「……叔父は、市場に……じきに帰ってくると思います」
「そうか。じゃあ、ここで待っていてもいいかな」

 緊張しながらも頷くと、彼は私の横に腰を下ろした。
 本で顔を隠しながらそっと様子を窺う。と、淡青色の瞳がなんの躊躇もなく私をとらえたので、心臓が大きく跳ねた。彼は私と目が合うと、とてもやさしい笑顔になった。

「そういえば、名前を言ってなかったな。俺は劉皓月。先生には世話になってるんだ。君は、先生の娘さんだろ?」

 娘、と思う。叔父がそう言ったのだろうか。

「私は……姪です。八つの頃、実家にいられなくなった私を、叔父は引き取ってくださいました。以来ここで過ごしています」
「そうか……。でも先生は、君のことを『大事な愛娘』だと言っていたよ」
「……」
「俺には家族がいないから羨ましい。ついそう言ったら、先生は『君も息子みたいなものだ』『用事がなくてもいつでも来なさい』と言ってくれたんだ。だから最近は、使いも怪我の治療もなくても、時間があったらここに来てしまう。……ここは居心地がいいな」

 最後の言葉は独白のようだった。後ろに手をついて空を仰いだ彼は、ふとはっと我に返った様子で私に向き直った。

「ごめんな、迷惑かな?」

 すぐに首を横に振る。そんなことはありません、と消え入りそうな声で言うと、彼は目を細め、口元をほころばせた。

「君の名前を聞いてもいい?」
「白桃……」
「白桃ちゃんか。かわいい名だな。実は、ずっと気になっていたんだ。いつも君が柱の影からこっちを見てたから。心配しなくても父君をとったりなどしないよ」
「ち、ちがうんです……。私は、その……とても、あなたとお話がしてみたくて……それであなたのことを見ていたのです」

 彼に父離れできていない幼児のように思われていたことが耐えられず、ついに白状してしまった。
 いたたまれなさからもじもじしていると、彼が私に両手を伸ばしてきた。

「こっちにおいで」

 あまりにやさしい声に、うつむいていた顔を上げる。おずおずとそちらへ近寄ると、力強く大きな手があっさりと私の体を抱き上げた。彼は自分の足の間に私を座らせ、梳くように髪をなでてくれた。
 胸がドキドキと苦しくて、それなのに彼の傍らは安心感をおぼえた。
 彼からは不思議な香りがした。静かな森のような、月の冴える深い夜の底のような――。どちらにせよ、私が彼にはっきりと恋をした瞬間であった。

 以来、彼は私ともよく話をしてくれるようになった。
 陽だまりの縁側で、ふたりでいっしょに本を読んだ。彼はいつも私をうしろから包み込むように抱いて、「白桃ちゃんはいつも難しい本を読んでるな」と、心から感心したような声で私を褒めてくれた。
 でも、きっと彼は、いつだって私のことを小さな妹のように思っているのだ。なにしろひと回り近くも年が離れている。
 彼との時間は何物にも変えがたいいとしいものだったけれど、同時に彼が私を褒め、髪をなでるたびに胸が痛かった。私のような年端もいかない子どもが人並みに恋心を抱くことが、ひどく滑稽なことのように思えた。
 けれどそれでも、たった一時であっても、彼には妹などではなく、一人の女性として見られたかったのだ。

「皓くん、私……十五になったら、あなたのお嫁さんになりたいわ」

 十五になれば一人前の女とされていたこの国では、その年を迎えてすぐにお嫁にいくことが最上の幸せとされていた。
 庭の桃の木が蕾をつけはじめた冬の終わり、この日私は彼に想いを告げてしまった。十一歳を迎えたばかりだった。
 彼はきょとんと目をまるくした。でも、声をあげて笑うことはなかった。
 ややあって、ひどくやさしい、悲しみさえも帯びたようなまなざしで、彼は私の頭に手をのせた。

「ありがとう。でも俺は、お嫁さんをもらえるほど出来た男じゃないよ。先生から聞いているかもしれないけど……俺みたいなのは、ほんとうは白桃ちゃんのような女の子に関わっちゃいけないんだ。気持ちはすごくうれしいけど……」

 てっきり幼子の戯言だと流されることを疑っていなかった私は、彼への想いがいよいよ胸の底から込み上げてくるのを感じた。
 彼が子どもの私の告白に、こんなにも真剣に答えてくれる。そのことが私はうれしかった。だから思わず、閉まっておくはずだった言葉が口をついて出てしまった。

「皓くんがどんな人でもかまわないわ」
「……」
「私は、皓くんが皓くんである限り、皓くんがすきよ。この気持ちはこれからも変わらない。ずっと、ずっとよ」
「……参ったな……」

 彼は苦笑すると、少し照れたふうに目を伏せ、頬を赤らめた。彼のそんな表情を見るのははじめてだったので、私はなんだかとても彼のことを抱きしめてあげたくなった。さすがにそんな大胆なことはできなかったけれど。
 ふと、彼は懐から小さな包を取り出した。

「手を出して」

 その言葉に素直に応じると、包が私の掌にのせられた。開いてごらん、と彼が言うので、そっと包に巻かれた赤い紐を解いていく。
 現れたのは、美しい髪飾りだった。
 陽の光で繊細に輝く、真珠の装飾が施された桃の花の髪飾り。

「このあいだ市場で見つけたんだ。君に、いつか渡そうと思って……」

 言いながら彼は、掌に咲いた桃の花を摘んで、私の髪につけてくれた。

「……うん。やっぱり、よく似合ってる」

 きれいだ。そう言って、彼が笑う。
 いとしい彼が、最上級の言葉で私を褒めてくれる。幼い妹などではなく、まるで恋人を見るような目で、淡青色の瞳は私の姿をうつしてくれる。

「俺も君のことが好きだ。十五になったら、俺のお嫁さんになってほしい……白桃」

 あたたかい涙が頬を伝う。
 こんな幸福が私に訪れる日が来るなんて、夢にも思わなかった。


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