●●●私の好きな人
−私の好きな人は、とても爽やかでとにかく優しい。
「スガくん!ここわからないんだけど、教えてくれないかな?」
「俺でわかることならいいけど、わかんなかったらごめんなー?」
授業が終わってようやく休み時間になったというのに、菅原くんは隣の席の女の子に話しかけられている。
彼らの2つ後ろの席にいる私にはそれがよく見えてしまうのだ。
隣という幸せな場所にいるのだから、休み時間くらい解放してあげて欲しい、なんて。
心の中で自分勝手に毒づきながら、私は授業道具を机にしまった。
逆に自分が隣だったらと考えれば、やっぱり休み時間も話しかけてしまうのが簡単に想像できる。
−私の好きな人は、すごく爽やかでどこまでも優しい。
でも、それだけじゃない。
私の表現力が乏しすぎて伝えきれる気はしないが、何と言うか、とにかく真っ直ぐですごくかっこいいのだ。
緑色の大きなネットで二つに仕切られた体育館で、出番待ちの私は反対側のコートに視線を送る。
今日の体育。
女子はバスケ。そして男子はバレーボールのようだ。
「大地!」
ネット際で力強く跳んだ澤村くんに合わせて、菅原くんがスッとボールを送る。
それは一瞬の出来事なのにすごくキレイで、妙にしっかりと瞼に映った。
1秒にも満たないくらいに瞬時の連携なのに、菅原くんはすごく丁寧にボールを送り出しているように見える。
相手のコートにすごい音を立ててボールが叩きつけられ、それを最後にピーッと長いホイッスルが鳴った。
「だぁーっ!ちくしょう負けた!完敗だぁ!」
「菅原!澤村!お前ら本気出し過ぎだべ!」
相手チームの男子の一人が菅原くんの首に腕を回してヘッドロックを決めた。
「ぐえっ」なんてわざとらしい声を出した菅原くんに向かって、その隣にいた澤村くんがにっこりと不敵な笑みを浮かべながら呼び掛ける。
「こっちだってサッカーの時さんざんやられたしな。なぁ、スガ。」
「おー。それに俺らバレーボールで手抜きなんてできねーし。」
「確かに。」
解放された菅原くんは冗談っぽく口にしているけれど、それはきっと真実で。
バレーボールに懸ける彼らの姿勢を表しているように思えた。
さきほどのドキドキの余韻に浸るように見つめていたせいか、クラスの男子たちに囲まれてコートから出る菅原くんとバッチリ目が合ってしまう。
途端にニッと歯を見せて笑った菅原くんが、勝利のピースサインを送ってくれて。
大きく一度高鳴った心臓を押さえこみながら、私もピースを送り返した。
−私の好きな人は、めちゃくちゃ爽やかで心底優しくて、でも真っ直ぐで芯が通ってて男らしくて超かっこよくって…(略)。
何が言いたいかと言えば、つまり、そんな彼に惹かれるのはもちろん私だけじゃないってことだ。
一人残った教室で、何をするでもなくボーッと頬杖をつきながらそんな事を考える。
呆けた見た目と違って、私の心の中は随分と混沌としていた。
そう。菅原くんのことを好きだという女の子は多い。
彼のそれはみんなに対しての分け隔てのない優しさだと理解していても、目の当たりにすればどうしたって勘違いしてしまいそうになる。
それでも菅原くんは、入学してから最上級学年に進級した今でも、特に誰かと付き合うという話は聞かなかった。
才色兼備の生徒会長や、一つ年下の可愛いと有名な子が菅原くんに告白したらしいという噂を聞くたびにヒヤヒヤとしたけれど、その後に続く話は聞かなかったから多分そういうことだろう。
菅原くんはバレーボールに全力を注いでいることは明らかだし、もしかしたらそれが理由なのかもしれない。
