pipipipi pipipipi

「――ん、ん…」
携帯のアラームだろうか?
気持ちよく寝ていた俺の耳に、けたたましい電子音が届く。
なんだ、煩いな。俺の安眠を妨害するのはどこのどいつだ。
寝ぼけてるおかげでハッキリしていない思考のまま周りに意識を集中するが、眠すぎて目は開けれないでいた。
「――…、」
体の左方を下にして寝転んでいる俺の後ろ、シズちゃんの布団があるくらいの場所でもぞもぞと布ずれの音がして、ぴたりと止んだ。
そしてそれと同時に煩い電子音もぴたりと止んで、またもぞもぞと音がして、シズちゃんの気配が抑えられた足音と共に移動する。
…あれ?シズちゃん起きるの?
薄っすらと目を開けると部屋の中は真っ暗で、その暗さからカーテンをしてるとは言え、まだ夜だと悟る。
…そこで、ふと妙に合致した。
シズちゃんは俺に内緒で、温泉行くつもりなんだ。
アラームで自分だけ起きて、俺を起こさないようにと足を忍ばせて、そしてそっと部屋から出てって一人で温泉を満喫するんだ。そうだそうに決まってる。
まだそうだとは決まっていないのに、まだシズちゃんはこの部屋の中にいるのに、俺はそうだと信じて疑わなかった。
最悪。俺はシズちゃんがどうしても部屋のを使えって言うから、仕方なく今日だけなら、と妥協して温泉を我慢したっていうのに。最悪。
何なんだろうこの地味な嫌がらせ。
こんなことでこんなに怒るのは小さいって?
馬鹿を言うな。はじめての二人での温泉旅行、俺が楽しみにしてなかったと思うのか?寧ろ、どんなに楽しみにしてたと思うんだ。
やっぱり、朝になったらすぐ帰ろう。
…来るんじゃなかった。
「臨也」
「んッ」
目を瞑って布団を握り締めて身を硬くして、そんな状態では寝れる筈なんてないのに寝ようとしていた俺のすぐ耳元で、もう部屋から出て行ってしまったと勝手に決め付けていたシズちゃんの声が、した。
あれ、いつの間に。
驚いて反射的に振り返るとすぐ後ろで身をかがめていたシズちゃんの肩に、俺の右手が当たる。
床に膝を付いてしゃがんでいるようだった。
「…なんだ、さっきので起こしちまったか。」
悪ぃ。
そう言って謝るシズちゃんを、暗がりに慣れた目でただ唖然と見つめる。
…?一人でこっそり行くんじゃなかったのだろうか。
一緒に行こうって、誘ってくれるのだろうか?
「――…」
 ぎゅっ
俺が着ているのと同じであるシズちゃんが着ている浴衣の袖を、シズちゃんの瞳を見つめて握った。
できれば、一緒に来てるんだし一人で行ってほしくなかった。
一緒に行こうと、誘ってほしい。…一緒に、行きたい。
「ねえ、シズちゃん今何時?」
ただ一言、「温泉行くなら俺も連れてって」と言えばいいのに、凄く簡単なことなのに、俺にはそれができない。
ただ、誘ってもらえるように仕向けるか、もしくは少しでも長くここにいてもらえるように足止めをするかしか、俺にはできない。
「…っと、23時59分だ。」
シズちゃんが俺の見えないところで手を動かして、部屋が少しだけ明るくなった。
手に持っていたらしい携帯で時間を確認したんだろうと思う。
「もう少しだ。」
「もう少し…?」
シズちゃんは何やら待っている様子だった。
俺はそれが何だかわからずただオウム返しにして問いかけたが、シズちゃんはそれに答えず、ただ頷いただけだった。
さらりとシズちゃんの髪が俺の頬を撫でて、くすぐったい。
「あと何十秒か、だと思うんだけどよ…って、あ、なった。」
「へ?」
またしてもそれがどういう意味なのか理解できなかった俺が今度はきちんと問いかけようと視線をシズちゃんに向けると、いつの間にかすぐ目の前にシズちゃんの顔が迫って来ていて、突然のことに驚いて咄嗟に目を閉じる。
「――ンッ、」
 ちゅ、
唇に柔らかい感触が触れて、吸い付かれて、そしてすぐ離れていった。
すると今度は頬や鼻や額などに何度もその柔らかい感触を押し当てられ、吸い付かれ、そしてシズちゃんの体に凭れるようにして寝転んでいた俺の体はゆっくりと、シズちゃんの手によって仰向けに寝転ばされていき、シズちゃんはそのままの場所で上半身だけ覆い被さってきた。
「って、ああそうだやべえこっちが先じゃなかった。早くしねえとぴったりに言えねえ。」
ぶつぶつと何やら小声で失敗した、という雰囲気を醸し出しながらもどこか楽しそうな様子のシズちゃんとは裏腹に、俺はフリーズしていた。
そして、もう何から問いかけたらいいのか分からなくて混乱状態の俺に、ずっと疑問に思ったり謎だと思っていたことの大半を解決する言葉が、シズちゃんの口から俺に向かって投げかけられる。
「臨也、誕生日おめでとう。あ、う、生まれてきてくれて、ありがとう…よ。」
「――…え?」
暗いせいで目では確認できなかったが、雰囲気から言って後半は顔を赤らめて恥ずかしそうにしていたんだと思う。
いや、でもそれよりも
「…え?え…?」
誕生日?誕生日って言った?
えっと、今日は5月3日…じゃなくて日付変わったから5月4日…
…あれ?5月4日…?
「…俺今日誕生日じゃん!」
5月3日から5日までのシズちゃんとのGW温泉旅行。
と、温泉旅行とGWにばかり注目していた俺は、まさかその丁度ド真ん中に俺の誕生日があるだなんて思ってなかった。気付いてなかった。
え、と、言う事は――
全額シズちゃんが出してくれたこの旅行は、俺の誕生日のお祝いのためだったの?
俺の誕生日を祝うために、わざわざ大金出して温泉旅行に…?
「……はああ…」
一日目が終了してからやっと、この旅行を計画したシズちゃんの意図を正しく汲み取った俺に、シズちゃんは大きな溜息をついた。
「やっぱり手前は忘れてやがったか…」
「あ、いや、う…」

