長編、企画 | ナノ

オーシャン・ブルーの世界


駅に入ってきた電車は思っていたよりも空いていた。
空調の効いた車内に二人並んで座ると、間もなく扉がゆっくりと閉まった。
走り始めた電車の揺れが、何となく心地よく感じる。

『水族館、すごい久しぶりです。実はCM見てずっと行きたいと思ってたんですよね。』
「それならよかったよ。俺も多分小学校の遠足以来だなぁ。もっと小さい所だったけどな。」

今日行くのは東北でも最大規模を誇る水族館だ。
夏休みにはイベントも開催されており、CMも頻繁に流れているそこは跳子が密かに憧れていた場所でもあった。

(まさか澤村先輩と一緒に行けるなんて…。)

緩みきった頬をバレないように手で押さえながら、跳子はチラリと隣に座っている澤村を見上げた。


『うわぁ…。』
「これは、スゴイな…。」

足を踏み入れればそこは一面の青だった。
壁も天井も真っ青な水が広がっていて、自分が立っているのが地面かどうかわからなくなるようだ。
一瞬足元の感覚が不安定になってフラついた跳子は、思わず澤村の裾を掴んだ。

『あっごめんなさい!』
「別に全然構わないぞ。というか、裾よりこっちの方が安心だ。」

少し恥ずかしそうにしながら澤村が、裾にあった跳子の右手を自分の左手で包み込む。
手を繋ぐのは初めてではないのに、それでも跳子は強く握り返せなかった。

熱くなった顔を隠すように下を向いた跳子の視界がフッと暗くなり、顔をあげてみれば頭上を大きな魚影がゆっくりと通り過ぎていく。
獰猛なイメージのサメがのびのびと泳いでいた。

『先輩!サメですよ!』
「おぉ!サメをこんな近くで見れるなんて思わなかったよ。」

そして自然と二人はそのままゆっくりと順路を進み始めた。

優雅に泳ぐ魚たちに囲まれ、二人の目がキラキラと反射する。

大きな水槽で一斉に動くイワシの大軍を見てお腹を鳴らした澤村に跳子が笑った。
しかし次のブースで観た流氷の天使の衝撃的な食事シーンに、隣りにいた子供たちと同じ表情で固まった跳子を見て、今度は澤村が笑う。

色とりどりの熱帯魚たちが水槽の中でダンスをしているかと思えば、隣りのブースでは深海魚たちは何とも言えない姿形で二人を出迎え、そしてまた岩陰に隠れる。

指を差しながら二人で笑って歩く。
そして次に着いたのは、今開催中のイベントであるクラゲたちのコーナーだった。

プカプカと傘を広げて自由に漂うクラゲ達。

「気持ち良さそうだな。」
『そうですね。こっちまで泳ぎたくなっちゃう。』
「でも海では会いたくないなぁ。」
『確かに!小さい頃に刺されて大泣きましたもん。』

しかし今目の前にいるのが、海で会うそれと同じだとはとても思えない。
ここには毒をもつモノだっている。
それでも、幻想的な美しさに思わず目が奪われる。
ライトアップもあってか、半透明な体が不思議な世界を作り出していた。

『キレイ…。』

ほぅと感嘆の息を漏らした跳子のうっとりとした顔に、澤村の心臓がドクリと動く。
そんな顔を向けられるクラゲにすら嫉妬してしまいそうになる自分には、もう苦笑いしか出てこない。
握った手に少し力がこもった。


ゆっくりと水槽を見てまわり、そろそろイルカショーの時間が近くなってきた。
その前にお手洗いに行こうと澤村に断りを入れる。
跳子は離れる手を少し名残惜しく思った。

(ちょっと混んでて遅くなっちゃった…!)

手を拭いたハンドタオルをしまいながら、跳子が辺りを見回す。

すぐそばにある柱のような形の水槽の裏側で、しゃがんで笑っている澤村をすぐに見つけた。
その目の前には小さな男の子と女の子が立っている。
澤村が何か声をかけて男の子の頭をくしゃりとなでた後、彼らは大きな声で「ありがとうお兄ちゃん!」と言って去っていった。
澤村は優しい目で手を降り返している。


水槽の奥に、クリアに見える澤村の姿。

(やっぱり…澤村先輩が好き)

拓かれたオーシャン・ブルーの世界で、跳子は胸が痛いほどそう思った。


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