3話 全ての選択肢はロシアンルーレット



一体全体、何がどうしてこうなるのやら。
私が映画を観始めるや否や、青柳先生は物語の結末を話し出したのだ。これ程インターネットが普及している時代なので、完全に回避することは難しいとは思う。しかし、しかしだ。今から鑑賞する人間に、断りもなくネタバレするのは如何なものか。
「先生って、本当意地が悪いですよね」
「大人は、汚いもんだよ〜」
「自分で言わないで下さいよ……」
「深見ってさ、敬語だよね」
「目上の人に対しては、使うのが常識じゃないですか?」
私の価値観から言わせて貰うなら、中学生にもなって敬語を使おうと言う意思がない人間が信じられない。使う必要性があるないに関わらず、生きていく上で必要最低限の礼儀だと思うからだ。
「まあ、そりゃそうだ。うん」
先生の肯定の言葉は、存外あっさりしている。逆に、否定の言葉はしつこいのかもしれない。見た感じ、ちょっと女性的な精神面も持ち合わせていそうだし。
「先生も、大変ですよね。こんな田舎の学校に、赴任なんて」
「そうだね〜。人目が、集中するからねえ。なんか、狭い箱の中に居る気分になるよね」
「それ、すごく分かります。この村って、小さ過ぎる世界ですよね」
中学生が持っている世界なんて、学校と家と習い事くらいだろう。
一学年十人、三学年で三十人。普通の学校の一クラス。うちは、五人家族。習い事は、していない。中学校の先生も、一学年の人数と大差ない。こんな村だから、すれ違う人間も固定されている。
東京に居た頃の方が、私を見る人間の母数は多かった。だけれど、朝の通学路。昼の購買部。夕方の帰路。みんなみんな、人間と出会うのが「当たり前」で見てすら居ない。勿論、覚えている訳がない。嫌なことがあっても、また違う現実の波が押し寄せて来る。すぐに忘れられたんだ。
この村は、全て逆。東京の鏡なのだ。きっと。
「まあ、自分が思うように生きたら気にならないだろうけどね。だから、俺敵を作るんだろうけどさ」
そこら辺の自覚は、あるのか。この人……。
「本当ですよ。先生は、裏表なさ過ぎます」
「素直なのは、美徳っしょ」
「そうですね……」
「若いもんは、何処へでも行けるからええのう。わしらは、生まれ育った此処を離れられん」
一日文学館のおじいさんが、細い目を更に細めて笑った。穏やかで優しい目をしている。よく見ると、先生と目の形が似ているから先生からありとあらゆる邪心を払えばこんな笑顔になるのかもしれない。
「そう?一週間くらいしたら、大体何処でも慣れるよ」
「年を取るとなあ……適応力が、がたんと落ちるんや。そう言えば、タカ君。章子は、元気にしとるんか?」
さも今思い出したように言う、おじいさん。麦茶のおかわりを縦長のグラスへと注いでくれた。金色のインクで描かれた、菊の花の色が霞む。
「あ〜。元気なんじゃない?」
「章子は、短気で短絡的な所があるからのう……今やったら、タカ君の方がしっかりしてるんやないけ?」
「まさに、それ〜。お袋、我慢出来ないから」
そう言えば、一日文学のおじいちゃんって娘さんが二人居るんだよね。お姉さんの方が、うちのお母さんの二つ先輩。妹さんの方は、うちのお母さんの二つ後輩。って、聞いた覚えがある。気質が全然違うから、姉妹にも見えない。とかも、聞いたな……。
昔は、神忘第二中学校があったんだって。今は合併されてしまったけれど。
あれ?おじいちゃんの娘さんなら、先生の苗字って……。
「あいつは、まだ男遊びしとるんけ?」
「じいちゃん聞いたら、ひっくり返るよ」
「ちょっとは、懲りたらええんやが。結局、何回離婚したんや……」
「もう数えてないって、そんなもん」
出された麦茶が、喉を滑らくなって来た。余り聞かない方が、良い話だろう。私は、目的もなくスマートフォンを弄る。
「そうけ……ごめんなあ。タカ君、ごめんなあ」
「じいちゃん、そんな泣きそうな声で謝らないでくれよ〜。別に、誰も悪くないじゃん」
なんとなく、なんとなくだけれど。先生の気持ちが、分かる気がした。
お父さんと、お母さんが遂に離婚する。と、なった時。ご近所さんのある単語に、私は敏感になった。
「椎名さんの旦那さん。浮気とかは、なかったらしいわよ。『良かった』わよねえ。一回でもあれば、話が拗れるもの」
「親権は、奥さんの方みたいよ。『良かった』ねえ。旦那さんじゃなくって、女の子って色々多感だもの。男の人じゃ、分からない部分ってどうしてもあるし」
「田舎のご両親も若くて、協力的らしいし『良かった』わ〜。安心して、子供を任せられる存在って、稀有だもの」
何が、どう「良かった」のだろう。私には、ちっとも分からなかった。けれど、両親二人に我慢してまで一緒に居て欲しくない。
「ただ性格や考え方が、合わなかった」
誰も悪くない。悪くないんだ。お父さんも、お母さんも、桜も、私も。悪くないんだ、悪くないんだ。
いつの間にか、グラスはすっかり空になっていた。







