長編、企画 | ナノ

プロローグ


ふわふわふわ ゆらゆらゆら


水の中で漂っているような、雲の上に寝ているような、そんな不思議な感覚。
気持ちいいんだけど、どこか頼りない。
そんな小さな不安も確かに覚えるのに、ただ流されていたいと思ってしまう。

そもそも動こうにも身体がうまく動かない。
まぁ動かさなくてもいいなら、それはそれで別にいいような気もしてきた。
目は瞑っているけど、何故か周囲の景色は見えている。
でも上も下も右も左も真っ白いだけでどうせ何もないから、見えていなくてもきっと同じだろう。

ふわふわとたゆたうように揺られていると、どんどんと満ち足りた気分になってきた。
そのまま運ばれていく。風もないのに。
先程の小さな不安など、覚えたことすらもう忘れていた。


(…私はどこに向かってるのかな。)

ぼんやりと霞がかったような頭に、ふとそんな疑問が浮かんだ。
途端に"そんなことを考える必要はない"という気持ちが湧きあがるが、どうしても手放しちゃいけないような気もして。

いや、そもそもどこか目的地があるのだろうか。

突き詰めてよく考えてみれば、何でここにいるのか、いつからいるのか、何をしようとしてたのか。
そのどれもが何一つ答えはなく、ただあやふやで。
それどころか自分が誰なのかさえ全然思い出せないことに気が付いた。


−急に、怖くなった。
心地いいのが、余計に怖い。

動かない身体でがむしゃらにもがきながら、音にならない声で助けを呼んだ。
ここにいちゃいけない。飲み込まれちゃいけない。
それを抑え込もうとする自分の中の何かに必死に抗う。

その時、ふわふわの気持ちいい白い世界が不安定にぐにゃりと歪んだ。
歪みの合間に入った亀裂の隙間から見えた、夜空のような濃紺の世界と漏れ出す光。

自分がよく知っている世界がそこにあると思った。
何も思い出せないくせに。

あそこは、ここみたいに心地よい幸せだけじゃない。
痛みも悲しみも相応にある不条理で不公平な世界。
わかってる。でも、戻りたい。

誰かの声が、聞こえた気がした。
自分の名前はやっぱりわからない。
でも確かに私を呼んでいる声だった。


それに導かれるように身体が隙間に吸い込まれ、私は濃紺の空の中に溶け出していった。

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