●●●決戦前に決着を
烏野が決勝進出を決めたその日、跳子は実家に帰ってきた。
明日の決勝戦に備え、実家にある白鳥沢の以前のデータも参考にするためだ。
昨日・今日で得た白鳥沢の3試合の最新データと比較してみれば、何か見えるかもしれない。
白鳥沢に勝つために自分ができる事は全てやりたかった。
ここから試合会場はそう遠くないので、明日は直接向かうと武田や澤村には伝えてある。
今日は母親が休みなので、食事の支度はお任せだ。
久しぶりに跳子が帰るというのですごく気合が入っているようだし、父親も仕事を切り上げてすぐに帰ってくるらしい。
なんだか少しくすぐったいような気分になりながら、跳子は自室のPCを開いた。
バレーの情報を保存している専用のフォルダから白鳥沢のファイルを検索していくと、今よりだいぶ幼い牛島の写真が出てきた。
思わず跳子が一人で微笑む。
(うわぁ若くん、若いっ!これで中1の時かぁ。もうこの頃は注目されていたんだよね。)
そう思うと白鳥沢に入る前も気になりだす。
やらないといけない事がある時に限って、こう寄り道をしたくなるのは人間の性とも言えるもので。
少しだけ、と自分に言い訳をしながら跳子は別の家族写真等が入っているフォルダも開いてみる。
(若くん、小っちゃくて可愛い〜!…って事は隣でくっついてるちんちくりんは私だよね…。本当に若くんにべったりだったんだなぁ。)
何となく申し訳なくなって、跳子の微笑みが苦みを帯びた。
昔からあまり表情は変わらない牛島だが、それでも跳子が隣にいる写真は少しだけ雰囲気が柔らかく感じる。
クスクスと笑いながら牛島の成長過程を辿るように画像を進めていると、コンコンコンとノックの音が聞こえた。
『はーい、なーにー?』
どうせ母親だろうと跳子が間延びした返事を返したが、ガチャリと開いた扉の向こうに立っていたのは、写真と同じ表情をしている牛島だった。
『えっ?!若くん!』
「跳子。邪魔するぞ。帰り道のおじさんとそこで会って、お前が来てると聞いた。」
『あ、そうなんだ。ちょっとビックリしちゃった。』
「…?何をそんなに焦ってるんだ?」
何となく昔の写真を見ていた事が言いづらくて、ごまかしながらノートPCを閉じて部屋に招き入れる。
『ちょっと待っててね。お茶でいい?』
「いや、いい。少し話があってきただけだ。すぐに帰る。」
『そう?』
牛島の言葉に、扉に向かいかけてた足を止めて跳子が引き返す。
牛島とテーブルを挟んで向かい側のクッションをどけ、そこにペタリと座った。
手持無沙汰になるのが少し苦手で、クッションは膝の上に置く方が楽だ。
「今日会場で会った時に言うか迷ったんだが…跳子がいるならちょうどよかった。」
『うん?』
「…跳子。」
バレーに向き合う時と同じくらい真摯な目を跳子に向けて、牛島が静かに口を開いた。
「これからずっと、俺の事を支えてくれないか。」
『若くん?それは前に…』
「いや、高校の話じゃない。…付き合ってくれと言っているんだ。」
『…!!』
跳子が目を見開いて牛島の目を見る。
牛島はそれを逸らす事も無く、言葉を続けた。
「俺の夢は、バレーとお前だ。跳子。俺の気持ちはずっと変わっていない。好きだ。」
フッと真剣だった目元を少しだけ和らげた牛島が、「驚くとは意外だったな」と小さく笑った。
跳子の喉がゴクリと動いたが、何も言葉が出なかった。
「…返事はすぐでなくていい。」
『若、くん…。』
その言葉を機にスッと牛島が立ち上がる。
ようやく出た弱々しい声で牛島の名を呼びながら見上げる跳子の頭に、優しくポンと手を一つ置いてから扉に向かった。
「見送らなくていい。邪魔したな。…跳子。明日は全力でお前のチームを倒す。」
『え。あ。うん。』
「…楽しみにしているぞ。」
扉で足を止めた牛島が、最後に少しだけ微笑みながらそう言って部屋を出る。
跳子は座ったまま茫然と閉められた扉を見つめていた。
気付けば握りしめていたクッションが、そこだけしわくちゃになっていた。
その後両親に呼ばれてご飯を食べ、お風呂に入っている間も何だかぼーっとしてしまう。
このままじゃダメだとやろうと思っていた情報整理を始めるが、それでも集中力が途切れれば頭に蘇るのは牛島の言葉。
何とかデータをまとめ終わった頃にはもう深夜1時を回っていた。
慌てて跳子がベッドに入って目を瞑るが、なかなか睡魔が訪れようとはしてくれなかった。
(…ずっと、そんな風に思ってくれてたんだ…。)
ふいに泣きそうになって、少し鼻の奥がツンとする。
ようやくウトウトとし始めた頃、眠っているのか起きているのかよくわからない微睡の中で、とても幸せだった幼い頃の二人の姿を見たような気がした。
翌日。大会3日目の朝がやってきた。
眠るのも遅かったのに、それでも朝早く目が覚めてしまった跳子は、一人早めに会場を訪れていた。
体育館や建物内にはまだ入れないが、広い敷地内を少し歩いてみる。
少し冷たいけれど気持ちいい朝の空気の中、紅葉を見ていたら少し落ち着いてきた。
澤村に対する気持ちが揺れ動いたわけではない。
揺れたのは気持ちというよりも、記憶だ。
−彼を支えていきたい−
つい一年ほど前まで、跳子もそう思っていたのだ。
ぐるりと一周して戻ってきた跳子は、飲み物を買おうと敷地から出てコンビニに向かう。
この道路は水はけがあまりよくないらしく、数日前に降った雨がまだ水たまりになって残っていた。
何気なく向けた視線の先で、おばあさんが小さな歩幅で歩いていて、その水たまりの横の歩道にさしかかった。
それと同時にかなりのスピードで走ってくる車が跳子の視界に入ってくる。
(危ない…っ!)
思うよりも先に体が動き、跳子が車とおばあさんの間に入る。
ビシャアっと音を立てて車のタイヤが泥水をはね、
おばあさんをかばうようにした跳子の烏野ジャージの上着を汚していった。
驚いた顔をしたおばあさんがすぐにオロオロとしはじめたが、「ジャージですから」と跳子が微笑めば、申し訳なさそうにお礼を言って去っていった。
それに手を振って見送った後、会場の敷地内に戻りながら、跳子が一つくしゃみをしてぶるりと全身が震わせる。
(さて、どうしようか。ちょっと濡れたジャージは、さすがに寒い…。でもTシャツは代えがあるけど、上着はないんだよね。)
困った顔で考えていると、後ろから慌てたような声が聞こえた。
「あの、濡れてますけど大丈夫ですか?うちの学校のジャージでよければ予備があるので着ますか?」
『えっ、あ。すいません。ありがとうござ…』
優しい声と言葉に驚きながらも、お礼と共に振り向いた跳子が思わず固まる。
相手も全く同じ反応を見せた。
「っ、跳子…。」
『姫野、さん…?』
ドサリ
相手が持っていた荷物を地面に落とした。
それは白鳥沢学園中等部で跳子と一緒にマネージャーをやっていた、姫野との久しぶりの再会だった。
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