傷んだ尾鰭とただれた背中と剥がれた鱗がキラキラとバスルームで揺れている。白く美しく伸びやかな腕が僕の方に向けられる彼は水の中にいるのがいっとう美しい。まだ火傷の跡が残っている。なぜ彼が魚がひとに似た魚がアスファルトに焼かれていたのか涙していたのか狭い風呂場に揺蕩う彼は答えない。
- ひろいもの2


魚を拾いました随分とひとに似た魚でしたアスファルトに焼かれて火傷を負っていたので声をかけましたそれは夜のことでしたこれ以上痛い思いをするのは嫌だと涙を流しながら僕に腕を伸ばしました止せばいいのに僕はその白く伸びやかな腕を取ったのです魚を拾いました彼はいまバスルームで眠っています。
- ひろいもの1


ただ悲しいだけの物語にさようならを言いたいのに
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私は他の何者にもならないし、あなたもあなた以外の何者にもなれない。あなたと私は同じ人間だけど個として異なるので、あなたのことは理解できないし私のことも理解しないでしょう。私は私でしかないし、あなたはあなたでしかない。私達はきっと、歩み寄ることはできるけれど、分かりあうことはない。
- 決別


いつだって私達は理不尽に晒されていて、世界全人類が同時に幸せになる日は来なくて、それでも生きているのだから、まっすぐではいられなかった背骨と手を繋いで、それで、嗚呼私達は、私達はいつだって理不尽を生きていて、不条理がそこにいて、曲がった脊椎があって、どこかで少女が泣いているのだ。
- 縮図


あなたと話している私とは別に私が居て、私の本心はこちらにはない。今あなたと話している私だけが本当ではない。私は分裂している。誰にでもあることだけど。そこの私も私で、そこにいない私も私。嘘はないけど、それだけでは足りてない。本心はここにない。そこの私は嘘ではない。私は分裂している。
- わたし-わたし-わたし


きみをつくったことは今世紀最大の過ちだよとぼくらのかみさまは言った。手から転がり落ちたネジがかわいそうだと思った。
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そこにいるのは虚無だ。中身のない虚空。鏡のようだと思う。よく似ていると思う。ここの、この、空洞に似ている。あの人は虚無だ。名前を与えられた虚無。可哀想に、虚無はその名前を違えないように演じることしかできない。健気で哀れな虚無はそれしか知らない。そこに自分を見るのは、愚かだろうか。
- 映す虚


鏡の向こうに私がいる。反射した光が見せた虚像の私が私を見ている。私が右腕を伸ばすと、同じように左腕を伸ばし、鏡を境に私と触れ合う。ぷつ、と、私の指が沈む。向こうの私の微笑が、揺らいでいる。鏡面が揺れている。私の指が沈む。虚像が実像になる。鏡の向こうに世界がある。鏡を境に私がいる。
- ドッペルミラー


夏は遠い波打際、灰色の海が私の足を洗っている。真昼の太陽を雲が遮って薄暗い。死ぬにはとても良い日だ。私は一歩踏み出して、波が足を洗って。それから、ゆっくり踵を返して、靴を履いた。終わりにするのにとても良い日だった。投げ捨てた鞄を拾う。今日の事なんて、どうせ明日の朝には忘れるのだ。
- 希死


ただ少し、嘘が過ぎただけ。少し、死に損なっただけ
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風が舞うたび、彼女の髪がふわりと揺れる。甘い匂いが、私の鼻腔を擽る。うつくしいひとだ。私は思う。甘い匂いがする。彼女がうつくしくわらう。髪が靡く。甘い匂いがする。私は顔をしかめる。私にはないもの。痛んだ自分の指先を弄び、俯く。うつくしい声が私を呼ぶ。私は、甘い匂いに顔をしかめる。
- 香を憎む


世界が滅んだ。全然映画みたいじゃなかった。ある日突然、少なくとも僕がニュースで知ってから5分と経たずして、呆気なく滅んだ。あちこちでまだ炎が燻っていて、でもじきにそれも消えて、残された何人かだけが、傾いたコンクリートジャングルで緩やかに死んでいく。太陽がまるで平日みたいに昇った。
- 次の週末に会おうねと言った


「所詮その程度だと言われてしまったので、止めてしまおうかと、思ったのだけれど、他に生き方を知らないのに気が付きました」と、言った。わたしより低い位置にある頭。わたしは、彼の顔を上に向けた。狭い視界の哀れな子、幼い手には無限があって、わたしたちなどよりずっと、未来は開けているよと。
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キィ、と床板が軋んだ。構わず踏付けて歩いた。窓に張り付いた葉と蔓が、木漏れ日を零している。先を行く猫がゆらりと尾を振り、こちらを一瞥した。外の明るさが嘘のように屋内は暗い。漏れる明かりだけでは足りない。猫の眼が、こっち、と言う。彼が誰かに似ている気がして。私は歩く。床板が軋む。
- 待ち人