自分でも嫌なヤツだとわかっていても、私はホッと胸を撫で下ろす。
と同時に、自分の気持ちを伝えようという気持ちがしおしおとしぼんでいってしまって。
菅原くんを好きになってから、何度も告白しようかと考えてはこうして怖気づいての繰り返しだ。
ダメ元でぶつかるには惜しい程度の距離にいる私たち。
クラスで何かイベントがあると、自然と一緒のグループになれちゃうくらいに仲良くなれた。
「跳子!」と彼がニッと笑いながら私の名前を呼んでくれるたびに、ドキドキするのを必死で隠した。
そうしないとこの関係が壊れてしまうかも、と思うと、どうしたって怖い気持ちが前面に出て、私の言葉を踏みとどめる。
(−まぁ、言い訳だってわかってるんだけど。)
うだうだと考える自分の頭にツッコミを入れれば、ふぅと思わずため息が漏れた。
幾度となく考えてはやめてきたけど、もうそろそろ、隠すには気持ちが大きくなりすぎて。
見てるだけでたまに泣きそうになるくらい、溢れ出しそうで。
それならきちんと伝えてしまいたい、という想いがもう喉元までせりあがってきている。
(とりあえず、ここで考えてても仕方ない。言うなら言うで、菅原くんの迷惑にならないようなタイミングを考えないと。)
まとまらない考えを追い出すように頭を振って、そろそろ帰ろうかと立ち上がりかけた時、ガラリと教室の扉が音を立てた。
「あれ?跳子。」
『!すっ、菅原くん!?』
「何してんの?こんな時間まで一人で。」
『べっ、べべ別に何も、って痛ッ!』
「ははっ!今すっげー音したけど大丈夫?」
扉の奥に立ってたのはまさかの菅原くんで。
ビックリして思わず急に立ち上がってしまい、むき出しの膝を机の脚にガンッと勢いよくぶつけてしまった。
赤くなった膝がジンジンと痛いが、それ以上に菅原くんの笑顔が眩しすぎて目と胸が痛い。
そのまま教室の中への足を踏み入れる菅原くんの姿を確認してから、フッと目を逸らした。
まだ部活の最中なのか、汗に濡れたTシャツが妙に色っぽく感じる。
『す、菅原くんこそどうしたの?』
「おー。新しいサポーター、持ってきたのに忘れちゃってさ。」
そう言いながら自身のロッカーを漁る菅原くんの後ろ姿を、チラリと視界に入れる。
すぐにサポーターは見つかったみたいで、袋を片手にふっと肩をおろした菅原くんが、そのまま私の方に顔を向けた。
「で?跳子は結局何してんの?」
『えっ。』
「俺はちゃんと答えただろー?ずるいべ。」
冗談っぽくニッと笑った菅原くんの言葉に、私は何と答えていいかわからなくて。
実際に何かしていたわけじゃない。いうなれば、菅原くんの事を考えていただけだ。
言えるはずがないそれに顔の熱があがっていく。
それなのにこれといって適当につける理由も浮かばず、ただただ沈黙だけが流れてしまって。
『……。』
「…あー、もしかして、さ。」
気まずさに俯いている私の耳に、変わらない距離から菅原くんの声が降ってきた。
「誰か待ってる、とか?」
『っあ、うん!そう!そうなの。』
バッと顔をあげて、思いっきり首を縦に振る。
何も思い浮かばない私は、とにかく菅原くんの言葉に乗ることにしたのだ。
しかし、焦りばかりが募っていたせいで、何故か少し言いにくそうにしている彼の様子には気づかなかった。
「そうなんだ。…それってさ。」
『うんうん。』
「もしかして、彼氏?」
『そうそう。…えっ?』
勢いのまま一度肯定して、そして固まる。
(菅原くん、"彼氏"って言った…?)
