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硝煙が満ちている。

自分の呼吸が聴覚に直接届くほど荒んでいるのを感じた。

酸素を取り込もうと大きく上下する胸は、もはや血液でべっとりと重い。

首筋にまとわりつく血が何とも不愉快だ。



笠原が負傷したのは戦闘終了の無線と同時であった。

最後に放たれた良化隊の一発が右肩に被弾したのだ。

胸と鎖骨の間を貫通したらしく、出血こそ激しいものの生命に直結するほどではないことはわかっている。

臓器を傷付けず、ただ貫いてくれただけの弾を不幸中の幸いだと笑ってみせた。


笠原を撃った隊員は戦闘終了指示の通り既に姿を消している。

生命に危機はないとはいえ、これ以上の出血はよろしくないということくらい、さすがの笠原にも理解出来る。

拍動と共に大きくなる激痛に合わせて深呼吸をし、応援を呼ぼうと無線に手を伸ばすが、掌が汗と血でぬらついて上手く通信ボタンが押せない。

しばらく試して一度、諦めた。

仰向けのまま首を巡らせ辺りを見回す。

ここは地下だった。

作戦にはこの通路に配置される予定はなかった。

ただ戦闘中に奪われそうになった図書を守ろうとして奪取し、弾みでこの地下へ続く階段を一冊の図書が落ちてしまって何の思慮もなく追い掛けた結果がこれである。

手負いの良化隊の隊員が隠れ蓑にしていらしく、突然現れた笠原に慌てた相手からの一発をお見舞いされたというわけだ。

額に滲む汗が目に入って滲みる。

固く瞼を落とすと上の廊下を激しく行き来している複数の足音が聞こえた。

作戦にはないこの場所にいる自分に一体誰が気付き、捜索してくれるだろう。

きっと誰かが気付き、誰かが捜索してくれる。

それは絶対だ。

隊員がひとりいなければ絶対に気付く。

気付いてくれる。


堂上教官なら、必ず。


笠原は思いながら、だがしかし強くなる痛みに眉をしかめた。

身体を起こそうにも力を入れようとするだけでそれを阻止できるほどの痛みが襲う。

戦闘が終わったという事実も脱力させるひとつの原因であった。

もう敵はいないのなら、このまま待っていても大丈夫だと甘えがどこかにあるのだ。

しかし特殊部隊隊員としてのプライドが邪念を棄てさせた。

深く息を吐いて、再び左手で無線を探った。

ぬらつく掌で固い無線機に触れる。

目を閉じて、普段から何度も使っている無線機の形を記憶のなかで描いた。

通話ボタンを見つけ、いざ押そうとするのだけれど上手く押せない。

焦り、苛つき、そして痛みに笠原は絶叫する。

ようやく押せたボタンは緊急発信のそれであった。


 * * * * *


全員の無線機から電子音が鳴り響いた。

緊急発信ボタンは押すと、装備している全員の無線機に特有の電子音が流れる。

そして隊長がいる拠点に、ボタンを押した隊員の名前、位置のデータが飛ばされる仕組みだった。

玄田隊長は隊員の誰かに、そのボタンを押さなければならない何らかの事象が発生したことを悟り、緩んでいた肝が冷えるのを感じた。

唇を引き結んで、データが送り込まれるコンピューターの画面を睨み付ける。

直後、その場にいた堂上、小牧もそれに続いた。


単独行動を許していない図書隊にとって、この電子音は緊急事態以外の何ものでもなかった。

小牧でさえ聞いたことがあるのは数えるほどしかない。

それほどにこのボタンの存在は重い。

画面にマップと、ボタンを押した隊員の名前が表示され、加えて位置が光の点滅として示される。


「…笠原だ」


苦虫を潰したように隊長が呟くよりも前に堂上は駆け出していた。
とてつもなく嫌な予感がした。

いつも笠原は無茶をする。

自分を顧みず、ただ純粋に行動してしまう。

思考より感情で動くその癖はいい結果を生むときもあるが、たいがいがそうではない。

動物的感性だけで生きていけるほど戦闘は甘くないのだ。

ときに辛辣に、ときに悪辣に物事を計算しなくてはならない。

笠原には、それがまるで出来ない。

そのくせ妙に楽観的で、大丈夫だ、と何度笑って誤魔化されたことか。

行動と考えの無謀さに腹が立った。心配かけるなと、いつも罵っていた。

その笠原が緊急発信ボタンを押したのだ。

よほどのことがあったに違いない。


「笠原!」


施設内に堂上の声が轟く。

だが目当ての返事はない。

代わりに周囲にいた特殊隊員が電子音の根源が笠原であると悟った。
隊員達の表情が凍りつく。

バディは誰だったか。

狙撃に回った手塚ではなかったはずだ。

あれだけ作戦を頭に入れたというのに笠原のこととなると冷静さを欠く。

隊員達の中に笠原はいない。

なぜだ。画面のマップでは位置はここを指していたのに。

誤信か。そうであればいい。


「笠原ぁ!」


己の声がひどく震えていることに気付いた。

これまで何度も隊員の危機に直面してきたというのに耐性はいかほども役に立っていない。

歯痒さに唇を噛みしめる。

あまつさえ、その唇も恐怖に震えていた。

最悪の想像ばかりが流れていく。


「堂上、地下だ地下!」


遅れて追い付いた小牧が堂上の脇にある階段を示した。

堂上ははっとして返事もせずに階段を駆け下りる。

半ば飛び降りるようにして階下に着いた途端、ずるりと滑った。

転ばずに何とか持ちこたえる。

灯りのない暗い通路には、まだ弾薬特有の残り香があった。

慌てて懐中電灯で床を照らすと、そこには血溜まりがあった。

ぎょっとして、思わず一歩後ずさる。

見たくはない。見たくはないけれど確かめなくてはならない。

灯りの矛先を移動させる。

その血溜まりの先に、笠原がいた。


ほんの一瞬、頭が真っ白になった。

固まって動けない。

力なく仰向けに転がる笠原はひどく顔が青白い。

訓練された精神をもった堂上だからこそ、恋人の変わり果てた姿に駆け寄ることが出来たのだ。

笠原は薄目を開けてはいるものの瞳は動かず、堂上をとらえもしない。

背筋に寒気が走った。


「大丈夫だよ、息がある」


背後にいた小牧の言葉で、やっと気付いた。

確かに胸が上下している。

それだけで僅かに冷静さを取り戻した堂上は、笠原をようやく本当の意味で直視することができた。

傷は1ヶ所、貫通、臓器損傷なし。ただ出血が多すぎる。


「なんでこんなことに」


呟いた直後に、笠原の右手に握りしめられている一冊の図書を見つけた。

そして想像がついた。

舌打ちと悪態と共に堂上は行動を始めた。

小牧は堂上の泣き出しそうな、それでいて悔しそうな苦痛に歪んだ横顔を見つめながら、応急措置の補助をした。

そうだね、怖かったね。

心のなかで親友を慰めたことは一生言わないでおこうと思った。


「郁!」


人目も憚らず、堂上は笠原の両頬を包み込んだ。

いつもはその瞳にふりまわされるというのに今は動かない。

それが堪らなかった。


「郁! 俺を見ろ!」


堂上は叫んだ。

しかし笠原の黒目は宙に向けられたまま動かない。

力なく開いている唇は紫に変色していた。


「見てくれ…頼むから」

消え入りそうな声は明らかにこの状況には不似合いだった。

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