長編、企画 | ナノ

届かない声


(※98、99話には犯罪行為表現が出ますのでご注意願います。)


気まずい空気の中、どちらも動くことも言葉を発することもできずに数秒の間が流れる。
それをやぶったのは、跳子のくしゃみだった。

『っくしゅ!』

それにハッとして動き始めた姫野が、落としたバッグからタオルと白鳥沢のジャージを差し出す。

「…コレ。予備だから気にしないで使って。」
『あ、でも…』
「いいから。…そのままだとさすがに風邪ひくわよ。」

おずおずとそれらを受け取って、濡れてしまった烏野のジャージを脱いだ。
Tシャツまではあまり濡れていなかったので、少し濡れた頭と首元を拭いてから白鳥沢の高等部のジャージに肩にかけた。
冷え始めた身体にすごく温かく感じた。

『…ありがとう。姫野さん。』
「…別に。」

また少し間が流れる。
すると姫野が意を決したように口を開いた。

「跳子…。今少し話、できる?」
『う、ん…。別に早く来ただけで、私は何もないから…。』

すぐそばにベンチが並んでいるのが見えたので、二人で無言のまま、そちらに場所を移す。


「謝って許されることじゃないけど…ごめんなさい。」

ベンチに移動したものの、跳子に座るように促した後、自分は座るでもなく姫野が深く頭をさげた。

「…なんてことをしちゃったんだろうってずっと思ってた。謝れないまま卒業しちゃって、高等部に行ったら跳子がいなくて。最初は正直、少しホッとしたの。罪悪感から逃げられるかもって。でも、全然そんなことなかった。自分がやらかしたことから逃げられる訳がなかった。」
『…。』
「部活でもあんたのようにやらなきゃ、代わりにならなきゃって必死でマネージャーやってるけど…跳子みたいに、なんて全然できなくて…。」

姫野が自嘲するように苦笑を浮かべた。
泣くのを必死に堪えているようにも見える。

「…それでも跳子が、バレーボールを…、マネージャー続けててくれてよかった。」

そして最後にもう一度姫野が「ごめんなさい」とハッキリと言った。

『…私、ずっと勘違いしてたのかも。』

それまで何も言わなかった跳子がボソリと呟く。

何故かはわからないけれど、姫野を見ていたら急に頭の中で思うことがあった。
姫野と最後に話した時、"なんで何も言わないのか"と泣きながら彼女は言った。
跳子は、その時に向かい合ってるのに黙ってた自分に言った言葉だと思ってた。
でも、もしかしたらそれは、姫野とのそれまでのことを跳子が牛島に言わなかったこと自体に言ってたのかもしれない。

(若くんのこと諦めようとして、でも自分ではできなくて、それならと嫌われようとしたのかもしれない…。)

少なくとも、あぁなる前の仲良かった頃の彼女はそういう人だったような気がする。

『…姫野さん。』

考えながら下を向いていた跳子が、真剣な顔をあげた。

『確かに私、あの頃はすごく辛かったし、バレーボールも続けるつもりもなかった。…でも今は自分が全く悪くなかったとは思ってない。あそこまで姫野さんが追い詰められる前に、私がちゃんと向き合って話せばよかった。あなたと喧嘩してでも、やり方が間違ってるって止めてあげればよかった。』
「跳子…。」
『姫野さん…苦しませて、ごめんなさい。』
「…だから嫌なのよ。」

跳子が顔をあげれば、姫野の顔がくしゃりと歪んでいるのが見えた。
泣き出す直前の顔だ。

「あんたが謝る必要なんて、全然ないじゃない。優しすぎるのよ…!」

あんなにひどい事をした自分に、なぜそんな言葉が出てくるのか−。
責められたり叩かれても仕方ないと、むしろ口も利きたくないと立ち去られてもおかしくないとすら思っていた姫野の目からボロリと涙が零れた。
許されるわけにはいかないと思っているのに、跳子の目に怒りの色が見えなかった。

