●●●特別なあなたと平凡な私
なんとかごまかそうとしたものの、あの及川から逃れられるわけもなく、私は結局夏の海に来ていた。
昨日あんなに願ったのに、残念ながら今日もカンカンに晴れている。
来る途中にげんなりとした顔で太陽を見ていたら、隣で「さすが俺!晴れ男!」と言っていた及川が腹立たしかった。
及川と二人きりで海、だなんてただでさえ緊張するというのに、その上こんなに暑いとは、もうクラクラを通り越してぶっ倒れてしまいそうだ。
人で溢れる更衣室で、私は鏡を覗き込む。
なんだかんだ言いながら新調してしまった水着を見て、私は今更ながら恥ずかしくなってきてしまった。
友達に選んでもらったけど、やっぱりビキニはやめておいた方がよかったかも。
−堂々としてりゃいいのよ!皆水着なんだから!
友人の言葉を思い出す。
確かにおっしゃる通り周囲にいる子も水着姿ではあるんだけど。
そう思いながら辺りをチラッと見て、大きなため息をついた。
(みんなスタイルがいいから逆に厳しい気がするんですが…。)
まぁでも今更言っても仕方ない。
パッと上にパイル地のパーカーを羽織って、私はいそいそと外に出た。
「お待たせ!ってか跳子ちゃん着替えるの早くない?!」
『…面倒だから下に着てきたし。』
「おー随分楽しみにしてくれて…、」
『"面倒だから"って言ったじゃん!』
海の家の前でそわそわと立っていたら、男子更衣室から出てきた及川がすぐに気づいてくれた。
笑顔×水着のコンボが眩しすぎてあまり直視できないけど、私は必死で普通を装う。
というか私の普通=憎まれ口なのが、自分でもどうかとは思ってるんだけど。
会話中目を合わせられずに足元の砂をいじっていたが、及川はその後何も言わなくて。
不思議に思ってそっと顔をあげると、がっつりと私を見てる及川と目が合った。
「ん。跳子ちゃん、すごい可愛い。その色似合うし、俺の好きな色だから嬉しいよ。」
『あ、う。』
ストレートに褒められて、恥ずかしいやら嬉しいやらきまずいやらで、私は言葉を紡ぐことが出来なくなる。
しかもいつもみたいにふざけた感じじゃなくて、あの及川が少し照れているような。
じっと見つめるその熱っぽい目に耐えきれなくなった頃、及川がフッと視線を緩めた。
「でも、そのパーカー邪魔なんだけど。そんな上までピッチリ閉めなくても…、」
『う、うるさいなっ。もう行くよ!』
ようやくいつもの口調に戻った及川にハッと呪縛が解ける。
パーカーの裾をひっぱったままくるりと背を向けて歩き始めれば、慌てた様子で及川が隣に並んできた。
背の高い及川が隣に立つと日の光が遮られて、ほんの少しだけ涼しくなったように感じた。
「それにしても、跳子ちゃんが楽しみにしてくれててよかったなぁ。」
『まだ言うの?それ。』
「だって俺だってそれなりに緊張してたからさ。…でもあまり一人にはしたくないから、見つけた時は焦ったよ。」
『別に迷子になんてならないし平気だけど。』
「いやいやいや、夏の海辺は危険がいっぱいなんだってば!浮かれた男とか何するかわかんないんだからさ!」
及川のする必要のない心配に呆れつつ、私はそれを隠さず視線に乗せた。
力説するように力を込めていた手を降ろして、私の言いたいことを察した及川が、その形のいい目を丸くする。
「跳子ちゃん?!何その"一番の危険人物"を見るような目つき!」
『…よくわかったね。』
無遠慮に投げ掛けた言葉に「ヒドイ!」といういつもの及川の台詞が返ってきて、それに笑ってしまえば少し緊張が解けた気がする。
やっぱり素直にはなれないけど、こういう方が話しやすいんだ。
それからようやく二人で海の中へ入っていく。
足だけつけてみれば夏の太陽で温く感じる水温も、お腹まで浸かろうとすればやっぱりひんやりとして覚悟が必要だった。
パシャりと恐る恐る自分に水をかけてみれば、熱を持ち始めていた肌が水が触れてぞわりと粟立つ。
気合を入れるように深呼吸をしていると、隣で「跳子ちゃん」と及川が呼び掛けてくる。
振り向いてみれば、いつもより数倍爽やかに飾ったような嫌な笑顔をしている及川を見て、私はひ、と思わず息を飲んだ。
「いつまでそうしてるのか、なっ!」
『ぎゃあ!』
予想通り、及川が笑顔のまま容赦なく海水をバシャリと私の上半身に引っかける。
私は私のタイミングで水に触れようとしていたのに、それをはずされて被った水は思ったよりも冷たく感じた。
