世間が休日の日曜日は、熊猫飯店にとっても週に一度の定休日だ。
 店の掃除と、また明日からの料理のしこみを早々に済ませた白桃ちゃんは、いまは《不思議なお札》の制作のために自室にこもっている。店に貼り巡らせている結界札が古くなってきたのだそうだ。
 掃除や料理はまだしも、お札に関しては俺が手伝うことはなにもない。暇を持て余した俺は、鍛練に勤しんだり、広辞苑をパラパラ捲ったりするのが常なのだが──。

「実を言うと、ずっと坊主には興味があったのヨ。まさか日本に渡ってから《超・キョンシー》にお目にかかれるとは夢にも思わんかったからな。長生きはしてみるもんだ!」

 わっはっはっは、と豪快な笑い声が響く。
 庭に植えられた紅い葉をつけた木にとまっていた小鳥が一羽、驚いたように空へ飛び去っていった。

 熊猫飯店から歩いて十五分と三十九秒。俺はいま、周囲を高い垣根で囲われ、壁には蔦が隙間なく絡みついたとにかく妖しい雰囲気を醸す古い一軒家──仙人爺さんの家にいる。
 なぜかといえば今朝、日課の鍛練のあと、暇を持て余してカウンター席で広辞苑をパラパラしていたらなにやら気配を察知し、振り向けば、いつかの如く扉の擦り硝子越しに見覚えのある影がうつっていたのである。

「よう。キョンシー坊主」

 扉を開けると、立派な白髭を生やした仙人のような老人が、いつかの如くひょうきんな挨拶を寄越してきた。
 とりあえず俺もようと片手を挙げつつ、今日は定休日だと告げる。仙人爺さんは、「んなことわかっとるっつーの」と杖を地に打ち鳴らして俺を威嚇した。

「今日はな、おまえを誘いにきたんだ。おおかた定休日で暇してるとこだろう。どうかワタシの話し相手になってくれんか?」
「暇だけど、べつに爺さんと話すことはない」
「つれんこと言うなヨ〜。それにタダとは言わない、ワタシの家に来てくれたらとっておきの甘〜い茶菓子を出してやるぞ」
「甘い、菓子……?」

 思わず単語を漏らした俺を見て、仙人爺さんは仙人らしからぬ(俺が勝手に呼んでいるだけだが)悪い笑みをにやりと浮かべた。

「決まりだ。お嬢ちゃんに言っといで。『オトモダチのお家に遊びにいってくる』ってな」
  
 そうして俺は招かれるまま、仙人爺さんの家の縁側で、出された緑色の熱い液体(りょく茶、という日本の茶らしい)と、五等分に切り分けられ、それぞれに楊枝が突き刺さった黒く艶やかな菓子(ようかん、という日本の菓子らしい)に舌づつみを打っているのであった。
 ようかん、甘くて美味い。俺はなんでも食えるけれど、甘い味が特にすきなのだ。ちなみに苦味が強いものはあんまりすきじゃない。成人の肉体だけど、酒も飲めない。

「お嬢ちゃんはなんと言ってた?」

 自分の茶にふうふうと息を吹きかけつつ、仙人爺さんが訊ねてくる。
 俺はようかんの最後のひと切れを惜しみながらも口に入れ、答える。

「暗くなる前に帰ってくればいいって」
「ヨシヨシ、ちゃんと言って出てきたんだな。坊主を勝手に連れ出したって、お嬢ちゃんに後々灰にされるのは御免だからネ」
「白桃ちゃんは人間相手にそんなことしない」

 白桃ちゃんが不思議なお札を使うのは、《得体の知れないやつら》に対してだけだ。反論する俺を横目に、仙人爺さんはふふんと鼻を鳴らした。

「なんだ坊主、案外主のことをわかってないな」
「どういう意味だ?」
「おまえがまだまだ童子だって意味ヨ。……それはそうと、坊主。体に痺れや痛みはないかな?」
「? ない」
「ほお〜、やっぱ毒なんて効かないか。しかし動物なら口にした瞬間、即あの世行きのエグいやつなのに……」

 感心したようなどこかつまらなそうな複雑な面持ちの仙人爺さんの言動が何ひとつ理解できない。そんな俺に対して説明する気はないらしく、仙人爺さんはじつに勝手気ままに、今度は身を乗り出して至近距離から俺を観察しはじめる。

「フーム……。こうして観察すればするほど、外見はたしかに死人のそれであるのに、動作や会話は生者そのもの。興味深いったらない。坊主は、“不気味の谷”を越えてしまったってやつかな?」
「ブキミノタニ?」
「通常のキョンシーは額に札を貼ってるもんだが、《超・キョンシー》の場合は体内にあるんだったか。ちょっと腹かっさばいて札とやらがどう肉体を機能させてるのか観察したいところだ。わっはっはっは!」
「…………」

 言っている意味はやっぱりさっぱり理解できないが、内容がろくでもないことは世間知らずの俺でもわかる。
 ついてくるんじゃなかった、と思うものの、でもさっきのようかんはとても美味かったしな、とも思う。
 帰ったら白桃ちゃんに伝えよう。きっと、白桃ちゃんは笑ってくれる。


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