だってある。お医者さんも、居る。神忘村より、流れる時間はずっと早い。
昼前と言う事もあり、イトヨーカドーは沢山の人でごった返している。特に1階の食品売り場は、人混み砂漠だ。
神忘村の人も利用すれば、隣のU郡の人たちもH市の人たちも利用する上、この土日だ。
「そう言えば、今日は割引デーだったわね」
「割引デー?」
「毎月10日と20日は、そうなのよ。一部の商品が、5%割引になるのよ。忘れていたわ」
お母さんが、スケジュール帳から買い物メモを取り出して半分に千切る。その片割れを私たちに渡した。
「え?」
「え?じゃないわよ。ここに書いてるのを取ってきて。場所は、分かるでしょ?」
「そうだけど〜」
お母さんのプレゼントが……。
「今日は、量が多いの。ちょっとくらい、手伝ってよ」
「は〜い!じゃあ、終わったら2階へ連れて行って!」
甘えるように言う、桜。お母さんは、なるほど。と、呟いた。
2階には、バラエティーショップや洋服屋や雑貨屋があるのだ。
「ダメよ。バーベキューもするんだし、お母さん忙しいんだから。お店にも顔出さなくては、いけないし」
「でもでも〜!」
「葵からも、言ってやってよ」
「え〜。私も見たいんだよね」
「あなた、金欠とか言ってなかった?」
「次来た時、何を買うかのリサーチを……」
我ながら、とても苦しい嘘だ。案の定、お母さんは訝しげにこちらを見ている。
「は〜。15分だけよ。その代わり!買い物をすぐ終わらせるように。早く行って来て」
「「は〜い」」
流石、仕事人のお母さんだ。人の使い方が、上手い。
レジ横の買い物カゴを取ろうとした、その時大きな声があたり一面に響いた。
なんだろう?と、声がした方を振り返ると一人の女性がレジ打ちの店員さんに怒っていた。
「なんで、この割引券使えないんですか?そんなこと、書いてあります?」
「え、ええっと……本日は、割引デーなので他のサービスは使えなくて」
「そうなら、そうと書いておきなさい!って、話なんです!貴方じゃ、話にならないわ!責任者の人、呼んでくださる?」
よく見てみると、店員さんは随分と若い。大学生くらいの女の人に見える。対する怒っているお客さんは、三十路後半くらい。自分よりも、一回りくらい年下の人間相手にそこまで怒れる神経が分からない。小綺麗にしている分、印象に残ってしまう。
「葵、行くわよ」
「お母さん?」
「良いから」
私の腕を引っ張る、お母さん。唇が、微かに震えていた。わざわざ遠回りをして、人波に紛れて身を隠すように私たちは雑踏の中へと消えて行った。桜も桜で、ビクビク震えている。
一体、どこの誰なんだろうか?







あ母さんとの約束もあるので、私たちはお店を一つだけに絞った。
雑貨屋でアレコレ物色する。狭いテナントにぎっしりと、キッチン用品から、文房具まで色々あって悩ましい。
「お母さん、なにがすきか分からないよね」
「本当にね……使いそうなもの、プレゼントする?」
「う〜ん。でも、自分で使うのは自分で買ってるよ」
「確かに……」
二人して、頭を抱える。お母さんが、貰って嬉しそうなもの。なんだろう。
「お姉ちゃん!これ!これ!」
「うん?」
桜が指差したのは、パン型のブローチ。食パン、メロンパン、クロワッサン……他にもたくさんある。
多分、樹脂粘土で作ったものをニスでコーティングされている。程よくデフォルメされたパンたちが、語りけているように見えた。
「可愛い……」
「でしょ!でしょ!メモとかも、あるんだよ」
「じゃあ、ブローチとメモにしようか」
スマートフォンの電卓で、計算してみるとギリギリ1000円以内に収まっている。
「あら。可愛い。葵、そういうのも好きなのね」
「「わー!!」」
慌てて、クロワッサン型のブローチと食パン模様のメモ帳を隠す。
「私、買ってくるね!」
「はいはい。行ってらっしゃい」
「さくらも、行く〜!」
足を止めて、桜を待ってやる。彼女な小さな手を取り、再び歩き出す。桜は、大事な妹なんだからちゃんと見ておかないと……。
「お姉ちゃん、あのね。さっき、レジでおこってたおばさんって」
「ああ……あの人のこと、知ってるの?」
「お次の方、どうぞ〜」
レジの人が、よく通るも決して大声ではない声音で私たちを呼んだ。
「お願いします。ごめん、なんだっけ?」
「う、ううん。なんでもないよ」
桜は「気にしないで」と、付け加えた。
変な桜。却って、気になってしまうじゃないの。







また、車に揺られること一時間。家へ帰る前にお母さんのパン屋さんに寄る。
店前には、私たちの車以外に派手な赤色の軽自動車が停まっていた。
パン屋「エトランゼ」は、神忘村によくよく馴染んだ木造建築のお店。飲食スペースはなく、お持ち帰り専用の店だがいつも暖かく静かな時間が流れているお店。
しかし、今日は違っていた。私たちが、店内へ入るや否や緊迫した空気に当てられたのだ。
レジ係の川上さんと、村田さんが顔を見合わせてお客さんの反応を伺っている。
「……あ、イトヨーカドーで」
怒っていた、おばさんじゃん。喉元まで、出掛けた言葉を必死に堪える。
また、何か文句を言っているのだろうか?
「一週間くらい前の事なんですけど。焼きたてパンって書いてあったから、買ったのに家に着いたら冷めてたんですけど。本当に焼きたてだったんですか?」
「お客様、レシートは?」
川上さんが、いかにもマニュアル通りに話しだした。普段は、とても親切で優しくてお客さんと楽しくお喋りをしているあの川上さんが-――関わり合いになりたくない。と言う、意思表示だろう。
お母さんは息を吐いて、おばさんの横へと行った。
「いつもありがとうございます。いらっしゃいませ。パンが冷めていた、ということですね。こちらで話を伺いますので」
深々と頭を下げる、お母さん。どうして、そこまでする必要があるのだろう?
川上さんは、レジから出てきてお母さんに「大丈夫ですよ」と、伝えたがお母さんは引かなかった。店の責任者とは言え、休みの日まで……大変だな。
「な〜!お母さん、今度はどうしたん?はよ帰ろうや!」
ズカズカと、大股で店内に入ってきたのはよくよく知っているあいつだ。
「……寺尾さん」






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