「ごめん…。」
『ううん。−もういいから。』

自分が泣く立場ではないと思っていた姫野が、深呼吸して気持ちを落ち着ける。
ふぅと息を吐ききって、真っ赤な目のまま跳子の方を見据えた。

「…私ね、こないだ牛島先輩に告白したの。先輩が驚いててビックリした。−絶対跳子から私の気持ちを聞いてると思ったから。」

その話を聞いた跳子が、少し目を見開く。

「牛島先輩、少し考えてからあんたとのことは全く言わずに、でもバレーが理由じゃなくて"好きな人がいる"って断ってくれた。それから、"ずっと部を支えてくれてありがとう"って…。先輩も跳子も優しすぎるよね。でも私、それだけでなんか報われたような気がする。」

姫野が、宙を見つめながらふっと微笑んだ。
跳子の目に、それはすごくきれいに見えた。

「ずっと跳子が羨ましかったの。本当にゴメン。あと先輩に、私の気持ちを黙っててくれてありがとう。」


あの頃の自分たちが何処から何をどう間違ってしまったのかわからない。
でも、それでも今日姫野と話せてよかったと跳子は思った。

『ジャージ、貸してくれてありがとう。タオルと一緒に洗って返すから。』
「別にいいわよ、学校でまとめて洗うから。あんただって部活であまりこっちに来る暇ないでしょう?」
『そういうわけには…。あ、じゃあ…後でうちが勝ったら返しに行くね。』
「あ、言ったわね?じゃあ今日は返ってこないって事ね。」

ニッとお互い笑ってから、手を振りあって別れた。

なんだか清々しい気分でスーッと息を吸いながら空を見あげる。
少し強めの風が、跳子の羽織ったジャージの袖を揺らした。

(白鳥沢高等部のジャージかぁ…。)

何もなければ、自分もこれに袖を通していたのかもしれない。

(でも試合中はさすがにこれを着るわけにはいかないなぁ。先輩にジャージ、貸してくださいって言ってみようかな…。)

袖を通さずに肩にかけたままの白鳥沢ジャージが落ちそうになったのを直しながら、跳子はそんなことを考えてクスリと笑う。

(きっと澤村先輩は優しいから、貸してくれるだろうな。それを着ながら決勝戦を観れたら…なんて。)

足取り軽く歩き出した瞬間、すぐ背後から跳子の名を呼ぶ声がした。男の声だ。
想像以上に近くから聞こえたそれに、人の気配に全く気付いていなかった跳子は驚きながら振り向こうとする。

「…鈴木さん、だよね。」
『あっ、ハイ−』

バチッ

『っっ!!?』

脇腹に何か痺れるような感覚を感じたかと思えば、声も出せないまま跳子の目の前が真っ白になる。
チカチカとホワイトアウトする視界の中で、見覚えのある顔がニヤリと笑ったような気がした。



烏野高校バレー部も、少し早めに会場に到着した。
着替えを終えた澤村がキョロキョロと辺りを見回しながら、携帯を何度も確認する。
東峰が声をかけた。

「大地。跳子ちゃんまだ連絡ない?」
「そうだな。先には来てるはずなんだが…。一応こっちも学校出る前に連絡したが、既読にもなってないな。」
「寝坊ッスかね?」
「田中…。お前じゃないんだから。跳子ちゃんに限ってそれはないっしょ?」
「わかんないですよスガさん!アイツ、実はたまーに抜けてるじゃないですか!」

西谷の言葉に皆で笑う。
こうして心配と不安を吹き飛ばしていれば、きっとひょっこりと現れるだろう。

「何々?随分と楽しそうだねぇ。」
「よぉ。」
「及川!岩泉!見に来たのか。」
「そりゃまぁな。…見届けるくらいさせろよ。」

そう岩泉が小さく笑っていると、横にいた及川が跳子の姿が見えないことにブーブー文句を言い出した。
苛立った岩泉の鉄拳が及川に飛びかけた時、牛島が焦ったように駆け込んできた。
あまりにも珍しい様子に、烏野メンバーも及川、岩泉も驚きで固まる。