「…ごめん」
申し訳なかった。
シズちゃんはずっと、何ヶ月も前からこの日を楽しみにしてくれていたのに、主役である筈の俺がまるでその気持ちに気付いていなかった。
「ごめん…」
何が途中で帰ろうだ。何が最悪だ。
何よりも、誰よりも俺が最悪じゃないか。
何よりも誰よりも、自分が憎くて仕方がなくなった。
「手前のことだ」
真っ暗な闇に飲まれそうになっていたその瞬間、シズちゃんの声がこの真っ暗な部屋に響いた。
「誰よりも何よりも自分のことを考えるようで考えてない手前のことだ」
「俺は手前が自分の誕生日のことなんかどうでも良いと思ってると思ってたし、忘れてると思ってた」
だから
「俺が手前の誕生日を祝おうと思った。」
何も言えなかった。ただ何も言えず、ただ気持ちが激しく昂ぶった。
いつもは自制して大きな感情を表に出さないようにしている俺の瞳に、目の前で真剣な表情を浮かべている優しい優しい彼を映す目に、じわりじわりと水分が溜まってくる。
いやだな、これではシズちゃんの顔が見にくくなってしまう。
細かいことだが、訂正するとどうでもいいとは思っていなかった。
ただ、特に誰からも祝われることもなく、自分でこそ数日経ってからやっと、「ああそういえばまた死に近づいたな。」と悲しみに似た感情を抱くだけだったのだ。
「新羅とセルティは自分達の愛を信じて、認めて、受け入れて、一緒に生きることを選んだ。」
あの二人の関係の変化が、シズちゃんに前進させる勇気を与えたのだろうか。
次から次へと溢れてくる涙を見られないようにと、必死に手で隠しているとシズちゃんがそれを止めさせようと、俺の両腕を掴んでくる。
やめて、見ないでよ。今の俺の顔はきっと、涙でぐちゃぐちゃで酷いと思うんだ。
「俺は、まだ手前に言ってないことがある。伝えなきゃならないことがある。」
「しず、ちゃん…」
君は、これ以上俺に何をくれるっていうの?
「たくさんたくさん誕生日プレゼントをもらいすぎると、お返しが大変なんだよ?」
俺には、きっとシズちゃんが今の俺のように何よりも嬉しく思うようなプレゼントはできない。
「じゃあ、手前をくれればいい。」
「…俺?」
「ああ。」
「――俺なんかが、ほしいの?」
「なんかって言うな。」
「ほしいの?」
「…ほしい。スゲーほしい。」

