ふと目をやると、傍らの男は静かに泣いていた。
その無表情から、ただただ涙が伝っているのが不思議だった。泣いているのに、泣いているって表現が似つかわしくない。
じっと見つめていると、わたしの視線に気づいたらしく、目が合う。

「どうかした?」

あまりに普通に聞かれたので、思わず吹き出す。
どうかした?って。いやいやいや。

「ん、なに、俺の顔なんかついてる?」
「とりあえず自分の頬っぺたでも触ってみれば」
「…おお」

濡れてる、と自分の頬を大きな掌で触れながら唯太が言った。自覚なしのわりに、その声にはたいした驚きの色もない。
わたしは側にあったティッシュを、唯太に箱ごと差し出す。

「感動した?」
「んー…どうだろう。そうかな」
「よかったね」

曖昧な言葉に笑いながら、てきとうな返事をした。

DVDを観ていた。
海外のドキュメンタリー映画で、それは唯太がレンタルしたもので、聞けば明日が返却日だっていうのにまだ観てないとか言うから、わたしが促して今まで二人で観ていたのだった。
「全米が泣いた」という謳い文句の映画に、促したもののわたしは始まって30分ぐらいで飽きてしまって、そっからは唯太の漫画雑誌をパラ読みしていた。

「なんか食う?」

涙を拭いたティッシュを、丸めてごみ箱へ放った唯太。ゆるりと立ち上がってわたしに問う。わたしは頷く。

「お茶漬け食べたい」
「わかった」
「わさび入れて」
「はいはい」

裸足の足音がゆっくり遠退いてゆくのを聞きながら、漫画雑誌を閉じた。
目を閉じてごろりと横になる。畳の匂い。唯太の涙を思い浮かべて、愛おしい気持ちになる。

「江利子、寝てる?」

低い声が降ってくる。
寝てる、と返事をすると、すぐ隣に体温を感じた。

「…お茶漬けは?」
「ごめん、お茶漬けなかった。わさびはあったけど」
「わさびだけじゃどうしようもないよね」
「どうしようもないな」

唯太の指先がわたしの髪に触れる。
無表情がすぐそばでわたしを見ている。

「髪、染めようかと思う」

何となく口にすれば、緩慢に髪を撫でる掌はそのままに、へえ、と抑揚のない声が返ってくる。

「染めるって何色?」
「無難に茶色」
「へえ」
「うん」
「俺は、今のが好きだけど」

するするとわたしの髪を指先に絡める。
いつだってぼんやりしていて、何考えてるのかこれっぽっちもわからない男。
わたしはそんな唯太の身体の無骨さとか、抑揚のない低い声とか、短髪ともロン毛ともいえない中途半端な長さの黒髪とか、

「…唯太、」

多分、唯太が思ってるよりずっと好きだ。

「んー?」
「わたし、唯太が泣くの見るの好きかも」
「はは」

江利子さん、サディスト。
そんな台詞を彼の希少な笑顔で言われる。
サディストて。
唯太がおもむろに立ち上がったので、わたしも上半身だけを起こす。

「煙草買ってくる。あとお茶漬けとか」
「わたしも行こうかな」

猫背気味の背中についていく。

近所のコンビニで、唯太はハイライトを買って、わたしはマルボロのメンソールを買う。それから酒とつまみをてきとうに買って、またこのボロアパートに帰ってくる。その間、唯太とわたしは手も繋がないし、たいした会話もないのだろう。
そんなわたしの想像が、きっとこれからその通りになるのだろう。

「唯太」
「んー」
「髪、やっぱ染めるのやめよっかな」

コンビニまで、線路沿いの道を歩く。
空は暮れかけて、途中の中華料理屋からはラーメンの匂いがする。

「江利子の好きにしたらいいと思うよ」

なんだそれ、とわたしは笑う。
言われなくても好きにするよ。
唯太の隣で、わたしはわたしの好きに生きてる。

唯太との時間は毒にも薬にもならないけど、わたしは愛おしいと思うから、これでいい。


スタンダードライフ
12.7.22


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