ねじまき島の冒険 9/9P


ねじまきタウンにたどり着いたクルーは、ナミとメリー号の救出の前に身支度を整えなくてはと、そそくさと中央段目に位置しているお店エリアへと走って向かっていった。最初に軽食をテイクアウトし、次にブティックへと足を運ぶ。
ゾロとウソップは、お肉やパンを口に咥えながら適当に服を選んで、重たい晴れ着を脱いでいく。小さなことは気にしないのか、一人で切り盛りしている小柄なおばあさんはニコニコしながらカウンターでみんなを見つめていた。

「わあ素敵〜! すごいわ。このブランドを揃えているなんて!」
「アリエラちゃんはどんなお洋服も似合うだろうなァ〜! お人形さんと見紛うほどの美しさだもんなァ

目を輝かせて、かけられている服を眺めているアリエラがウエディングドレスなことにはおばあさんも驚いた様子だったが、「好きに見ていっておくれ」と優しい声を彼女に投げていた。島にひとつしかないというブティックに、堅苦しく高級なのでは…と変な先入観を抱いていたクルーだが、随分と気のいいおばあさんに心地の良さを感じてサンジも吟味して服を選んでいる。

自分のが決まり、更衣室で袖を通した後にもアリエラは変わらずう〜ん、と唸ってあちこち悩んでいる様子だ。その後ろにはあくびをしたゾロがいて、ったくあの野郎は…と心の中で悪態をつく。ほんと、レディの扱いがなってねェ。アリエラちゃんはてめェが惚れている唯一のレディだろ。それなのに。と思ったところで、どうしてか胸がずきりと痛んだ。
最近多いこの胸の痛みに嫌な予感が重なって、サンジは舌打ちをして笑顔を作り、アリエラの元へと駆け寄っていく。

「アリエラちゃん」
「わあ、サンジくん。とっても素敵なお洋服ね。似合ってるわ」
「ありがとう。アリエラちゃんに褒めてもらえるとすっげェ嬉しいよ」

緑色のシャツに、紺のスラックスといったラフな格好だがスタイルのいいサンジが着るととても映えて見える。素敵、と褒めるアリエラにサンジもにっこり笑顔を浮かべて冷静にお礼を返した。
どうしてか、彼女を前にすると変に緊張してメロリンな自分が出せない時がある。
それは、彼女が類まれな美貌を持つからだろうか、眩しいほどの光を持っているからだろうか。いや、どちらも正解でどちらも違う気がする。もっと簡単でわかりやすいものなのだろう。そう、この剣士が胸に抱いているものに似た、わかりやすい感情。だけど、それに気づきたくなくサンジはそっと思考をやめた。

「まだ決まらねェのか? アリエラ」
「だって、どれも素敵なんだもの。う〜ん…こっちもいいし、こっちもいいなあ」
「ったく何にも分かってねェな、てめェは。レディは頭で全身コーディネートを浮かべて服や小物を選んでいくんだよ。だからこうしてあちこち迷っちまうのさ。ね〜アリエラちゅわん!」
「ええ。サンジくんはよく分かっているわね」
「そりゃもう…女の子のことはなんでも!」
「アホくせェ…」
「あァ!?」
「お前に似合わねェ服とかねェだろ。好きなやつを着りゃいい」
「…まあ」
「てめェ…、」

お肉を咀嚼しながらさらっと告げたゾロにアリエラもサンジも瞠目して彼を見上げた。
あのゾロが、こんな言葉を吐けるだなんて。きっとそれは本心だから下心も何もなく、ただ事実を告げたまでなのだろうが。サンジの瞳にはいやに映ったのだ。こいつ、天然たらしじゃねェのか?と。
アリエラも彼の一言にハッとしたみたいで、「これにするわ!」と水色のワンピースを手に取って更衣室へと駆けていった。

「まさか…お前があんなこと言えるなんて…ッ」
「あァ? 事実だろ。あいつは飾らねェでも飾ってもどちらにしろ何でも似合うだろ」
「ほんっとてめェは…本当は女の子大好きなんじゃねェのか?」
「フザけんな。好きじゃねェ」

心底うんざりしたようにため息を吐くゾロの横顔をチラリと見て、サンジは緑色のシャツを撫で回した。煙草を探るいつもの癖だが、そうだ。これはいつもの服ではない。スラックスにしまったことを思い出して、ポケットに手を突っ込んだ。気分を落ち着かせようと煙草を咥えると、おばあさんから「喫煙は外でね」と声をかけられ、ライターをそっと引っ込めた。
煙草を常に吸っているサンジが外に出て行かないのを見るに、煙草を吸うよりも一刻も早くアリエラの新しいお衣装を拝みたいのだろう。とゾロは思った。こいつは女好きだが、アリエラに対する目の色や態度に違和感を抱くことが最近多々ある。やっぱそういうことか…と彷徨う疑惑を落ち着かせる前に、しゃっと優しい音を立ててアリエラが更衣室から姿を見せたので思考はぱたりと中断した。