「っ跳子は…!跳子はいるか!?」
「牛島!?なんだよ突然。」
「跳子ちゃんなら会場には来てるはずなんだけど、まだ俺達は姿を見てないんだ。」
「跳子ちゃんがどうかしたの?」

チッと一つ舌打ちをして、「実は…」と苦々しげに牛島が話す内容に、皆の顔色が変わる。

つい先程、白鳥沢の荷物の上に封筒が置かれており、そこには跳子を預かっていることと、その無事と引き換えに「出場辞退」を迫る脅迫ともいえる内容が書かれていたというものだった。

「…まだ確認はとれていないが、状況次第ではそうせざるを得ないだろう。」
「牛島!…そんなことを簡単に言うな。」

跳子のためにと辞退をも考えている様子の牛島を、澤村が厳しい顔で止める。

「なぜ止める!?」
「主将くん、跳子ちゃんが大切じゃないわけ?」

聞いていた及川も、冷たい目で澤村を見る。
澤村が唇を噛み締めるようにしながら叫んだ。

「…っそんなもん大切だし、心配に決まってる!ただそれでお前たちが辞退したと知った後、鈴木がどう思うか考えろと言っているんだ!アイツが悲しまないわけないだろう!…自分を責め続けてバレーから離れ、もう二度と笑ってくれないかもしれない。」

ハッとした牛島が、中学の時の跳子を思い出す。
黙ってしまった皆を見て、澤村が自分を落ち着かせるように呼吸を整えた。

「…すまん。とにかく今は鈴木を探そう。自分たちでできることを全てやるんだ。」
「…俺達も協力するよ。跳子ちゃんの為だし、試合もないから動きやすい。」
「…悪い、頼む…。」

そう言って壁に体重を預けた牛島が、重ねた手に頭をのせた。
その手が小刻みに震えているようだ。

(コイツでもこんなに動揺するんだ…。)

見ている誰もが心の中でそう思った時、澤村が牛島に声をかける。

「何か心当たりはないのか?そもそも烏野の鈴木の事で、なんでそっちに…?」
「それが俺達にもよく…」

牛島の答えの途中で、もう一人飛び込んでくるように走ってきた影。
それは白鳥沢の1年マネージャーである姫野だった。

「牛島先輩…!跳子は…!?」
「姫野…なぜここに!?」

顔面蒼白とも言える顔色の女の子が、牛島に駆け寄る。
その勢いに牛島が持っていた脅迫状が地面に落ちた。

「さっき戻って、皆に聞いて…。それに、…ジャージが…」
「ジャージ?それがなんだというのだ!?」

ガタガタ震える姫野に、思わず声を荒げる牛島。
それをゆっくり制して澤村が続きを促す。

「落ち着け、牛島。そんなんじゃ話すものも話せないだろう。…ゆっくりでいい。どうした?」
「…私さっき、跳子と話して…。中学の時の事とか…。それで濡れてたあの子に、白鳥沢のジャージ、貸したんです。後で返すって跳子も笑ってて。なのに…、それが落ちてたって…。」

辿々しくそこまで口にした姫野が、言葉に詰まって小さく泣き始めた。
それを聞いた澤村が、牛島の落とした脅迫状を拾って中を開く。

「…そうだ。何で白鳥沢に脅迫状が届いたのかと思ったが…鈴木が今烏野だということを知らず、なおかつ当然のように白鳥沢にいると思ってるんだな。コイツは。」
「そうか…。さらに白鳥沢のジャージを着てたから疑いもしなかったということか。」

澤村の手元にある脅迫状を見た姫野が、ヒュッと息を吸い込んで小さな声をあげた。
その肩はまだ小さく震えている。

「…私、この字、知ってます…。」
「何!?」

姫野が、震える自分の肩を押さえながらハッキリと口にした。


「中等部の時の、私たちの代の、白鳥沢バレー部主将です−!」



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