落忍 | ナノ


「今度は何をしてきたんだ?」


私が長屋の自室で、さあ寝ようと布団を敷き始めたとき、留三郎と伊作の二人が帰って来た。
昼過ぎから姿が見えなかったので密偵の実習でもあったのかと思っていたのだが、表情からして違う。
二人は私服で、なおかつ擦り傷だらけの文字通りぼろぼろだった。

呆れて事情を問えば、とりあえず伊作特有の不運に留三郎が例に倣って巻き込まれて、ごちゃごちゃしていたらしい。
伊作は留三郎の肩を借りているし、布団を敷くのは中断して、ひとまず床に座らせた。


「すまないアラシ。塗り薬と包帯があるから、応急処置をしてくれないか」


伊作の頼みを断るわけにもいかず、救急箱を受け取る。塗り薬を出している間に、二人は衣服を脱いで褌一丁になっていた。

まだ土で汚れている。


「傷口を洗ってないだろ」
「ああ、そういえばそうだった」
「井戸から水を汲んでくるから、ちょっと待ってろ」
「すまないアラシ」


伊作のそれはほとんど口癖だなと小馬鹿にしつつ、暗い廊下を歩く。
誰もいない、静かな夜だった。
寒さゆえに虫も鳴いておらず、風の音だけが遠くに聞こえる。空気は澄んでいるが冷えていて、呼吸をするたびに鼻の粘膜を突く。
ふと、井戸から水を汲み上げていたとき、誰かが近付いてきた。


「やっぱりアラシか」


仙蔵だった。
寝巻き姿で腕を組み、呆れた表情を浮かべている。


「夜に足音がしたから来てみれば、どうしたんだ? 曲者かと思ったぞ」


警戒すべきは六年生もか。
なかなか先生方並に警戒心があるようだ。


「留三郎と伊作が怪我をして、今から手当てするところなんだ。せめて傷口を拭いてからにしようかと思って。騒々しくて悪い」
「いや、いい。手伝うか?」
「いいのか?」
「二人の手当てをひとりでやるのは、なかなか大変だろ」
「ありがとう」


そうして仙蔵と部屋に戻った。
仙蔵に伊作を頼んで、私は留三郎の傍に膝をつく。

15歳にしてはいい体格をしている。背中も大きいし、肩幅もある。腹筋は発達しているし、生徒だと思って侮っていたが、充分に忍者の男として認めるべき肉体だった。
手拭いに水を含ませて身体を拭いていくと、水の冷たさでぴくりと反応がある。


「もう少し時間が早ければ湯を持ってこられたんだが、我慢してくれ」
「大丈夫だ」


薬の塗布に移った。ひとまず身体を終わらせて寝巻きを羽織らせてやる。
それから留三郎の前髪をあげて、額や頬、鼻の傷に薬を塗った。


「どうやったらこんなに傷付くんだ?」
「次から次へと不運が起きてだな」
「理解に苦しむ」
「まあ、そう言うなよ。助けてやらないと。同室だろ?」


綺麗事を言いやがって。
卒業したら敵同士になるかもしれないのに、自分を傷付けてまで仲良くする意味がわからない。
返事は曖昧にしておいて、話題を変えた。


「瞼もだな。目を閉じてくれ」
「うん」


ほんの僅かな量の薬を薄く瞼に塗る。
留三郎の切れ長な目は閉じてもやはり吊り上がり気味で、性格が表れている。


「終わった」
「助かった」


ありがとう!
そう言いながら見せた満面の笑顔を、私は心から厭う。
私が裏切り者だとも知らないで礼を言い、笑い、騙されている男を、心から愚かだと思う。
同室だからといって、身を犠牲にするその精神が生理的に受け付けなかった。

留三郎はぱちくりと何度か瞬きをして目に異常がないことを確かめると、肩から掛けていただけの寝巻きに袖を通した。


「仙蔵、伊作は?」
「こっちも終わったから、私は部屋に戻るよ」
「うん。私も水を捨てる」


まだ余った水が張ったままの桶を手に取り、立ち上がる。廊下に出ると、先よりもぐっと冷え込んでいた。
廊下から身を乗りだし、外に向かって桶を傾ける。
ちょろちょろと水が滴っていくのを見つめながら「早く帰りたい」と望んだ。
どうしてもここは好きになれない。理由はわからないが、落ち着く場所がないのだ。
夜の孤独は静けさに身をおける絶好の機会なのに、ここではそれが叶わない。
これも仕事とはいえ、長丁場になるかと思うと憂鬱だった。


「私とアラシが同室だったらよかったのにな」


まだ部屋に戻っていなかったらしい仙蔵が話し掛けてきた。
水はあと少し残っている。
手作りの滝を見つめたまま、背中越しに返答した。


「なぜ?」
「知りたいか?」
「そりゃ気になる――」


振り向き様に言えば、肩をぐっと引き寄せられた。
口付けをされると思ったが、寸前で唇が止まる。
仙蔵の長い髪の毛だけが私の頬を撫でて、ゆっくりと落ちていった。


「男であっても、アラシとなら、と思ったんだが」
「……本気か?」
「面白そうだろ」


ふふん、と可笑しそうに鼻を鳴らして、仙蔵は部屋へと戻ってしまった。
手元には空になった桶だけが残る。
ひとり取り残された私は、月が浮かぶ夜空へと瞳を向けた。

雑渡さん。
ここ、女ってバレなくても危ないです。

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