長編、企画 | ナノ

猫かぶりな瀬見くん


※特殊設定のお話なのでご注意ください。


(あー…、ツラい。)

保健室の真っ白な天井の眩しさが、寝起きの私の目を直撃する。
ベッドから右手だけ出して目元にかざせば、ついでにバリバリに乾いた冷えピタシールに当たった。
それ越しの自分のおでこがまだかなり熱を持っていることに気付く。

確かに、朝から"何だかちょっと調子が悪いな"、とは思っていたけれど。
念のためマスクだけしておけばいいかなー、なんて甘い考えで学校へ来てみたが、まさかここまで熱があがるとは。

午前の授業が終わった時点で、とうとう景色が歪んで見え出したために一応保健室に行くことになり、保健の先生に言われるがままに熱を測ってみたが、ピピッと鳴った体温計を思わず二度見する結果に。
そしてすぐさまベッドに直行を命じられた。

「おうちに誰かいるの?迎えに来てもらう?」
『いえ…、少し休んだら自力で帰ります。』
「うーん。大丈夫かしら…。まぁとりあえず少し寝てなさい。」
『スイマセン…。じゃあちょっとだけ…。』
「まったくもう。これじゃ朝だって結構辛かったでしょ。なんで無理して学校にきたのよ。」

内容とはうってかわって、冷えピタを貼ってくれる先生の手はずいぶんと優しい。
自分では元気なつもりだったのだと言い訳してみるも、それはむしろ熱でハイテンションになっていたようなもんだと先生にさらに怒られてしまった。

だって、と心の中で思う。

だって瀬見に会いたかった。
そう言ったら先生は許してくれるだろうか。

瀬見は隣のクラスだから、今日みたいに合同の授業がある日は私にとっては貴重な日なのだ。
チラッと先生の方に視線を向けてみるが、結局私は言うのをやめた。
怒られるのがオチだということは、熱にやられた頭でもわかったからだ。

それにしても、バカは風邪ひかないなんて聞くけれど、ほんの時たまひく程度の私は、その回数が少ない分ギュギュッと凝縮されたように重い気がする。
この場合はどっちなのかな、なんて無駄なことをフラフラする頭で考えてみたが、もちろん答えなんて出ない。

そのまますぐに深い眠りに引き込まれたようで、目が覚めた時には一瞬自分がどこにいるかわからなかった。

枕元に置いてあった携帯を見ると、もう授業はとっくに終わっている時間で。
とすると外から聞こえてくるのは、運動部の声か。
かなり寝ていたからか、少しだけだるさが取れたような気がする。
すっかり乾いてしまった冷えピタを剥がすと、ちょっとだけピリピリと痛みを感じた。

『先生ー…?』

遠慮がちにカーテン越しに呼び掛けてみるも、その奥に人の動く気配はない。
ノロノロと体を起こしてそっとカーテンを開けてみたが、やっぱりそこには誰もいなくて。
ただ、机にスポーツドリンクのペットボトルと一緒に小さなメモがあることに気付いた。

【鈴木さんへ
 お友達からの差し入れだから、飲みなさいね。
 とりあえず職員会議に出ているけど、
 何かあったら電話機で内線1010まで。
 もし帰るようなら、その時も連絡ください。】

保健室にくる前に心配そうな顔で見送ってくれた友人たちの顔を思い出しながら、ありがたくペットボトルに口をつけた。
相当喉が渇いていたのか、一気に半分近く飲んでしまう。

一度キャップをしめながら、どうしようか考えた。

少しよくなったような気がする今のうちに帰るべきだろうか。
でも職員会議の邪魔をしてしまうのは気が引けるし、それに家に帰ってもまだ誰もいないからちょっと不安だ。

そういえばお昼を食べ損ねていることに気づくが、あまり食欲はない。
けど、おにぎりを一つくらい食べて、持ってきた市販の風邪薬だけでも飲んで、もうちょっとだけ休ませてもらおうか。

友達が持ってきてくれたであろうバッグがイスに置いてあった。
手つかずのお弁当から、ラップに包まれた小さなおにぎりを一つ手に取り、窓際へとイスごと移動した。

(ちょっとだけ外の風にあたりたい。)

窓をカラカラと開けて、両肘をかけた。
サーッと通り過ぎる風が、熱を持った体には心地よくて。
そのまま手の先にあったおにぎりを頬張るも、残念ながら味はよくわからない。

すぐに食べ終わって、持ってきていた薬を飲む。
これでもう一眠りしたら帰ろうと、先生が出してくれていた新しいマスクをつけて窓を閉めようとした時−、

「にゃーぉ。」
『…?』

猫の鳴き声が聞こえてきた気がして、私は窓を閉める手を止め、辺りをキョロキョロと見回す。
すると、死角になっていた真下に居たのか、猫が急に窓枠にピョンと器用に飛び乗ってきた。