「どうかしら?」

ふわりとした水色のワンピースは、少しバルーンを帯びていてひらりと風に靡いて揺れた。
白い襟も、レースもリボンも。細部までしっかり凝られた装飾には気品があり、アリエラにとっても似合っている。いつものようにハーフアップに結んでいた髪の毛も水色のリボンでふたつに結われていて涼しげだ。ゾロもサンジも思わず見惚れてしまっていた。
二人の凝固した視線に気が付いたのか、白いパンプスを引っ掛けたアリエラはくすくす笑った。

「どうしたの? 私に見惚れていたの?」
「「い、いやァ……」」
「まあ、うふふっ」

そっぽを向いて、頬を掻く二人がおかしくてどうしてか可愛くって。アリエラはもう一度可愛らしい笑い声も洩らした。いつも褒めてくれるサンジはともかく、ゾロまでもが否定をしないと言うことはそういうことだ。わかりやすい二人がおかしくて面白い。

「似合っているかしら?」
「…おう」
「そりゃあもう…! アリエラちゃんのために作られた服みてェなほどにキミにぴったりだよ」
「嬉しいわ、ありがとう

きゅるんと瞳を丸めるアリエラが愛らしくって、二人はまたすぐに顔を逸らしてしまう。
本当に彼女は危ない毒だ。日に日にこの毒に犯されていっている気がして、強い敗北感を抱いてしまうが、相手が彼女ならばそれもいいと思えてしまうのがまた怖いところだ。恋という得体の知れない感情を心で飼ってる二人は、やれやれと重たいため息をこぼして光を逸らすように外に目をやった。

「あら? ウソップは?」
「ああ…ルフィ追いかけて出てった」
「そういや、ルフィもいねェな」

元々ルフィはいつもの服を着ていたので、着替えの必要はなかったために、このブティックには姿を見せなかった。大方、外でご飯を貪り食っているのだと安易に想像がつく。この一週間、まともにご飯を食べれなかったから相当腹ペコなのだろう。さっきもスーパーの中で大はしゃぎをしていて少し恥ずかしい思いもしたのだ。今は大金を持っていないから、軽食を大量のリンゴで我慢してもらっているが、果たして彼はそれで足りるのだろうか。これからの奪還と決闘を考えると少し心配になってしまう。

「おれたちはもう金も持ってねェし……ここの払いはよろしくな」
「えっ!?」

殴り込みの前に腹ごしらえと身支度を整えている海賊を、ブティック店内でじっとり待っていたボロードとアキースにサンジは軽やかに支払いを押しつけた。完全無防備だったボロードはついついそれを受け取ってしまったのだが

「悪ィな。ありがとよ」
「わあ、嬉しいわ。どうもありがとう
「え、あのちょっと!?」

ゾロもアリエラもニヤリにこりとお礼を告げるものだから、断れなくてボロードは伝票を持ったまま、アキースと呆然と立ち尽くしてしまう。
さらりと店内を後にする彼らにやっぱこいつら海賊だ…とぐつり煮えてきた怒りを感じながらも、笑顔を作っておばあさんに交渉を持ちかける。

「はいよ、毎度」
「あの…まけてくれない?」
「ダメです」
「今月苦しいのよ」
「ダメですって」
「ぐう…ッ」
「あいつら…ボロードに払わせやがって!」

笑顔で断るおばあさんに気圧されて、ボロードは渋々全額きっちり払ったのだった。もうお財布はからっからで残ったのはたったの三ベリー。これでどうやって生活をしていけばいいのか。がっくしと肩を落として、アキースと共に店内を後にする。

その頃、ゾロたちはルフィと合流を果たしていた。
二人は、ブティックの少し下に建っているお店の前に立っていて、ショーウィンドウをじいっと見つめている。

「ルフィくん! ウソップ! 何しているの?」

ヒールを鳴らして駆け寄ってきたアリエラに、ルフィとウソップもおうと顔を上げた。
二人がサンドウィッチやリンゴを口にしながら熱心に見つめていたのは、この島の伝統を感じる美しいねじまき型の工芸品だ。
ウソップの隣に並んでガラスの向こうを覗いたアリエラも、わあと歓声を上げた。