今、多分、私は答えを間違った。
色々と頭がぐるぐるしていたせいか、そう気づくまでに少し時間がかかってしまって。
慌てて否定しようと口を開きかけた時、思いがけず、菅原くんがくしゃりと笑った。
「…そっか。跳子に彼氏できたとか、俺知らなかったわ。」
『あ、』
「おめでとうな。」
『!』
大好きな菅原くんの笑顔が目の前にあると言うのに、私の視界は色が反転しているみたいに真っ暗になる。
祝福の言葉が残酷に刺さった。
(おめでとう、なんだ…。)
私に彼氏が出来るということは、菅原くんにとっては祝えることなのだ。
たった5文字に含まれたその事実が痛いほど悲しくて、私は再び下を向いて唇を噛んだ。
実際には彼氏などいないのだから否定しないと。
笑って「そんなハズないじゃん」なんて冗談ぽく言えばいい。
−グラグラ揺れる頭でもそれは解っているのに、どうしても言葉にできない。
「…俺、そろそろ部活戻るな。」
結局何も言えないまま、目さえ合わせることができないまま、優しい声でそう言って菅原くんは教室から出て行った。
その背中に伸ばした手は、ゆっくりと閉められた扉に遮られる。
再び一人になった教室で、私はしばらく呆然としていた。
外から運動部のかけ声が響いているのに、頭までは全く届かない。
急に立っている足元が崩れていくように感じ、傍らにあった自分の机に手をついて不安定になった身体を必死で支えた。
『…っく、』
とうとう堪えきれず、嗚咽と一緒に涙がボロリとこぼれた。
支えていた手を離し、その場にうずくまる。
声を押し殺すようにしてそのまま少し泣いた。
(告白する前に、失恋かぁ…。)
顔を起こしてみると、制服のスカートにすっかりしみができてしまっていた。
−私の好きな人は…、爽やかで優しくて、でもたまに残酷だ。
あれからうまく、話せていない。
だからといって心は諦めてくれるはずもなくて、未練がましく彼の姿を探す。
でもたまに目が合っても、どちらともなく視線をはずしてしまったり。
「…鈴木、大丈夫か?」
『え。』
気付けば隣の席の澤村くんが、心配そうに私の顔を覗きこんでいた。
いつの間にかHRは終わっていたらしい。
「ずっと顔を伏せてたし、体調悪いんじゃないのか?早く帰った方が…、」
『だ、大丈夫だよ。心配かけてごめんね!ここで少し休んだらすぐ帰るから。』
「…そうか?無理するなよ。」
なおも心配顔のままの澤村くんに、「ありがとう」とだけ伝えて手を振った。
最後にもう一度振り返ってくれる優しさに、少しだけ心が温かくなった。
ついでに教室内をそっと見回してみるけれど菅原くんの姿はもうないようで、残念なような安心したような複雑な気持ちに、つい大きなため息をついた。
なんでこんなことになっちゃったんだろう?
これならとっとと告白して、気持ちを伝えてしまえばよかった。
結局同じフラれるという結果になったとしても、今の状況よりだいぶマシだったかもしれない。
あの日と同じく一人残った教室の自席で、私はあの日の苦い記憶を辿った。
そしてハッと気づく。
(そうだ、私。菅原くんに自分の気持ち言ってない…。)
彼が私に対してなんとも思ってないことを知って勝手にショックを受けていたが、そういえば私は何も言っていなければ直接答えをもらったわけでもなかった。
どうせ気まずいままならば。
いっそ逆に覚悟の決めようもあるってもんじゃないだろうか。
(やっぱり、言おう!)