「……ふふ、変なのっ」
天邪鬼でプライドが高くて、ノミ蟲な俺なんかを真面目な顔をして何度もほしいと言うシズちゃんがなんだかとても可笑しくて、ついつい笑いが漏れてしまう。
「ふふ、ふふふ、ふはは」
でも、可笑しいことに笑えば笑う程涙の量は増して、そしてそんなことすら面白く思えて、また笑ってまた泣いた。
だが不意にシズちゃんの顔が見たくなって、涙でいっぱいの目を一度ぎゅっと閉じて涙を落し、いくらかクリアになった視界で目の前のシズちゃんの表情を見た。
「――…、」
「ぶっは、はは…変な顔…」
シズちゃんは俺を見つめてぽかんと口を開けていて、しかも心なしか顔が赤いような気がした。
ホントに変な顔で、一度は止まった笑いがまるで爆発するように今度は一気に襲ってきて、同じくまた溢れてきた涙をそのままに笑い続ける。
再び目を覆う涙のせいでシズちゃんの顔が見えなくなったが、それでも今の俺は十分満たされていた。

「――…すきだ」
「――へ」
ぽつり、呟かれた言葉。
ずっと笑いながら泣いていた俺の顔から笑いが消えて、涙が止まって、目を丸くして目の前の顔を見つめる。
それこそ時が止まる程凄く凄く嬉しかったのだが、何で、急に…このタイミングで…?
シズちゃんを見上げたまま、首を傾げる。
「…好きだ、臨也」
再びはっきりと告げられた言葉に、呼ばれた俺の名前に、疑問は脳内からスポーッン!と抜けていった。
今まで、ほしくてほしくて堪らなかった言葉。
ずっと、望んでいた言葉。
それが今、俺が愛している大多数の人間のではなく化け物である目の前の男から与えられた。
でも俺は、愛している人間からじゃなくてこの目の前の化け物からその言葉がほしかったんだ。
だからつまり、
焦がれ続けて求め続けてきたモノが、焦がれ続けて求め続けてきた者により与えられた。ということになる。
この際タイミングは、置いといて。ね?
「…うん。」
暴力的な力とは裏腹に、その心は優しくて繊細なこの最愛の人は俺を真っ直ぐ見つめて、綺麗に綺麗に微笑んでいた。
それは宛らまるで太陽が大地を照らすように。光が闇を照らすように。笑った。
そして照らされた俺は見つめ返して返事の意を込め、頷く。
「うん…。」
瞳を閉じて、その言葉を噛み締める。
これは夢ではないと。これは嘘ではないと。
俺の、独りよがりではないと、忘れないように心の中で繰り返す。
「うん。」
目を開いて、俺のことを見守っている茶色い瞳を見つめる。
俺もだよ、という意味を込めて頷いた。
「臨也」
たったそれだけのことだったのに、シズちゃんには伝わったみたいだった。
まだ乾いていない俺の頬を、シズちゃんの手が拭う。
「大好き」
その手に頬を摺り寄せて、呟いた。
「大好きだよ」
せっかく拭ってもらったのにまた涙が俺の頬を濡らし、今度はシズちゃんの手まで濡らしてしまう。
それでも、シズちゃんは俺の頬から手を離すことはなかった。
涙で覆われながらもシズちゃんの瞳を見つめる俺の瞳から、目を逸らすことはしなかった。
「誰よりも、何よりも大好きだよ。愛してるよ。」
それは、俺がシズちゃんに言ってなかったことで、伝えなきゃならなかったことだった。
一言一言、心を込めて、シズちゃんの茶色い瞳を見つめて、告げてゆく。


「俺、生まれてきてよかった。」
「君に、出逢えてよかった。」

シズちゃんの右手が俺の左手を探り出して指を絡めてきて俺が握り返し、
俺は右手でシズちゃんの左手を探って見つけ出して指を絡めて、シズちゃんが握り返した。
そうするとお互い何も言わずとも自然と目を閉じて片方は待って、片方は寄せる。
いつもとは違う香りが、シャンプーの香りが強く香って、
今は見えない金色の髪の毛が、俺の頬を撫でて――
緩く弧を描いている俺の唇に、同じく緩く弧を描いているシズちゃんの唇が、重なった。

