blue18 | ナノ


 スラックスのポケットに手を突っ込んで、寒さからやや猫背気味になりながら階段を上がる。昨夜から降り続く霧雨のせいで、室内にいてもどこか視界が白く霞んで見える。
 果たして階段を上がりきったその場所には、慶介がいた。屋上へ繋がる扉の手前で、折った膝に顔を埋めている。

「こんなとこ座って、寒くねえのか」

 返事はなかった。
 まさかこんな場所で眠っているのかと思ったが、よく見れば慶介の両耳にはイヤホンがはめられている。

「何聴いてんだ」

 どかっと隣に腰を下ろし、慶介の片耳からイヤホンを引っこ抜いて、それを自分の耳にはめた。聞き覚えのあるギターの旋律と、男のボーカルの声。すぐに、俺が前に貸したSyrup 16gのアルバムを聴いているのだとわかった。

「……やべ、寝てた」

 慶介がのっそりと顔を上げた。
 頬についた短い赤い糸のような寝跡を見て、ほんとうに寝ていたのか、と呆れを通り越して感心する。

「さみーだろここ。こんな天気じゃ外にも出れねえし」

 鉄の扉の向こう側から、霧雨の音が聞こえてくるようだった。吐く息が白い。だけど慶介は軽く笑って、大丈夫、腹巻きしてっから、と言う。腹巻きて。

「爺かよ」
「腹巻きすげえあったかいよ。しかもカイロまで貼ってるもんね。最強」
「カイロくれよ」
「怜ちゃんは?」
「呼べよ、ケータイ知ってんだろ」
「俺じゃ来てくれないよ」

 やけに哀愁めいた声で、慶介が言う。その横顔がなんだか妙に儚げに見えた。寝起きのせいかもしれないと思う一方で、もともとそうだったかもしれない、とも思った。
 この白い横顔は見慣れているはずなのに、こうやってふとした時に、俺の心臓をつかんでくる。微かな雨音の中、陰り、冷え切ったこんな場所にいると、慶介の顔は一層白く見えるのだ。一層、現実味を欠いて見える。
 しばらくお互い黙ってただ音楽を聴いていた。やがて予鈴の鐘の音が聞こえると、慶介はプレイヤーを操作して、音楽を切った。

「次、なんだっけ」
「現文。なんだ、出んのか?さぼるのかと思った」
「俺は優等生だからね。優くんと違って」
「よく言うわ」
 
 屋上の鍵パクってコピるようなやつが。
 だいたい授業なんか、もう出ても出なくてもいいような中弛みの空気が漂っている。なにせあと数日で、三学年は自由登校になるのだ。卒業までの間、冬休みの延長のような期間。
 進学校とは決して言えないこの学校で、死にものぐるいで難関大学を受験する生徒はごくまれだ。頭に超がつく難関大学の受験を控えている慶介はその中に含まれるわけだが、しかし本人にはまったくそんな様子が見られない(たしかこないだセンター試験を終えただとか言っていたような気がするが)。
 とにかく、まだ進路が決まっていないやつらには悪いが、早々に就職の道を選んだ俺にとっては、ほんとうにあとは無事に卒業を待つだけなのだから中弛みもする。

「卒業か……」

 白い息とともに口から出たワードに、実感だけがうまくわかないのは、拍子抜けするほどにあっさり進路が決まったためか、それとも、鼻歌交じりに階段を下りていく、視界にうつる細い背中のせいか。
 受験、自由登校、卒業。高校生活がいよいよ終わりの色を帯びている。わかりやすく焦ったり、中弛みしていたりする中で、慶介だけが“いつも通り”に見える。
 慶介は、と思う。
 慶介は、きっと大丈夫だろう。受験はうまくいくだろう。ヘラヘラしてるけど、人一倍要領のいいやつだ。体育だけは3だけど、それ以外はオール5を取るようなやつだ。
 だから、まるで何事もなかったように、慶介ならきっとうまくいく。
 それで、そうして、

「……?」

 何事もなかったように、俺たちは別れるのだろうか。

「おい、」

 視界の先の細い体が、ゆらりとゆれた。

「――慶介!」



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