一子が、藍染と、対峙することを望んだことは無かったように思う。少なくともボクと出会ってからは。それは彼に対する恐怖からではなく、ボクを見つけ出してくれたという純粋な恩義もあったし、そもそも戦うこと自体好きではなく、最後まで言ってしまえば自分の力のことさえも正確に知らなかったからだと彼女は正直に語ってくれた。けれども、明確に反旗を翻すような形になってしまった今、刃を交えない手立てをどうも見つけることができそうにないやと、ルピは頬の内側を少し咬んだ。

ボクの所為。そりゃあボクは市丸サンのこと嫌いじゃなかったけど、特別にスキってわけでもなかった。だけれどもやっぱり藍染よりかずっとましだったから、その人が藍染に殺されるのはいやだって思ったらどうやら顔に出てしまっていたらしかった。それを一子は見逃さなかった。いつもそうだ。いつも絶対、ボクのすべてを彼女は見ている。

一子は藍染のほうを向いて、刃を向けて、お互いに出方を測っているようでもあった。市丸の治療を一瞬だけした瞬間に、藍染が一発鬼道を打ってきてからは一触即発状態になってしまって、もうボクにはどうすることもできない。いつまでたってもボクは無力で、守られる存在なのだ。

「一子、無駄なことはやめないかい。ギンの死よりも、君の死のほうがずっと、可愛い弟君を悲しませるだろう」

大きな身振りでありながら、冷静に藍染はそう言って、一瞬だけ、ちらりとボクのほうを見た。まるで虫けらでも見るような目つきだった。かなり離れた場所にいるのに、その一瞥で力の差を感じ取ってしまう。一子は何も言わなかった。言葉につられて僕の方を見ることもなかった。その背中が少し、緊張しているように思えた。そして彼女の意識は、藍染のほうと、もうひとつ、この町にいる人間のほうにも向けられていた。心配しているのだ。馬鹿な姉さん、ともう一度頬の内側を咬んだ。

「……アカン」

足元で転がっていた男がそう言って、ゆっくりと身体を起こした。一瞬の治療で、立ち上がれるまでに回復したらしい。やはり一子のチカラはおかしい。

「何が?」
「……キミの姉サンが死神ではおまへんのは理解しましたわ。そやけど、藍染サマももう、死神ではおまへん。――――このまんま戦おうたら、下手したら街ごと消滅ですわ」

一子は負けるだろうか。その姿がルピには想像がつかなかった。ダメだな、と思う。守られたくないと思っているのに、彼女が守りきる想像しかしていない。それから、彼女の背中から感じられた緊張を思い出す。スピードでは多分負けない。負けることはない。だったら、逃げてしまえばいいのに。それでも一子は、それをしない。多分、絶対に、しない。
姉さんは優しいから。馬鹿みたいに。

「ねえ、市丸サン」
「なんや」
「どっかいきなよ」
「……なんて?」
「そんなギリギリの状態でここにいたら、霊圧に当てられて死んじゃうよ?」

じりじりと、死神ではない二人が距離を詰め始めていた。戦闘が始まるのも時間の問題だ。市丸サンはあっけにとられたようにボクのほうを見ていた。ボクの傍からいなくならない彼に対するいら立ちがこみ上げる。

「っはやく行けよ!姉サンの優しさを無駄にするのか!」

思わず、絞り出すような声が出ていた。その言葉に市丸サンははっとしたような顔をした。そして、「……姉弟やったんか」小さく呟いて瞬歩で消えた。
本当は、彼は逃げたくないだろうってことぐらいは分かっていた。生きているなら罪を甘んじて受けいれるぐらいの覚悟はあるだろう。けれども姉さんはボクの為に市丸サンを治療して、その僕は市丸サンが捕えられることを望まない。唯の自己満足でありながら、けれども姉さんの精いっぱいの優しさに答えるくらいしかボクにはできなかった。

目頭が熱くなったような気がして、僕はもう一度頬の内側を咬んだ。ぴりっとした痛みを感じて、口の中にどろりと赤色が寝食した味がした。

姉さんと呟いた声は、多分僕以外誰も聞いてなどいないだろう。