無題

「れんしゅう、じあい……」


顧問から言われた言葉を反芻する。れんしゅうじあい。練習試合。何度言おうとその事実は変わらない。


「7時集合、9時解散だ。」


7時はもちろん朝の7時で9時も午前九時じゃなくて午後九時。21時の話だ。隣にいた朝比奈くんも不満げに声を漏らす。


「その日休みじゃありませんでしたぁー?」


「その予定だったんだがな、向こうと予定が合うのがその日だけだったんだ」


12月25日。世間一般的にクリスマスの日。その日はだって、予定では翔ちゃんと……。


「練習試合だからって負ける気は無いぞ!相手は強豪!スタメンは朝比奈、高城、矢野!負けたら走って帰ることになると思え!以上!!」


「「「ありがとうございました!!」」」


不満に思っても、練習試合の事実は変わらず、顧問の話は終わってしまった。
イラついても顔に出ないタイプであることに感謝しながら練習に戻る。
なんで、だってその日は特別な日なんだ。
クリスマスである事はこの際どうでもいい。けれどその日は、どうしても、翔ちゃんと二人が良かったのに。


「お先に失礼します!!」


練習が終わると飛びだすように部室から出て行く翔ちゃん。翔ちゃんはここ1ヶ月、毎日始業ギリギリに登校し部活が終われば走って帰る。さらに休み時間はずっと難しそうな書類に目を通している。
なんでも、翔ちゃんのお父さんの経営する会社の一つを任せていた専務が病気で倒れたそうだ。事業は年末を控え忙しい時期に深刻な人手不足。新しく使える人材を探す暇はない。そこで翔ちゃんに白羽の矢が立ったのだ。翔ちゃんは高2とは思えないほど冷静で頭が良くて、人を使うのが上手い。専務の代わりを問題なくこなしていた。けれど、専務代理をするからといって、翔ちゃんの代わりに学校に行ってくれる人はいない。それに年明けには大きな試合を控えているから、部活も休むに休めない。結果翔ちゃんは2人分の1日を24時間の中に詰め込んで生活しなければならなくなった。当然、俺に構う時間はない。仕方ないことであるし、学校にいる間だけはずっと一緒にいれるけれど、俺がそれだけでみたされる筈もなく。不満に思っていたのだけれど、それはすでに翔ちゃんにはお見通しで、事業は24日に一区切りがつくから、25日は部活も休みだし1日遊ぼうと約束をしていた。俺は、それだけを楽しみに頑張っていたのに。
ノロノロと着替えを済ませて帰路に着く。一人で歩く歩道は嫌になる程静かだった。






「集合!ありがとうございました!!」


モヤモヤとしているうちに練習試合は終わる。結果は全勝で、走って帰ることは免れたけれど、それでも現在時刻は8時57分。今からはもう帰って寝るだけだ。翔ちゃんとは特に約束をしていない。と、いうより翔ちゃんが忙し過ぎて全く話せていない。
不貞腐れながら部室を出ようとしていると、後ろからブレザーの裾を引っ張られた。


「あーおい、一緒に帰ろ?」


「し、っあ、」


ふふ、と楽しそうに笑った翔ちゃんは俺の驚いた表情に大変満足したようだ。袖を引っ張っていた手をこちらに差し出してくる。


「もう夜だけど、クリスマスパーティしよっか?」


「う、うん!」


泣き出しそうになりながら翔ちゃんの手を取ると翔ちゃんはしっかり握り返してくれて、上機嫌なまま歩き出す。キラキラとイルミネーションに照らされた街中が綺麗だ。
ぼーっと翔ちゃんの背中を見つめながら半歩後ろくらいをついて行くと、途中で自分たちの家とは違う方向に歩いていることに気がついた。賑やかな駅前の通りは夜とは思えないくらい眩しい。


「今日は外食なの?」


「ああ、うん。さすがに今から作るのは大変だし」


そういうと翔ちゃんは軽く手を挙げ打ち合わせたみたいにタクシーを止めて乗り込んだ。


「ホテルローズガーデンまで。鉢植通りを通ってください。」


翔ちゃんが告げると運転手は頷いて車を走らせる。ポツポツと他愛ない話をしていると、不意に窓の外が光に包まれた。


「綺麗……」


「ふふ、さっき気になってたでしょ?」


通りいっぱいにイルミネーションが施されていた。まばゆい光が点滅したり色を変えたりしている。


「今年のテーマは『碧』なんだってさ」


青を基調とした和柄やさくら、滝などをモチーフにしたイルミネーションが輝く。周りを歩く人が目に入らないくらい、俺は窓の外を見続けた。
小さい頃は「碧」という名前が嫌いだった。母親似の容姿のせいで女に見られがちだった俺を、女に見せる要因の一つだったから。でも、翔ちゃんに会って、翔ちゃんが俺の名前を呼ぶ度に、俺は自分の名前が好きになった。あおい、と呼んでくれる優しい声が好きで、幸せで、もっと聞きたくなる。


いつのまにかイルミネーションを通り過ぎ、窓の外はビルの灯りと街灯と、といった雑多なネオンになってしまった。それを少し残念に思っていると、タクシーが減速してロータリーに入っていく。