「すげェだろ?」
「アリエラ好きそうだな〜ってウソップと話してたんだ」
「ええ、こういうの大好きよ! わあ、お部屋に飾りたいな〜」

美しい光沢のあるガラスでできた置物は、緻密なデザインでどれも渦を巻いている。螺鈿が施された赤やピンク、緑に青、紫に金に銀などあらゆるカラーで作られているそれらは、花瓶や水差し、香炉に燭台などあらゆる調度品にもなりそうで、綺麗なだけでなく実用的でもある。アリエラはそこにまた瞳を輝かせていた。
三人の後ろを横切って、サンジとゾロは先にこの工芸店に足を踏み入れた。
入り口の壁に沿って工芸品は並べられているが、店内は意外の他に殺風景な物だった。一階の中央に階段があり、ロフトのような吹き抜けの二階に中年の男女がテーブルの前に腰をおろしていた。

「へェ、ねじ製品か」

よくよく見てみれば、工芸品にはぜんまいがついている、これを回せば、おそらく美しい音色が聴けるのだろう。そういえば、アキースがこんな細工のついたオルゴールを持っていたな。とふと思い出す。あれもこの島で作られたものだろうか。
その時、アリエラに続いてちょうどボロードとアキースが店内に入ってきた。二人の表情は少しむっすりしている。

「モゴモゴ!」
「ねじまき」
「モゴ!」
「島は」
「モゴゴゴ!」
「楽しい!」

まだ外で立ったまま口いっぱいに頬張っているルフィの声とジェスチャーで通訳しながらけらりと笑うウソップの声が、店内に届いて響いた。正解!と丸を作るルフィと笑い合っていると、椅子にかけていた男性がふんと鼻を鳴らしてこちらに視線を落とした。

「…よそ者が」
「「ん??」」

白衣を身につけているこの中年の男女はさっきベアキングに直談判をしていた二人、ねじまきタウン町長夫婦だ。彼の厳しい一言に、ルフィとウソップも店内に駆け込んでロフトを見上げる。

「何も知らないくせに…。楽しかったのは昔の話さ」
「昔?」
「かつては夢のような時代もあった…」

ふっと目を細めて表情を落とした男性にルフィは、咀嚼していた食べ物をこくんと飲み込んで瞳を瞬かせる。

「私たちの子どもが生まれた記念にこのカラクリ時計を作って島中のみんなに祝福されたことも…」

女性は憂い表情で、壁にかけてある絵を見上げた。額縁に収められてある煌びやかな一枚絵は、さっきトランプ城を見上げた時に見つけたあのダイヤモンドクロックとそっくりだった。製作者が不明なその宝の時計は、この夫婦が作り出したのか。

「わあ、絵のような素敵な設計図ね。
「すげェ! ダイヤモンドクロックはあんた達が作ったのか!?」

ボロードと共にずっと探し求めていたダイヤモンドクロックに、アキースは子どもらしく瞳を輝かせて夫婦に問うたが、それを一番に求めているはずのボロードはどうしてか冷静なまま、反応は見せなかった。

「だが……トランプ海賊団がこの島を占拠してから毎日が地獄に変わってしまった…」
「え、地獄って…?」
「今は…人を殺す兵器しか作れないんだ! 反論すれば、島はベアキングに破壊されてしまう…。奴らがねじまき島に居座って、島のねじを手にしている限りはね」
「まあ…なんて……」
「ひでェ〜…!」

厳しい述懐を抱いている夫婦の言葉に、アリエラとアキースはそっとこぼした。
くるりとした丸い幼い目をしたアキースを女性は不思議そうな表情を浮かべて見下ろすと、少年は照れ臭くなったのか、ふいっと顔を逸らした。
むず痒くて、恥ずかしくて。どうしてこんな気持ちになるのか、アキース自身も何も憶測がつかなくて隠れるように、ボロードに近づくと彼は脚に触れたアキースの影にハッとして、口角を上げ、顔を持ち上げた。

「だったらその問題は解決だな! それはここの世界一の海賊団がトランプ海賊団をやっつけてくれるからよ!」
「……」

また気丈に振る舞い、さっきのメリー号同様に意味深な発言をする彼にゾロの中での警戒心と不信感が更に募っていき、双眸を向けるが目を細めても彼の仮面を破ることはまだできない。
彼同様、サンジも何かを感じ取ったのか、煙草に火をつけながら睨みを流す。

「おい、別に請け負っちゃいねェよ」
「そ、そうだ! おれたちはただ取られたもんを取り返すだけだ! なな、なんで好き好んで…!」
「ナミとメリー号を取り返したら私たちは……でも、」

なんだか、あの夫婦の話を聞いてしまったらこの島で起こっている惨劇を無視できなくて、アリエラは小さな手を胸に当ててふいっと目を逸らした。
そんな彼女に目を向けたゾロは、やれやれとため息をこぼす。