そう決めた私は勢いよく立ち上がった。
ギッと椅子のすべり止めが嫌な音を立てたけど、別に気にならない。
菅原くんは今日も部活のハズだけど、終わるまで待って少しだけ時間をもらおう。
LINEでもしておこうかとバッグに手を伸ばした瞬間、また予想外にガラッと勢いよく扉が空いた。
「っ跳子!」
『わぁっ!』
思わず声に出して驚いてみれば、そこには開いた扉に手をかけたまま、肩で息をしている菅原くんが立っていた。
『菅原くん…!』
「よかった、まだいてくれて…。大地に、跳子が教室にいるって聞いて…。」
そんなに走ってまで私に何か用事があったのだろうか。
こんな時なのに、単純にそれが嬉しかった。
それにどちらにしても、これは私にとってもすごいチャンスだ。
『あの、私も菅原くんに話があったからよかった。』
「話?俺に?」
『あ、でも今じゃなくてもいいの。時間ないだろうし、部活後でも…、』
「部活後?跳子、俺が終わるの待っててくれんの?」
うざいと思われたかな、なんて思いながら、私は恐る恐るコクリと頷いた。
それを見て菅原くんが、少し驚いた顔で息を飲んだのがわかった。
「…あぁもう!やっぱ諦めるとか絶対無理だべ。」
少しの間の後、菅原くんがそう言いながら柔らかそうな髪をかき混ぜ、そして次には私の方を見据えた。
「ここんとこ、変な態度とっててごめん。」
『え?菅原くん、が?』
変な態度をとっていたのは自分の方だ。
何か聞き間違えたのかと思って聞き返したが、菅原くんはまっすぐ私の見つめたまま大きく一つ頷いて。
「俺、跳子に彼氏いるって聞いて、どうしていいかわかんなくなったんだ。」
『…っあれ、は』
「あん時は必死に笑ったけどもう限界いっぱいで。びびってたせいで誰かに先越されただなんて、ほんと情けなすぎるけど。」
相変わらず真剣な表情のまま、少しだけ困ったように眉根をさげる菅原くん。
口を挟みかけた私の言葉は、そのまま出ることなく飲み込まれる。
「俺は…、俺は跳子が好きだ。」
菅原くんと見つめあったまま、私は目を見開く。
信じられない言葉が聞こえた。
「たとえ今更でも、それでも言いたくて。…自分勝手でごめんな。」
私はあのまま教室で一人眠りこけてるんだろうか。
それでこんな都合のいい夢でも見てるんだろうか。
もしそうだとしても、私が言うべき言葉はたった一つだ。
『ほんと、に?』
「うん。」
『ちょっと、嬉しすぎておかしくなりそう。』
「…?」
『私も菅原くんが好きです。ずっとずっと、好きだったの。』
今度は菅原くんが目を見開く番だった。
「え?」としきりに繰り返しながら焦る珍しい姿に、私は小さくふきだしてしまう。
「だって、あれ?跳子、つきあってる人が…。」
『そんな人、いないの。その、誤解、というか。…私が悪いんです。ごめんなさい。』
「は?」
『私が好きなのは、あの時も今も、菅原くんだけです。』
事態を飲み込めない様子の菅原くんに、あの日の誤解をざっくりと話した。
ようやく意味を理解した時には、呆れたように笑ってくれて。
「なんだよー。俺、本気でキツかったんだけど…。」
『ご、ごめん。』
「あーでもあんま謝らないで。その単語、告白した身としては結構ビビるから。」
へなへなとしゃがみ込むようにその場で頭を抱えた菅原くんに私は謝罪の言葉を口にするが、それも止められてしまった。
もう一度謝りそうになる口を押さえるが、下から菅原くんが私の手を引いた。
次の瞬間には、私は机の影で菅原くんに抱きしめられていて。
「ならさ、こうしても怒らないってこと?」
『えぇっ?!いや、別に怒らない、けど…。』
「あのさ、跳子。俺と付き合ってよ。」
『!』
少し腕の力が緩んだ時に、間近にある菅原くんの顔が見えた。
その目を見ながら頷こうとするが、ニッと笑った菅原くんに止められる。
「俺そろそろ部活戻らないと、大地に怒られっから。そんかし、帰りに答えちょうだい。待っててくれんだべ?」
『え、』
「んで、その時色々聞きたいことたくさんあるから。あの時の詳細とか、"ずっと"がいつからなのか、とか。」
『えぇっ!?』
菅原くんの笑顔が、少し意地悪そうに見えたのはきっと気のせいなんかじゃない。
でも教室から出ていく彼の耳が真っ赤になっているのを見て、私は思わず顔が綻んだ。
−私の好きな人は、あれから毎日色々な顔を見せてくれる。
大人びていたかと思えば子供じみてみたり、誠実なのにたまにすごくズルかったり。
でもそのどれもが私を幸せにしてくれるから、私はきっとどんな菅原くんだって好きなんだ。
そんな風に菅原くんに伝えてみたら、照れくさそうに笑ってそのまま私の目元にキスをする。
「俺も跳子のいろんな顔が見たいから。ずっと一緒にいような。というか、俺がもう離さないし、跳子にはそれ以外の選択肢はないんだけどさ。」
そう囁いた菅原くんが、また見たことのない顔をしていた。
小鳥様、リクエストありがとうございました!
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