「おめでとう。」



「…腰、辛くねえか」
「あ、いや、……うん。」
旅館の仲居さんは女将さんのお見送りが終わり、先に旅館の人に荷物を乗せて貰っている俺達は手ぶらで、呼んでいたタクシーまでの道のりを歩く。
そこで心配してくれたんだろうシズちゃんの声がかかったのだが、そんなシズちゃんには悪いのだが、俺はそのせいで昨日の情事を思い出してしまい赤面して、そして本当は少し辛かったのだが咄嗟に大丈夫だと嘘をついてしまった。
「…?」
…しかし、あのシズちゃんがねえ…
じっと無言で見つめてくる俺を不思議に思ったのか、シズちゃんが足を止めて俺に向き直る。
そうすると手を繋いでいるので俺も自然と立ち止まって、そしてシズちゃんに向き直った。
「……」
――まさか、最初の時俺が痛がったからそれ以降一回も手を出してこなかっただなんて――
しかもそれをまだ引き摺っていて、昨日俺が誘うまでは絶対手を出さないと決めていただなんて…
更に更に、してもいいのだと分かった瞬間すぐに食らい付いて来て、全然離してくれなかった化け物並みの性欲を持っている、この絶倫男が、ずっとずっとその衝動を我慢して堪えていただなんて。
――なんだ俺、愛されてるじゃん。
昔は持て余して嫌っていた力を俺のことを傷つけまいと何とか制御して優しく俺の手を包み込んでくれているその大きな骨ばった手の体温を感じ、俺はやっと、気付いた。


「また、来たいね。」
タクシーに乗り込み、二泊したその建物を見上げた。
どこにでもあるような…いや、有名で絶大な人気を誇るとは言え、ここはたった二泊しただけのただの民宿施設だというのに、もう帰るんだと思うと凄く寂しく思えた。
「そうだな。」
シズちゃんは俺と同じように建物を見上げると肯定して頷き、子供のように帰りたくないと思っている俺の様子に気付いたのか、再び繋がれている手にぎゅっ、と少しだけ力を込めた。
…ホント、シズちゃんには敵わないな。
心の中で呟いた。
「今度はさ、シズちゃんの誕生日に来る?」
もう一度だけ見上げ今度はこの光景を忘れないようにと目に焼き付ける。
そしてその後シズちゃんへと視線を向け、シズちゃんがしてくれたのと同じように繋いでいる手にぎゅっ、と力を入れて、肯定を望んでいる提案をした。
「そうだな。」
頷いたシズちゃんを見て、「これでまたここにシズちゃんと一緒に来れるんだ…」と心の中で呟いた俺はそれが嬉しくて嬉しくて、笑みが漏れた。
そんな俺を見てシズちゃんは小さく微笑んでただ一言「帰ろう」と俺に言って、俺はただ一言「うん」と返して頷いた。
俺が空気を読んで待ってくれていた運転手さんに出してくださいと声をかけて、タクシーは静岡駅までの道のりを進んだ。

「今度は、全額俺持ちね?飛行機で行っちゃおう。」
静岡駅に着いてタクシーの運転手さんにシズちゃんがお金を払って、そして降りた。
また繋いだ手を少しだけ揺らしながら、俺はそのまま飛んでいけちゃいそうな程今ご機嫌だったのだが、そこでシズちゃんはぴたりと足を止める。
「駄目だ。」
「…え?」
ぴしゃりと言い放たれた言葉に、凍りつく。
えっと、何が駄目なのだろうか…?
それがどういう意味なのかわからず、問いかけようと口を開く。
が、それよりシズちゃんの方が早かった。
「飛行機は、嫌だ。」
「え…と…」
飛行機は気に入らない様子のシズちゃんに、俺は脳内にあるシズちゃんの情報を急いで呼び起こす。
シズちゃん、飛行機苦手だったっけ…?
…いやいや、そんな情報は…
シズちゃんと繋いでいない方の手を顎に当て、うんうんと唸った。
「新幹線が、いいんだ。」
「…シズちゃん、新幹線好きなの?」
…シズちゃんが新幹線好きなのも、初耳なんですけど…
俺の知らなかったシズちゃんの情報があったのか、と少しヘコんだ。
が、
「――手前と、ゆっくり景色を見たい。」
シズちゃんは、俺との時間を大切にしたいと言った。
「――…そっか」
池袋や新宿では見れないものを、シズちゃんは俺と一緒に見たかったのだろうか。
池袋や新宿ではない場所で、一緒に過ごしたかったのだろうか。
うん、きっと…いや絶対、そうなんだ。
「じゃあさ、次はいっそのこと電車で行っちゃう?」
「…いいのかよ。」
俺がした提案に、シズちゃんは目を丸くして凄く驚いた表情を顔に浮かべた。
きっとシズちゃんは、それでは俺がめんどくさがるだろうと思って俺に聞く前にその選択肢を消してしまっていたんだろう。
「…うん。」
だからシズちゃんの諦めていたんだろう願望を叶えようと、笑って頷いた。

「――俺も、シズちゃんと色々なものを見てみたい。」
それにきっと
同じものを見ても君と一緒に見れば、一人で見たときや他の人と見たときとは全く、違って見える筈なのだから。




はっぴーばーすでーノミ蟲くん


 
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