『わっ!』
「に。」

驚いて思わず後退すると、その隙に猫がスルリと中に降り立つ。
保健室に猫…色々とマズイような気がするんだけど。

『ちょ、猫さーん。ダメだよー。』

私の声に反応してこちらを振り向いた猫は、わかったのかわかってないのか「にぃ」と返事をした。
でも出て行く気配は全くない。
どうしたもんかと考えてみるも、私だって頭が全然働かないし、しばらく見ていても特に暴れるわけでも何かをいじるわけでもないから、まぁもういいやと諦めるに至った。

『猫さん、そのまま大人しくしててね。私、ちょっとだけ寝るから。』
「にー。」
『一時間経ったら起こしてくれてもいいよー…。』

再びベッドに戻ってゴソゴソと布団に入りながら、そんな無茶な事を口にしてみる。
ふぅ、と体勢を整えたところで、猫がピョンと私の上に飛び乗ってきたかと思えば、そのまま丸まった。

『えっと猫さん?そこで寝るの?私風邪っぴきだからうつっちゃうよー?』
「なー。」
『え?いいの?っていうか猫に風邪ってうつるんかな…。』

コクリと一つ頷いたように見えた猫の姿を見ながら、私はうつらうつらと微睡みにおちていく。
上に乗ってる猫の重みが、むしろちょうどいい感じでより一層眠気を誘った。
眠りにおちる瞬間に、モゾモゾと起き上がった猫にマスク越しに軽くキスをされた気がするけど、もう全然気にならなかった。

(あ、)

そうか。この猫さん、瀬見に似てるんだ。
ツートンカラーの頭とか、何気に我が強そうなところとか、あの目とか。
そう思ったら瀬見にキスされたような気分になって、すごく幸せな夢を見れそうだった。



「…ゃー、んにゃー。」
『ん…、』

だんだんと覚醒していく頭の中に、猫の声が届く。
そして続いてうっすらと開けた視界の中に、ぼんやりと猫のシルエットが映った。

(もしかして本当に、時間通りに起こしてくれたのかな。)

眠る前に勝手にお願いしたことを思い出して、私はそんなことを思う。

まだ頭も身体も覚醒しきっていなくて、私が目覚めたことに気づいていない猫がもう一度「にゃー」と鳴いた。

それにしても、また随分と喉が渇いている。
寝ながらしていたマスクのせいかもしれない、と思ったら急に息苦しいような気がしてきた。

(マスク、とりたい…。)

視界のシルエットがモゾリと動いたと同時に、私はマスクをくぃっと顎の方に引っ張って口元を露わにした。
その瞬間、唇にチュッとくすぐったい感触が当たる。
寝る前にもキスをされたような気がしたが、マスクがないとふわふわとした毛が当たってすごくムズぐったい。
ついクスクスと笑いが漏れた。

『猫さん、くすぐったいよー…。』

上にいる猫を避けるようにどかしながら、ようやく身体を起こすことができた。
完全に目を覚まそうと、無意識にゴシゴシと目を擦る。

「うわっ、なんで?!」
『…ん?』
「さっきは戻らなかったのに…!」

聞こえた声に、目を擦る手がピタリと止まる。
起き上がった私の目の前にいるのは、確かに猫のハズなのに。
何故男の人の声が…っていうかこの声は!?

『せ、瀬見!?』
「よ、よぉ、跳子…。」
『よぉ、って何でここ…ッ、ケホッ』
「うわ、大丈夫かよ?!」

驚いて急に大きな声を出したせいか、言葉の途中で咳き込んでしまった。
慌てた様子の瀬見が、そのまま戸惑ったようにこわごわと背中を擦る。

さっきまで猫がいたハズの場所に瀬見がいることが信じられない。
熱があがりすぎて幻覚でも見始めたのかとも思うが、今私の背中をそっと擦ってくれる感触は確かに人の手だ。

ようやく落ち着いた頃に改めて正面を向くが、やっぱりそこにいるのは気まずそうな瀬見本人だ。

「跳子、っと、マジで大丈夫か?」
『大丈夫、じゃない。というか全然頭整理できないんだけど、これって熱のせい?』
「いや、熱のせいだけじゃねーと思うわ…。」

とりあえず、とベッドから降りた瀬見が、横にあった丸い椅子に腰かけながら、「お前はまだ横になってた方がいいんじゃね?」と薦めてくれた。
普段だったらそんなことできないと思いそうなものだが、今ばかりは素直に従うことにする。
熱以外の何かでさらに頭がグラグラしてきたからだ。

『−で、何これ。リアル?』
「残念ながらリアルだ。…俺もちょっとまだパニクってっけど、それだけは確かだ。」
『風邪薬の副作用の幻覚かな、って割と本気で思ってるんだけど。』
「だとしたらそりゃ風邪薬じゃなくて、なんか別のやべー薬だよ。」

