おとなりさんは今日も冷たい
ふんふんふふーんとあまりうまくもない鼻歌を歌いながら、冷蔵庫を開く。
そこには牛乳と卵、それから食べかけのお惣菜が存在するだけ。予想はついていたが、こんな食生活で健康な体なんて継続できるはずがない。
今日の学校の帰りにスーパーに寄って帰ろう。そんで野菜を食べさせなくてはならない。
ともかく今朝はわたしも学校に行かなくてはならないので、ここにある材料でぱぱっと何か作るかな。
食パンは…ある。ならばフレンチトーストだ。
勝手知ったる彼の家。わたしはにやける顔を抑えきれずに、ご機嫌で準備に取り掛かった。
…なんか、こうしてると新婚みたいじゃない?うふふ。
「あなた、今日の朝ごはんはフレンチトーストよ…」
ああ、いいなぁ。そんなことが当たり前に言える未来。
先程スイッチを入れておいた洗濯機の動く音を聞きながら、にやけた顔のまま後ろを振り返る。
そこには怪訝な顔でこちらを見つめる彼の姿があった。
「あ、ロクくんおはよう」
「おまえ…何で」
「朝ごはんフレンチトーストでいいよね?」
「聞けよ」
寝起きのロクくんは髪の毛もボサボサだし、スウェットの裾が片足だけめくれているし、いつにも増して目つきが悪い。
でも、世界一かっこいい。
「どっから入った」
「…えへへ」
言ったらまた怒るでしょう、ロクくん。
ごまかすように口笛を吹いてみるものの、口から出るのは気の抜けた空気だけだった。
そんなわたしのふざけた態度がさらに怒りを助長してしまったらしい。彼はバンっとそばのテーブルを叩いて怒鳴る。
「ベランダからは入るなって言っただろ!落ちたらどうすんだこの馬鹿!」
「だって…」
「だってじゃない!お前本当いい加減にしろよ…」
「ロクくんのことが心配なんだもん」
放っておいたらご飯抜くし、まともなもの食べないし、洗濯だって全然しない。
怒鳴られて肩を落とすわたし。ロクくんはちょっと焦ってもごもごと言葉を詰まらせた。
「いや俺だってやるときはやるし…」
「いや!やらない!だって何もないんだよこの冷蔵庫!洗濯物だってあんなに溜めて!」
「だからって勝手に入っていいことにはならないだろ!論点をズラすなガキ」
あ、ガキって言った。もう許さない。
そりゃロクくんにとってはわたしは年下だけど、たかが2、3歳の違いでしょ。そんなものでガキ扱いされちゃたまらない。
「せっかく朝ごはん作ってあげたのに!」
馬鹿。ロクくんの馬鹿。出来上がったフレンチトーストのお皿を乱暴にテーブルに置きながら、不機嫌な彼を睨みつける。
それと同時に洗濯の終わりを告げるセンサーの音が鳴った。
「洗濯物干してくる!それ食べといて!」
ぷりぷりと怒りながら彼に背を向ける。こんな風な態度をとるから子供扱いされるんだとは知っているけれど、でも止められない。
会いたいってわたしの気持ち、どうしてうまく伝わらないの。
何で会いにきちゃいけないの。こんなにすぐ近くにいるのに。
「…ベランダは今度から絶対に鍵閉めるから」
「…」
つーん。無視して洗面所に向かっていると、諦めたような声が後ろから響いた。
「来るときはちゃんと連絡しろ。玄関開ける」
はぁ、と彼の溜め息を聞いて、わたしは口角がゆっくりと上がっていくのを感じていた。
…ずるいなぁ、もう。
「ロクくんのばか!好き!」
たった一言でわたしの怒りなんか、全部持って行ってしまうんだから。
「はいはい」
「真面目に聞いて!」
おとなりさんはいつだって冷たい。怒ってばかりだし、欲しい言葉なんかくれやしない。
それでもわたしは、そんなおとなりさんが世界一大好きなのだ。