夕食は、青柳家の話題で持ちきりだった。
「すご〜い!学校の先生なんだ!じゃあ、お姉ちゃんおべんきょう見てもらえるね!」
「どうだろう。先生、見る気なさそうだし。あ、桜。ちゃんと、野菜も食べなさいよ」
もうご飯を食べ終わってるにも関わらず、サラダには手をつけられていない。畑で採れた、キャベツとトマトときゅうりのサラダ。
「だって。さくら、わふうドレッシングじゃないと食べられないもん」
「胡麻ドレッシングも、美味しいよ。今日は、これで食べなよ」
「やだやだ〜!わふうドレッシングが良い!」
「あんまりワガママ言ってると、誕生日プレゼントないよ」
「う〜」
「ほら、半分食べてあげるから頑張りな」
そう言って、サラダの山を自分の皿へと移す。取りすぎた気もするけど、わざわざ桜の皿に戻すのも可哀想だろう。
「葵ちゃんは、良いお姉さんやねえ」
「ああ。自慢の孫娘だ」
おじいちゃんと、おばあちゃんがそっくりの笑顔を浮かべる。
「さくらは〜?」
「桜ちゃんも、良い子やよ〜。優しい子や」
「えへへへへ」
更に良いところを見せる為か、桜は自分でお茶碗にご飯を注いだ。そして、サラダを食べ始めた。
「美味しいでしょ?」
「ん〜。でも、わふうのがいいよ」
「明日、生協から来るんじゃない?」
「そうかなあ。お母さん、わすれてそうだよ?だって、この間だって牛にゅうなかったし……」
「はいはい。届かなかったら、自転車漕いでイトーヨーカドー行くから」
お冊子の通り、神忘村にはコンビニもスーパーもない。ちょっとした、買い物がこういう時とんでもなく面倒くさい。
「さくらも行く!」
「遠いから、駄目。それに、すぐ音を上げるでしょ」
「がんばるもん!」
「付いて来ても、漫画も雑貨も買ってあげないよ」
「おこづかいで買うから、だいじょうぶだよ」
「駄目。車通り多いし」
ここまで、聞き分けが悪い桜も珍しい。何か理由でも、あるのだろうか?
「桜ちゃん。イトーヨーカドーなら、次の土曜日にお母さんが連れて行ってくれるやろ?その日に行っておいで」
「ダメ!ママは、ダメ!」
「……あっ」
そうか。すっかり忘れていた……。
「次の日曜日、お母さんの誕生日だったよね」
「お姉ちゃん、わすれてたの!?」
「ごめんごめん」
「はくじょうもの〜!」
ポカポカと、小さな拳で胸を叩かれた。
こういうところ、桜は本当に律儀で偉いと思う。
「じゃあ、土曜日は三人で行こうよ。お母さんが、食品買ってる間に私らでプレゼント見に行こ」
「うん〜!ちょっと待ってて」
桜が、ニコニコしながら図工の時間で作った貯金箱を持って来た。栓を開けると、百円玉が一枚。五十円玉が一枚。十円玉が、六枚。
「210円……」
「がんばって、ちょきんしたの〜!」
「桜、何を買おうとしてるの?」
「しんじゅのネックレス!500円くらいで買えるよね?お姉ちゃん、300円出して〜」
「あのね、桜……真珠どころか、お母さんがつけるようなネックレスはその金額では無理」
「え〜!」
「考えてみてよ。500円って、さくらが毎月買って貰ってる雑誌と同じ値段だよ?」
「……そっか」
この金銭感覚のなさ……流石、小学生だ。とは言っても、実は私もそんなにお小遣いは貰っていない。それに今月は好きなバンドのアルバムを買ったから、結構金欠だ。
「真珠のネックレスは無理やけど、おばあちゃんがお金を出してあげるわ〜。二人で良いな。と、思ったもんをプレゼントしてあげ〜。それが、一番喜ぶからのう」
「「ありがとう!おばあちゃん!」」
深見家姉妹が、デュエットした。
「その代わり、一週間お風呂掃除と食器洗いを二人でやるんやで」
おじいちゃんが、ニカッと笑った。対する私たちは、瞳の煌きがなくなって行った。







事の経緯を聞いた、タマちゃんがのほほんと笑った。
「そうけ〜。確かに、プレゼントって難しいなあ」
「タマちゃんは、何をあげたの?」
「今年は、シュシュを作ったのう」
「手作りかぁ。凄いねえ」
「お母さん、手作り喜んでくれるねん」
タマちゃんは、手先がとても器用だ。私も、ヘアゴムを作って貰ったことがある。本当は、その時タマちゃんと一緒にレジンのヘアアクセを作っていたのだ。しかし、自分の分が失敗しちゃって嘆く私にタマちゃんが作り直してくれたのだ。私のイメージを風化も美化もせず、作り上げる手腕を目の当たりにした時は新しい世界へと一歩を踏み出した気分だった。
「タマちゃんのお母さんも、手作り好きだもんね」
「そやなあ。好きやなあ。私が出来ひんこと、手伝って貰ったりするし」
「良いなあ。そういうの」
「葵ちゃんのお母さんは、パン作れるやん。葵ちゃんのとこのパン好き〜」
ああ……タマちゃんは、本当に優しい。私の枷を外すような、言葉をくれる。私も、タマちゃんにそんな言葉をあげたい。
過去に「もし」は、存在しないけれど。小学校の頃、タマちゃんと出会っていたらご近所さんが言う「良かった」っていう言葉も重荷にならなかったのかな。
「葵ちゃん?どうしたん?ぼけ〜っとして」
「ううん。なんでもない」
「もしかして、恋患いけ?」
「ないない!第一、誰と?」
「青柳先生?」
「なんでやねーん」
関西歴二年目にして、初めてハリセンツッコミをした。タマちゃんにとって、私と青柳先生のイメージが謎過ぎる……。
でも、隙間の時間があれば先生の声を思い出す自分が居た。




< >