*この小説はパラレルになっています。
プロローグ
森の中を青年と少女が歩いている。青年は腰に刀をさし、少女は両手に必要最低限の荷物を持って歩いている。
「……ハル、本当にいいんだな?」
「はい。覚悟はもう決めていますから」
「……そう、か」
少女の覚悟に青年は何も言えなくなった。
二人は今、この森の奥深くにある城へ向かっている。なぜなら、その城の主と彼女たちが住む村は昔からとある契約を結んでいるのだ。
三月の満月の日に城から赤い煙が
立ち上がったら【生贄】を差し出す″
その年の三月の満月の日。城から赤い煙が立ち上がった。
生贄を差し出せば村の安全は保証する。しかし、出さなかったら村に大規模な災厄がもたらされると。
「本で読みました。一度、赤い煙が確認されたのに生贄を出さなかった年があった、と」
「あぁ、その年は本当に災厄が多かった。まずは作物の不作。これは大雨によるものだな。その結果、飢饉と疫病が発生した」
「……そして、多くの人が亡くなった。だから、わたしは約束を破ってはいけないんだと思ったんです。それに、わたしが生贄に選ばれたのも何か理由があるだろうから……。わたしが行くことで村の人たちが救われるというのなら、わたしは自ら進んで生贄になりましょう」
「………」
生贄になるのは十五歳の乙女。今年、それに当てはまったのはハル、と呼ばれた少女――七海春歌、一人だけだったのだ。
当然、彼女の両親は大反対したが、それでも彼女は生贄になると言った。ならなければ村が大変になるからと両親を諭して、城へ向かっている。
実は青年も彼女が城へ生贄と差し出されることを反対している。
青年――聖川真斗にとって春歌は大切な幼馴染だ。大切だからこそ、彼は彼女を不気味な城へ連れて行きたくなかった。
しかし、真斗は村の長の息子だ。将来、春歌のような少女たちを城へ送り出す立場になる。だから、父親ではなく、今回真斗が春歌を城へ送っているのは、彼の将来のためでもあり、これからどうなるかわからない、不安でいっぱいになっているだろう春歌の心を少しでも軽くしてやろうと思ったからである。
*那月との出逢い
春歌が城に来てから三日がたった。彼女はその間一度もこの屋敷の主に会っていない。
(いつになったら会えるんでしょうか…)
何もせず、ただ執事であるトキヤに与えられた部屋で過ごしていた。
さすがに何もしない、というのは気が引けるので、春歌は部屋を出てトキヤを探そうと思った。
与えられた部屋は二階。トキヤは一階にある厨房か彼の部屋にいるはずだ。
(この時間だったら厨房にいるかしら)
そう思って春歌は足を一階に向ける。一人で部屋を出るのは初めてだ。緊張で、心臓がドキドキしている。
音を立てないように部屋のドアを閉め、忍び足で春歌は歩き始める。
階段にたどり着き、足を一歩踏み出そうとしたそのとき、
「貴女は何をなさっているんですか、春歌さん」
「きゃあっ!」
後ろからトキヤに話しかけられて(ちなみに、さん付け≠ネのはさま≠ニ呼ばれるのが恥ずかしい、と春歌が抗議したからである)、春歌は足を踏み外し身体のバランスが崩れた。
階段から落ちると思い、一生懸命バランスを取ろうとするが間に合わない。春歌は思わず目をつぶってしまった。
しかし、
「えっ………?」
階段から転げ落ちることなく、ふわり、と誰かに抱きとめられた。
「ねぇ、トキヤ君。この子が今度の娘ですかぁ?」
「えぇ。そうです」
「名前は?」
「本人から聞いたらどうですか?今までだったら下の応接間で紹介していたんですから」
「そういえばそうでした! こうやって自ら部屋を出て来る娘なんて初めてですねぇ」
頭上で交わされる会話。春歌はそれが気になり、目を恐る恐る開ける。
彼女の目に映ったのは、メガネをかけた優しい顔をした、青年。
(この人が、この城の主……?)