「だが、だってよ。腹立たねェのかよ!」
「立たねェのかよ!」
「奴らがいるとこの町は救われないんだぞ!」
「救われないんだぞ!」

なんだか、トランプ海賊団と戦うように仕向けられている気がして、ゾロとサンジの眼光はますます尖っていく。ただボロードの発言を繰り返しているアキースにはその意思はないのだろうが、どうも怪しさがどんどん鳴りを潜めていく。

「とかいって〜…。本当はその方がダイヤモンドクロックを盗みやすいとか考えてんじゃねェのか?」
「バカ! 言うんじゃねェ!」
「そういうことなのね」

ウソップの口を慌てて塞いで、夫婦に作り笑いを向けるボロードにアリエラもぷっくり頬を膨らませて腰に手を当てた。「ほっぺた膨らませるアリエラちゅわん、かっわいいなあ〜」「アホ」「ああ!?」後ろではそんな二人のやりとりが空気を揺らしているが、女性は騒がしさをものともせず、そっと立ち上がってボロードを俯瞰した。

「別に盗んでもいいのよ」
「え?」
「あの時計を見るたびに悲しい過去を思い出すだけ……。でも、盗むのは絶対に無理。今までにそう言って帰ってきた人はいないもの」
「無理なもんか! ボロードに盗めないものなんてない!」
「あァ、そうさ!」
「あなた達はトランプ兄弟の恐ろしさを理解してないだけです! 命が惜しかったら今すぐ出て行ってください!」

手すりから身を乗り出す勢いで、彼らの行動を阻もうとする夫人にサンジとゾロがふっと息をこぼした。落ちたそれは、熱を持って床を撫でる。

「それはできねェな」
「こっちにも事情があんだよ」
「ええ! 大切な仲間と船を何としてでも取り返さなくちゃいけないの!」
「でも、でも! 死んでしまったら未来はないのですよ!?」

これまでに、一体どんな惨劇を目にして肌で感じてきたのだろうか。
自分自身が強制的に作り出した“兵器”でこれまでどれだけの人々が。直接手をかけたり、兵器を使用したりしたわけではないのだが、やはり死の直接原因は兵器だ。揺るがない真実にひどく胸が痛み、毎夜毎夜告解する日々が続いている。あんなものを作らなければ。そんな後悔がどっと押し寄せて、人を支配する。鎖で縛られて、自由など人権などない日々。もう、誰にも死んで欲しくない。辛い思いをしてほしくない。そんな悲痛を抱き、訴えるのだが、夫人の懇願を振り払うのはルフィの強い一言。

「……命賭けなきゃ、未来は切り開かれねェ」
「え……?」
「だろ?」

ニヤリと笑みを浮かべるルフィに、夫人は目を丸くして息を呑んだ。
サンジとゾロも笑みをたたえて船長に視線を投げ、アリエラもウソップも感心したような面持ちで見つめている。
すっかりお腹も膨れたルフィは満足したみたいで、夫婦のいるロフトに背を向けた。

「よし、じゃあ行くか!」
「おう!」
「ナミさん…待っててください。今、必ず…」
「ナミ、私たちが助けに行くわ!」
「痛っ!」
「おい、お前なにやってんだよ」
「アキース、行くぞ!」
「おう!」

ルフィを筆頭に、ゾロから順番にお店を出て頂上へと続く石階段道を駆けていく。お店の玄関につまづき、転倒したアキースをウソップが抱き上げて立たせると、二人の横を通り過ぎたボロードが駆け上がりながら少年を呼んだ。
慌てて兄のように慕っている大きな背中を追う少年は、転んだ拍子に落としてしまったオルゴールの存在に気がついていないようだ。

「あなた達!!」

止めるように、夫人は慌てて顔を外に覗かせたが、海賊をやっている彼らの足は早くもう追いつけない場所まで登ってしまっていた。あっと驚く夫人は、地面できらりと光るものに意識が引かれて視線を落とす。

「あら…これ、」
「どうした」

ややあって、中から出てきた主人に拾い上げたオルゴールを見せた。
ねじまきの装飾が手掛けられている木箱のオルゴールにはよく見覚えが──いや、決して忘れられない悲しい過去が鮮明に甦る。綺麗に毛布で包んだ赤子を大きなバスケットに寝かせ、自身で作ったオルゴールを子守唄がわりに聴かせながら、海へと放流した、悲しい記憶。
許してね。あなたを兵器に巻き込むわけにはいかないの──。

「…今の子、アキースって──」
「あァ…」

声を震わせる夫人の細い肩をそっと大きな手で支える。
夫人も、水の膜を大きな瞳に張って、ぎゅっと力強くオルゴールを握りしめた。