長編、企画 | ナノ

今日という日は


駆け込むように教室に戻れば、もうそこには同じ教科係の梅木多さんしか残っていなくて。
大きな音をたてて飛び込んできた私の勢いに圧され、ビクッと肩を震わせた彼女が息を吐き出すように笑った。

「び…っくりしたぁー!」
『ご、ごめんなさい。』

座っている梅木多さんに慌てて謝れば、彼女はブンブンと手を降る。

「ううん、鈴木さんでよかったよー。提出ノートの集計しようと思って!いつもやってもらってばっかりだから私もやるよー!」
『え、でも私何もしてないから…。梅木多さん、部活ありますよね、預かりますから大丈夫ですよ。』
「いや、私も別に何もしてないよー。それに今日は部活休みなんだ。いつも任せちゃってごめんね。」

そう言って微笑んだ梅木多さんが、私の答えを聞く前に立ち上がり、私の前の椅子をガラガラと引いた。

申し訳ないと思いながらも私も席につき、持っていたチェック用のノートを開く。
でも未提出者は10人だからそんなに時間はかからない。

ノートを出席番号順に並び替えながら、梅木多さんが色々と私に話しかけてくれる。
彼女とは去年も同じ係を一緒にやったことがあるけれど、こんなにたくさん話すのは初めてだと思う。
二人であっという間に集計を終えて、キレイに積み上がったノートに顔を乗せた梅木多さんが改めて私を見る。

「…実は私、鈴木さんとずっともっとお話ししてみたかったんだよねー。」
『?!』
「女の子達でよくそう言う話になるんだよ。あと、髪切ったらもっと絶対可愛いのになぁとか。」
『っ、そんな事、ないんです。本当に…。』
「あっごめん!何か理由があるのなら無理強いするつもりはないしいいんだ!でも皆仲良くしたいなって言ってるのは本当だよ。ね、今度一緒にどっか行かない?」

どうしよう。
梅木多さんの言葉を嬉しいと思ってしまう自分に戸惑う。
同時に中学校の時のことが頭をかすめて心が一瞬ヒヤリと冷たくなり、私は返事に躊躇ってしまう。

ここの女の子たちは皆優しい。それはこの一年間で解っているし、"あの子"とは違う。
…でも関わらなければ、万が一にも傷つくこともないのだ。


回る思考に私が言葉を詰まらせていると、急に教室の扉がガラリと勢いよく開いた。
私達も自然とそちらに顔を向ければ、何も言わずに大股で教室に入ってきたのは部活着姿の岩泉くんだった。

『っ!』
「あれ?どうしたの岩泉くん。部活サボリ?」
「そんなわけねーだろ。忘れもんしたんだよ。」

眉根を寄せて真面目に返事をしながら真っ直ぐに自分の机に向かう岩泉くんを見て、梅木多さんが笑う。
岩泉くんが部活をサボるなんて誰も思わないから、きっと彼女なりの冗談なんだろう。
私はもちろん何も言わなかったけど、ついつい目線だけは無意識に岩泉くんを追っていたようで、こちらをチラリと見た彼と目が合ってしまい小さく息を飲んだ。

「鈴木も居たんだな。さっきはプリント、さんきゅ。助かった。」
『う、ううん!むしろすぐに気づかなくてごめんなさい。』
「何でお前が謝るんだよ。変なヤツだな。」

そう言ってハハッと目を細めた岩泉くんに心臓が飛び跳ねそうになり、私はぎゅっと胸を押さえた。
向けられた笑顔が嬉しいのに、でも上手く言葉を返す事ができなくて。
そんな私を気にするそぶりのないまま自席にたどり着いた岩泉くんに、梅木多さんがもう一度声をかけた。

「何忘れたの?宿題のプリント?」
「そんなんわざわざ取りになんて戻らねーよ。」
「ふーん。じゃあ大事なモノ?お財布とか。」
「部活で使うタオル。…まぁ大事なモンだな。」

私は信じがたい言葉と光景に驚いて、前髪の下で目を見開く。
黙って聞いていた二人の会話とともに視界に飛び込んできたのは、あの日私が置いておいたタオルで。

(今、"大事なモノ"って…言ってくれた。)

別に岩泉くんはそのタオルが私からだと言う事には気づいていないし、きっと今から部活で使うからとかで、発言にそんな深い意味がないのだろう。
それは解っていても私の心臓はおかしくなりそうだし、なんだか感極まって泣きそうなのを必死に堪える。

「…鈴木?なした?」
『え…?』

岩泉くんの疑問の言葉に、思わず声が出る。
梅木多さんもこちらを見て、何のことかわからないと言った顔で岩泉くんの方を向き直る。

「何が?鈴木さんがどうかしたの?」
「いや、顔があけーからどうかしたのかと思ってよ。」
「『えっ!?』」

今度は私と梅木多さんの驚きの声がカブった。
顔は隠れているはずなのに、そんな、赤いなんてなんでわかるの?

驚いて岩泉くんを見あげていたらいつの間にか梅木多さんからもじーっと覗き込むように見つめられていて。
ハッとそれに気付いた私は慌てて隠れるように俯いた。

「よくわかるね岩泉くん。んーー、言われてみればそんな気も…?」
『そ、そんな事ない、ですよ。』

かろうじてそれだけ呟くと、少し間が開いてから岩泉くんがくっと笑ったのが聞こえた。

「…まぁお前がそう言うならそういう事にしておいてやるよ。」
『…。』
「鈴木のその髪、便利な事もあるんだな。」

俯いたままの私の視界にいきなりゴツゴツとした指先が飛び込んできたかと思えば、それが私の前髪をほんの一束だけつまんだのが見えた。

『?!!』
「まぁでも目には悪そうで俺的にはちょっと心配だけどよ。…じゃあな。」

再び驚きで顔を上げた私の髪を離して、岩泉くんが何故か楽しそうに肩を揺らしながら教室から出て行く。
本日二度目のバイバイには、私は言葉を返すことすらできなかった。

「へぇ。鈴木さんて岩泉くんと結構仲が良いんだね。」
『?!』

状況がよくわからなくてパニック状態の私に、さらに投げ掛けられた梅木多さんのアリエナイ言葉。
私は岩泉くんの名誉のために、ブンブンと首を横に振ることしかできない。


−あぁ、今日は一体、何という日なんだろう。

私の何でもない一日を特別な日にするのは岩泉くんだけだけど。
こんなに幸せだと、明日からただの日常を過ごすことができなくなりそうで少し怖くなるんだ。


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