満月の時に聞こえるあの唸り声を考えると獰猛な人だと思っていたが、どうやら違うようだ。しかし、本当にこの人からあの唸り声がでるんだろうか、と春歌は疑問に思った。
そんな春歌の顔を見て青年はふわりと笑った。
「ここに来る娘はみんな僕に会ったら貴女のような顔を最初にします。すべての説明は下の応接間でしますから……僕は、貴女を抱えたまま降りますね」
「えっ。えぇっ? わ、わたしは歩けますから!お、降ろしてくださーい!」
ジタバタと暴れるがその努力は虚しく、春歌は青年にお姫様抱っこをされて階下に行くことになった。
そして、春歌が床に足を付くことが出来たのは、応接間に入った後だった。
こちらへどうぞ、とトキヤに勧められて春歌はソファーに座る。
そして、彼女の向かい側には青年が座り、お湯を持ってくるように、とトキヤに彼は頼んだ。
「一体何がなんだかわからないっていう顔をしていますね。可愛いなぁ」
春歌の困惑した表情を見て、青年はクスっと笑った。やがて、トキヤが持ってきたお湯を青年は受け取り、紅茶を淹れ始める。
一つ一つの動作がとても丁寧で、その姿に春歌が見とれている間に、青年はティーポットにケルトを被せ、傍らにあった砂時計をひっくり返した。
その、カタン、という音で春歌は我に返った。
「さて、砂時計の砂が全て落ちる前に、自己紹介をしましょうか。薄々気づいているとは思いますが、僕がこの城の主の一人、四ノ宮那月です。よろしくお願いしますね」
「はっ、はい! わ、わたしは七海春歌と、言います。えっと、そのよろしく、お願いします」
「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよぉ。春歌……なんて素敵な響きなんでしょう。そうですねぇ……。ハルちゃん、なんてどうです?」
「えっと、それはわたしのあだ名、ですか?」
「はい。これから仲良く暮らして行くんですから、来る娘にはあだ名で呼びたいなって思って。そうだ、僕のことは『なっちゃん』って呼んでくださいね」
「えっ……な、なっちゃん、ですか?そ、その……」
いきなりあだ名で呼ぶのは抵抗がある。だから、はじめは那月くんと呼び、慣れてきたらなっちゃんと呼ぶ、ということになった(しかし、後で翔が無理して呼ばなくても大丈夫だ、と教えてくれた)。
そして、おたがいの自己紹介が終わる頃、砂時計の砂は全て落ちていた。
*砂月との出逢い
新月の翌日。春歌が階下に降りて食堂に向かい、部屋に入るといつもと違う雰囲気だった。
(……那月くんの様子が、違う…?)
春歌は恐る恐る那月? に話しかける。
「お、おはようございます、那月、くん……」
すると、那月?はギロリと春歌を睨む。その視線が怖くて春歌は震え上がる。
「……なんだ、説明していなかったのか、トキヤ」
「えぇ、説明しろと言われていませんから。あの人にも貴方にも」
「確かにそうだな。俺も那月も説明しろとは言ってない。というより、那月の場合は隠していたな」
言葉使いも態度も那月とは違う。まるで正反対だ、と春歌は思った。
どう接すればいいかわからない春歌に、トキヤはとりあえず座るように指示した。
おとなしく座った春歌を見て、トキヤは一つ咳払いをして、
「春歌さん、この方が二人目の主です。那月様の弟になります、さ……」
名前を言おうとしたところで、那月とよく似た青年が手をあげる。
「名前ぐらいは自分で言う。俺は四ノ宮砂月。那月の……弟に、なる。あと、先に言っておくが俺は那月の影の存在。那月は俺の光の存在。どういう意味なのかは選択の時まで考えておくんだな、春歌」
そう言って砂月は立ち上がり、部屋を出ていった。どうやら彼は那月と違って人とあまり接したくないらしい。
それから半月。春歌は砂月に会うことなく過ごし、新月の翌日は那月と出会った。
満月後に出会うのは砂月。新月後に出会うのは那月。それにようやく慣れたある夏の日のこと。
春歌は久しぶりに砂月に出会った。
* * *
その日は朝から気温が高く、外に出たら熱中症になるかもしれない、とトキヤに言われて春歌はおとなしく書斎に引きこもっていた。
確かに、今日の日差しはとても強い。この日差しの中で門兵として仕事をしている音也と翔は大丈夫なのだろうか、と春歌は思った。
(後で、何か差し入れて冷たいものでも持っていこうかなぁ)
そんなことを考えながら春歌は目の前にある真っ白な楽譜を広げる。
『僕だけの曲を作ってください』
那月に頼まれたこと。それは、曲を作るということ。
正式に作曲を学んでいないと言ったのに、それでも作って欲しいと言われたのだ。断ることが出来ない。
(せめて、那月くんらしい曲を作ろう)
彼を思い浮かべながら春歌は思い浮かぶメロディを楽譜に書いていく。
と、集中していた春歌の目の前に一冊の本が置かれた。
えっ、と春歌は顔を上げて本を置いた張本人を見る。そこには、久しぶりに見る人が、いた。
「さ、砂月くん……。お久しぶり、です」
「よぉ、久しぶりだな。俺の書斎にずいぶん入り浸っているようだが、何をしている」
ギロリと睨まれ、春歌は少し震え上がる。だが、それをなるべく表に出さないように努力して、彼女は楽譜を砂月の前に差し出す。
砂月はその楽譜を手に取りしげしげと眺める。そして、春歌の手元にあった赤ペンを勝手に取り、スラスラと何かを書き込んでいった。
「こうすればもっと良くなるんじゃないか?」
「あっ……」
砂月の指摘をみた春歌は一度自分の頭の中でその音を奏でる。そして、そのまま続きを楽譜に書き込む。すると、今まで悩んでいた部分が綺麗に繋がった。