瀬見がハハッと笑ったのを見て、あぁ確かにこれは現実なんだなって思った。
バレーをしている時の真剣な顔の次に、好きな表情だ。

ベッドの中からじっとその顔を見ていたら、ふと瀬見の唇が目に入った。
そういえば−、

『さっき、キス、した−?』
「っ!」

自分が寝ているせいで横に見える瀬見の顔が、カッと赤く染まった。
言うつもりはなかったのに、私の疑問はそのまま口をついて出ていたらしい。

言葉にならないうなり声をあげていた瀬見が、意を決したように頭をさげた。

「…、悪い。」
『瀬、見?』
「した。キス。二回。」

ゆっくりあげた顔が瀬見の顔が赤くなっているのにつられるように、私の顔もカッと熱くなった。
薬の効果で少しさがっていたような気がするのに、すっかり寝る前の状態に。

「俺さ、なんか知らないうちに猫になってて。まぁ今はそれは置いとくとして。」
『待って待って、そこ、全然置いておけないんだけど。』
「でも、"好きなヤツとキスすればちゃんと戻れる"って聞いてたんだよ。」
『え…、』
「だから、お前が寝る時に、キスした。」

そこまで話してから、瀬見が「だぁーっ!」と恥ずかしいのを誤魔化すように大きな声を出した。

私は…何も言葉が出ない。
だって、"好きな人とキスすれば戻る"のに、私が起きた時の瀬見は確かにまだ猫だった。
つまり−、アレ?
瀬見の好きな人は私ってわけじゃないってこと?
じゃあ今期待しまくってる私は、ぬか喜びってこと?

「でも、何でかその時戻れなくて。聞いた話が間違ってたのかってかなり焦ってたんだけど。」
『…。』
「目の前で眠ってる跳子の顔見たら、だんだんと落ち着いてきてさ。」
『…?』

色々と聞きたいことは多いのに、次々に出される難問を一つたりとも処理することができない。
猫になって、戻れなくって、なんでそこで落ち着けるのか。

「とりあえずお前の風邪がキツそうで、どうせ猫になったついでに側についててやりたくなって。」
『な、にそれ。猫の体になる、なんて私の風邪どころじゃない状況なのに…。』
「俺の好きなヤツはお前だし、それは疑いようもないからな。どっちにしても跳子の側にいなきゃ解決しねーしさ。」
『好き、なヤツ…?って、…私?』

ふるふると震える手で、信じられない思いで私は私を指差してみる。

「今かよ?!だからさっきからそう言ってるじゃねーか!」
『っ言ってない、よ!それにじゃあなんで最初は戻らなかったの?!』
「あー…。多分原因、ソレだ。」
『え−、』

瀬見の指さした先にあるのは、私の耳からはずれてベッドに転がるマスクだ。

「マスク越しだったから、一回目戻れなかったんだと思う。」
『え、あ、私さっき起き抜けに外したから−、』
「そ。だから二回目ん時に戻れたんだ。…まぁそれはそれで焦ったけどな。」

まだ照れ臭そうに笑う瀬見が、私の髪をくしゃりと混ぜた。
マスクに手を伸ばしたのかと思っていたから、私にとっては予想外の行動ですごく恥ずかしくなる。

熱に浮かされて幸せな夢でも見てるのかと、何故かふいに涙が浮かんだ。
少し驚いた顔をした後、それを優しく拭ってくれる瀬見の指が、これが現実だと私に教えてくれた。

「…跳子。とりあえず今は元気になってくれよな。んで、風邪治ったら返事くれよ。」
『返事なんて、決まってるよ。』
「…マジ?」
『私、ずっと瀬見が好きだったもん。』

瀬見が息を飲むようにゴクリと喉を鳴らしながら、さらに目を大きく見開いた。
そしてゆっくりと、目元を緩めていく。
最後には、見たことないくらいすごい幸せそうに笑ってくれた。

「お前の寝顔も堪能できたし、猫の姿もよかったけどさ。」
『ちょっと!なんかヤダ。』
「…やっぱこうして、同じ目線で言葉にしあえるっていいもんだな。」

らしくない台詞だけど、確かにそうだ。
言葉がなかったら、きっと私たちは平行線のままだっただろう。
横になったまま小さくコクリと頷いてみれば、瀬見がふいに私の顔を覗き込む。

「じゃあとりあえず…、もっかいキスしていいか?さっきの両方、猫ん時だったし。」
『え、でも、今私風邪ひいてるし。』
「風邪うつされてもいいから、一回だけ。頼む。」

頼むってそんな可愛らしく言われたら、ダメだなんて言えるわけがない。
言葉じゃダメだとベッドの中に潜って逃げようとするが、ギシリと添えられた瀬見の手に阻まれる。

「跳子−、」
『っ!』

熱っぽい視線と艶っぽい声に射止められ、キスの合間に呼ばれるのは自分の名前。
続けて熱くなった耳元で「好きだぜ」とささやかれれば、もう頭の中は完全に機能停止状態だ。

ガタンとイスが倒れる音が遠く感じる。

言葉の魔力がスゴすぎて、あぁまた熱があがってしまった。

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