「ありがとうございました。」


辿り着いたのは一目で高級とわかるような佇まいのホテル。ここ確かスイートとか紹介じゃないと泊まれない気がした。少しびびっている俺を察した翔ちゃんが俺の手を引いてホテルに入る。ホテルマンがうやうやしくお辞儀をして、ほぼ顔パスでエレベーターに案内された。翔ちゃん金持ちだ金持ちだ思ってたけどここまで来ると引くレベルだ。


「わぁ……」


「ロイヤルスイートだからゆっくりしてね」


その辺のマンションの一室よりずっと広い。大きな窓、テレビ。猫足のテーブルセット、チェスト、ドレッサー。さらにはミニキッチンまであって、それでも部屋は狭さを感じない。手前のドアからは洗面台が見えたから、奥のドアがベッドルームなのだろうか。重そうなカーテンも高級そうな光沢を放っているし、カーペットも土足で踏むのを躊躇するくらい綺麗だ。


「こ、これ……」


震えながら翔ちゃんの方を見た瞬間、ドアがノックされた。翔ちゃんがキーを解除すると、ホテルマンが入ってきた、手には料理を持っている。


「そっちのテーブルにお願いします。」


あれよあれよという間にいかにもクリスマスらしいチキンだとかサラダだとかスパゲッティだとかが運ばれてきて大きなテーブルが埋め尽くされる。中央にちょん、と小ぶりででも物凄く凝ったデザインをしたベリータルトが乗ったので最後だったらしく、ごゆっくりどうぞ、とホテルマンが消える。
訳がわからないままテーブルに座らされ、グラスにジュースを注がれた。翔ちゃんが注ぐと高級なシャンパンにしか見えなくて何度も確認したがただの炭酸飲料で間違いないらしい。


「乾杯。」


「か、かんぱい……」



なんで、夜景の見える高級ホテルのスイートルームで、俺はご飯を食べているのだろう。
先ほどまで暗かった気持ちからの差が激しくて、思考が追いつかない。


「遠慮せず食べなよ、誰も見てないし、テーブルマナーも気にしなくていいから」


ここのシェフの料理美味しいんだよ。と笑う翔ちゃんに漸く意図を察した俺はぶわっと顔があかくなった。どこまで男前なのだこの人は。


料理は本当に美味しくて、試合後ということもあってか、あっと言う間に完食した。
タルトは翔ちゃんが四分の一だけ食べて、残りは俺が食べた。チョコクリームとカスタードクリームがたっぷり入ったタルトは半人前でも翔ちゃんには多すぎたらしく少しだけ苦笑いして「甘いね」と言った。


「今日、どうしたの?」


食事を終えて、ホテルマンが食器を下げた。紅茶を飲みながら機嫌の良さそうな翔ちゃんを見ると、翔ちゃんがふふ、といたずらをする時みたいに笑った。


「この一か月、寂しかった?」



「寂しかった!」


「ごめんね。俺、この一か月、会社の専務代理として働いてたんだけどさ、働きながらずーっと今日のこと考えてた。これ終わったら碧とご飯食べるんだって思って頑張ってた。」



そこまで話した時、ドアが再びノックされた。翔ちゃんがドアに向かい、何かを持って戻ってくる。


「間に合って良かった。」


両掌くらいの大きさの箱。開くとそこには、ペアウォッチが並んでいた。片方がシルバーでもう片方がゴールドであることを除けば同じシンプルなデザインだ。センスの良さと男女ペアものでないものを選ぶ可愛げのなさが翔ちゃんらしいなと思う。


「ホテル代と食事代とプレゼント代。俺の初給料。」


してやったり。という顔をする彼は、本当は可愛い女の子を幸せにするべきなのだと思う。どんな女の子も、こんな漢前に大事にされれば、きっと幸せになれるだろう。それを台無しにして、彼からの愛を俺が受けていると思うと、背筋がぞくぞくするくらいに嬉しくて、涙が滲んだ。


「嬉しい……ありがと……」


「泣かないのー」


わしゃわしゃと頭を撫でてくる温度が心地よくて目を細めると頬が暖かく濡れた。すぐに細い指が優しく拭ってくれて、なによりもそれに安心する。


「すき……翔ちゃんすき……」


「惚れ直していいよ」


俺が何度も頷くと綺麗な顔がぐしゃぐしゃだと笑うものだから、急に恥ずかしくなった俺はバスルームに逃げ込んだ。自宅のバスルームより広い気がするそこが少しだけ寂しく感じる。猫足のバスタブや、高級そうなアメニティに怯みそうになるけれどよく考えたら翔ちゃんの家の方がよっぽど凄いなと思い直して、このまま出て行くのもバツが悪いのでそのまま服を脱いで体を洗い始めた。その時だった。


「あおい、」


「………………なに?」



「一緒に入ってい?」


「えっ、へ?」


俺が動揺している間にガラス戸が開いて翔ちゃんが入ってきた。筋肉も脂肪も色素も薄い身体は均整の取れた芸術品のような美しさで肉欲を感じてしまうのは申し訳なくすら感じた。


「ふふ、」


無邪気に笑って俺の隣に腰を落とした翔ちゃんはきっと、絶対、俺の心のぐちゃぐちゃな部分を解っていて、それでもそれに何の躊躇もなく素手で触れてしまうものだから、困る。


「これ、は、えっと……」


「なにもしないの?」


ああ、もう、本当にこの人は。
もう知らないからな。と理性を手放して感情に身を任せた。



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