私の反応を見てケタケタと笑う及川に、仕返しとばかりに水をかけようとするが、奴は腹立たしいことに器用に避ける。
ムッとした私はもう一度水をかける振りをして、避けた及川の肩口をドンと押した。
「おわっ!」
そんなに強く押したつもりはなかったが、背の高さから私よりも水から出てる面積が大きかったせいか、及川は思ったよりも大きく仰け反り簡単にバランスを崩した。
バシャーン
「……。」
『ぶっ!あはははは!及川、ワカメ、が…!』
背中から豪快に海に倒れ込んだ及川が、すぐに上半身を起き上がらせると、ポタポタと水を滴らせる頭に真っ黒いワカメのような海藻がのっかっていて。
いくらイケメンで有名な及川でも、その姿はどう見ても滑稽だった。
「ちょっと!笑いすぎでしょ!」
怒りながらポイとそれを捨てた及川にグイと引っ張られて、私も水の中へ。
及川の体にぶつかりながらも支えられ、もう身体は水温に慣れていたけれどやっぱり思わず声を出してしまった。
普段見た目からはよくわからない、男っぽいしっかりした体躯。
直接触れる場所が大きくて、ドキドキするのが止まらない。
「…ごめん、強く引っ張りすぎたね。」
『うう、ん。大丈夫。』
ゆっくりと二人で起き上がりながら、なんだかどぎまぎとした空気が流れる。
それでも私たちの距離はいつもより近いまんまで。
海って、すごい。
多少くっついたり甘えたりしてもそれが自然な気がしちゃう。
普段なら絶対に無理な私がそんな風に思えるなんて、と動悸がおさまらない胸を一人ぐっと押さえた。
一通り水の中で遊んだ後、小腹のすいた私たちは一旦砂浜にあがった。
借りたパラソルの下で体を軽く拭いていると、及川が遠くを見つめながら「んー」と声を出した。
「海の家は混んでそうだから、ここで食べちゃおうか。」
『そうだね。』
「じゃあ適当に食べ物買ってくるよ。跳子ちゃん、待ってる?」
『いや、それなら私は飲み物買ってくるよ。あっちに飲みたいのあったし。』
「えー。跳子ちゃん、行くなら一緒に行こうよー。」
私が指したのは食べ物の屋台とは反対側だったからか、及川がブーブーと口を尖らせる。
だってさっき更衣室から出たところの自販機に、私の好きな、でもなかなか普段は置いてないマイナーなドリンクがあったのだ。
二人で正反対の場所に連れ立っていくのは非効率というもの。
そう伝えれば「わかったよ」と言いながら及川がふぅと肩を落とした。
「すぐ戻るから!跳子ちゃんも気を付けてね!」
『別にこの距離で迷ったりしないってば!』
ビシッと指をさされながらそんなことを言われる。
そんなにうっかりしてそうに見えるのかとちょっと心外だ。
とっとと飲み物を買って急いで戻ろうとすると、でも確かに同じような景色に同じようなパラソルが並んでいるせいか、一瞬迷ってしまった。
これなら心配する気持ちもわからなくはないかもしれない。
(…というか、及川のがちょっと遅くない?)
パラソルの下で飲み物を片手に座りながら、急に心配になる。
食べ物の方が並んだり作ったりで待ち時間もかかるだろうから、私の方が先なのは当たり前であったが、もしかしたら迷ってるんじゃないかと不安になって私はスッと立ち上がった。
食べ物のある屋台とかが建ち並ぶ方向に足を向け、キョロキョロと辺りを見回しながら歩いていくと、割とすぐに聞き覚えのある声が耳に入った。
「−本当にごめんね。」
「えー。だからそれなら一緒に遊んでよー。」
「そうだよー。」
及川の声に続いて、知らない女の子の声が聞こえてくる。
声の方にゆっくりと振り向くと、食べ物を両手に持ちながら、キレイなお姉さん二人に笑いかけてる及川の姿が見えた。
あれは俗にいう、逆ナンってやつだろうか。
『……。』
なんだかすごくムカムカして、私は何も言わずにその場を後にした。
(何が"夏の海辺は危険がいっぱい"、よ。誘惑がいっぱいで幸せそうじゃんか。)
あんなにたくさん日焼け止めを塗ったのに焼けてしまったのか、肩がチリリと痛んだ。
それと一緒に、胸にも刺すような小さな痛みが走る。
私はどうしようもないくらい、及川が好き、なのだ。
でもやっぱり及川は特別すぎて、対して何もない私は彼の側にいられる自信なんてこれっぽっちも持てなかった。
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