もしかしたら私は詩人になりたかったのかもしれないと語る女に、僕はそうだろうねと言った。彼女は絵を描く事も、歌う事も、物語を創る事さえも下手で、しかし言葉だけは書くことが出来た。人間は何かを伝えずには居られないのだといつか言ったのは僕だったから、僕は彼女に、そうだろうね、と言った。
- 息をするように僕らは


意味がないのだ、最早。孤独に耐えてこの海原を漂う事は、正しくないとされてしまったから。鳥がオリーブを咥えて来るのを待つのは、水が引くのを見るのは、正しくはないらしい。だからこれは、もう意味がない。それでも私は祈るのを止められないでいる。奇跡のような"もしも"を、じっと待っている。
- 甲板の上


私は生きている。粛々と、淡々と。カレンダーに日ごと印をつけていく作業。それが私にとってのセイ。生きるということ。それが、彼女にとっては違ったようで。アイが無いなら生きてないと宣う、女に嫌われるタイプの女。私の妹。同じ腹を故郷に持つ。対象の位置。私は、アイを知らぬまま死ぬ、予感。
- 姉妹


車内に甘いドーナツの匂いが充満している。胸焼けがする。あまい、あまい匂いだ。砂糖の匂い。吐き気がする、あたしは甘いものが嫌いなのだ。堪らず隣の車両へ移動する。ドーナツの匂いが追いかけてくる。3両先に腰を落ち着けたら、少女がワッフルを食べながら乗車した。あたしはまた席を立った。
- あまい窓


沈黙する、あたしは流れ墜ちる赤を見ている。垂れ込んだ雲が反射して赤く染まった。あたしは、とおくに聴こえる音を見なかったことにして、沈黙した、自分の世界を閉じた。ここからここまで。外のことは、とおくのことは、反射して目の前に見えている赤は、あたしの知らないこと。誰かが泣いていても。
- 他人のこと


後ろを振り返ると、必ず人の死体が見える。という幻覚。昔は努めて振り返らないようにしていたけれど、慣れてきて何も思わなくなった。彼はそれが悔しかったのか、次第に趣向を凝らし始めた。死体が踊っても面白くないのでどうか反省してほしい。背後からヒゲダンスが聴こえるおかげで内定はまだ無い。
- 面接官に謝れ


100万回死んだ猫が最初に死んだ時
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金魚が空中を飛んでいて、通りすがった野良猫が、やあ、こんな場所で飯にありつけるなんて、と、猫が跳んで、金魚は食べられてしまった。宙を漂う金魚はいなくなってしまった。横を見ると、猫が、やあ、見苦しいものを見せたね、と、空中を飛んでいて、私は、猫を捕まえた。私は飛ばなかった。
- 食金魚


彼女が泣いていました。彼が何か言ってしまったのでしょう。彼女は強いひとだけれど、同じくらい弱いひとだから、きっと彼が、たとえば突き放すようなことを言ってしまったら。彼女は泣いてしまうのかしら。おれは彼女にとっての何でもなくて、慰めることも出来ないのに、彼は彼女を泣かせるのです。
- 怒/羨


ただ黙々と、夜をやり過ごす作業をしている
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お前が殺した私の死骸が土の下で朽ちている。そのうち夏の蝉よろしく這い出てきて、お前の庭で羽化して、お前の庭で鳴き喚いて、お前の庭で死んでやろう。そうしてまた土に還って、次の夏には這い出てきて、お前の庭で羽化して、お前の前で死のう。踏み潰してくれるなよ、一度はお前が殺したのだから。
- 再葬


天井の隅にある蜘蛛の巣が目に付いた。蝶が一匹絡まっている。蜘蛛がひたりと近付いて、哀れ蝶は彼の餌食に。湿気た空気が重くて、身動きが取れない今の状況は、あの蝶に似ていると思った。せめて僕を殺すのは君であれと思うのだけれど、蝶は蜘蛛に殺されたかった訳ではないしな、と半ば諦めている
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線路の上に横たわっているような、もっと言えば、三途の川の前にいるような気分だった。これから自分はこの川を渡るのだと変に冷静な自分に驚いた。驚いて、すこし、わらった。半分しかないエンジンの切れた音がする。じきに鉄の塊は海に落ちる。走馬灯はもう、廻らないだろう。操縦桿から手を離した。
- 最果ての海


その日私は女に成った。あかい血液が、太腿を伝って、脚を滑り落ちていく様を見て、死んでいくようだと思った。私の中の女が死んだのだ。彼女はぎりりと悲鳴を上げて、まだ死にたくないと血の涙を流している。私の中の女を殺して、私達は女になるのだ。女は誰しもが人殺しだ。私の中の女を殺したのだ。
- female


朝食の代わりにオレンジを食べようとした。二日酔いの頭を引きずったまま、果物ナイフを右手にとって、そしてそのまま床に落としてしまった。幸いからんと音を立てただけだったが、すぐに左手のオレンジが後を追うように床に落ちた。私は何故か虚しくなって、果物ナイフを恨みがましく見つめていた。
- オレンジの心中


 



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