午後3時。キッチンは懐かしいにおいがする。


 約1時間前に、流し台の収納スペースから引っ張り出したシチュー鍋。
 きっと仕舞われたまま、今までほとんど使用されていなかったのだろう。鍋は真新しさの証拠みたいに、表面は傷も焦げ跡もなく、つるんと輝いてる。
 そんな鍋は今、コンロの火にかけられてコトコトとうれしそうに働いている。
 うんうん、これぞ鍋の本来の姿。あたしはとてもうれしく思う。しかも鍋の中はクリームシチュー。まんまシチュー鍋。素晴らしい。

「…なにしてんの」

 突然の背後からの声に、軽く肩が跳ねた。シチュー鍋に見惚れるあまり、足音も気配も全然気づかなかった。

「けーた、おはよ」
「はよ…じゃねえよ、なにしてんのって聞いてんだけど」

 顔だけ後ろに向けて見上げれば、同居人の無愛想な顔。寝起き全開。不機嫌さが5割増。

「シチュー作ってる」
「それは見ればわかる」
「けーた今日どっか行く?」
「…バイト行くけど」
「夜だよね?」

 据わった目で見られるけど、けーたは頷いた。寝起きの顔ちょうこわい。

「シチュー、もうすぐできるよ」

 コトコトコト。なんだか懐かしい音を聞きながら言う。

「そしたら、いっしょに食べよ」

 シチュー作ったの、ひさしぶりだな。けーたといっしょに暮らすようになる前は、家でよくごはん作ってた。
 でもお母さんがあまり家に帰ってこなくなってからは、“誰かの為に”なんて、そんなやさしい気持ちはなくなってしまったけど。

「けーた、シチューすき?」

 狭いキッチンに広がる、シチューのやさしい匂い。
 懐かしいって思うのは、あたしの中で、まだあの気持ちがなくなってなかったってことなのかな。

「…すき」

 けーたが頷いて、あたしも頷く。
 もうすぐできる。もうちょっとかな。子どもみたいに、なんだかちょっとわくわくしている。



 ローテーブルの上には、シチューを装った皿が2つ。
 ソファを背もたれにして、シチューを前に、ふたりで並んで座ってる。

「……うまい」

 口に含んだ後、スプーンの位置が口元にあるままで、けーたが独り言みたいに小さく言う。
 あたしもスプーンで掬ってシチューを食べる。お、おいしい。

「さすがクレアおばさん」
「誰それ」
「けーたって料理しないよね」
「めんどいし。切ったりとか煮たりとか」
「できないんじゃないの?」
「……シチューうま」

 謎の間があったうえに、ごまかされた。とりあえず図星ということでいいだろうか。
 素っ気ない顔してスプーンは進む。作ってよかったな。ねぇけーた、あたしのこと褒めてもいいんだよ。

「なにそのドヤ顔」
「ご褒美はハーゲンダッツでいいよ」
「ブラックサンダーな。ただし1つ未満」
「せ、せめて3つ買ってください」
「…おまえ未満の意味わかってる?」

 なんかすごい可哀相な目で見られてるんですけど。ちくしょう、けーたのばか。せっかく作ってやったのに。

「なあ」
「なに?」
「なんでこれ、シチューにツナ入ってんの」
「あたしがすきだから」
「ふうん。まあ、いいけど」

 うまいから、と言ったけーたは、またスプーンをぱくりと口に含む。
 あたしは横顔をそっと見上げる。あ、もうこわい顔じゃない。

「なに見てんの」
「べつに見てないし」
「あっそ」
「けーた、おいしいね」
「…ん」

 誰かが隣にいるあったかい気持ちって、ちょっとシチューのやさしい味に似てる気がする。
 けーた、ご褒美はいらないので、もっかい「うまい」って言ってくれてもいいよ。







13.5.5
(元拍手お礼。ちょっと直したりしました。)



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