ねじまき島の冒険 7/9P


「本当にこれでねじまき島に行けんのか?」

再び穏やかな海域。風を切る音に紛れて、ゾロのいぶかしい低音がこぼれた。

攫われてしまったナミとGM号を取り返すべく、トランプ海賊団の根城となっているねじまき島≠ノ向かうことにした一向は、ボロードの案内に従っている。甲板がさらに大破してしまったが、かろうじて七人乗れるほどの面積はあった。
そこで、ボロードが懐にいつも潜めていたタコ紐とパラシュートを使って、簡易的な帆を作り割れた木板を小さな船に変えたのだった。とは言っても、囲いは存在していないからアリエラは海水を避けるように真ん中にちょこんと、牡丹のように綺麗に座っている。

「沈んじまいそうだぜ」
「黙ってろ! ボロードは風や波を操縦するのは天才的に巧いんだ!」
「お前が威張るな、クソガキ! 大体、ナミさんが攫われたのもてめェが海に落とし物をしたからだろ!」
「そうだそうだ! つか、何だそれ。お前の宝物か?」

苛立っているサンジに大きく頷いて、ウソップはアキースを覗き込む。彼の小さな手には、さっき海面にぷかぷかと浮かんでいた美しい長方形の箱が握られていた。蓋はエメラルドグリーンで、箱部にはゴールドで美しい模様が描かれていて、繊細な模様の入ったぜんまいが箱中央にひっそりと佇んでいる。

「まあ、綺麗ね。これはオルゴールかしら?」
「……うん」

ウソップにつられて、アリエラもひょこっと顔を覗かせてみる。
おっとりとした声にどこか安心を憶えたのか、アキースは力なくこくんと頷いた。

「クソてめェ〜! アリエラちゃんに鼻の下伸ばしやがって!」
「いや伸ばしてねェだろ」

ふっとやわらかな音にアキースは安心を抱いただけである。サンジの目にかかればそう映るのか、と呆れながらウソップはどうどうと宥める。
ざぷんざぷんと波が踊るなか、機械的な音を立ててアキースはぜんまいを回した。限界まで捻ると、ぜんまいは解放を求めるように反時計回りにシリンダーが回転をはじめる。すると、美しいメロディーが海原に響き渡った。

「わあ、素敵な曲ね」
「…その箱はアキースのたった一つの故郷なんだ」
「故郷?」
「ああ。海に流されたアキースは子守唄代わりにそいつを聴いていた。その音色だけがアキースを慰めてくれたんだ」
「そうだったの……」
「お前ら、本当の兄弟じゃねェんだな」
「血が繋がっていなくても兄弟は兄弟だ」

双眸を細めて操縦を続けるボロードの後ろ姿を、ルフィはじい…っと見つめている。兄弟──。その大切なことばに兄を思い浮かべながら。

「おれもボロードみたくかっこよくなって、世界一の泥棒になって、たらふく美味いものを食うんだ!」

兄へ強い憧憬を抱いているアキースに、今度は憧れであり偉大な男。シャンクスのことを脳裏に浮かべて、そっと頭に触れる。麦わら帽子は今連れ去られてしまったナミがかぶっているために、手元にはないが、あのやわらかな丸みに触れると、幼き頃に交わした誓い、シャンクスの大らかで明朗な笑顔が鮮明に浮かんで、いつでも胸を疼かせる。


美しいメロディーをBGMに航海を続けていると、左舷に異変を感じた。ごうごうと音を立てながら、渦を巻いて激しく回転をしている海面が目に見える。

「渦潮!」
「あんなに大きな渦潮、はじめてみたわ…!」
「あァ。ねじまき島に近づいたんだ」

口角を上げて、顔を上に向けるボロードに倣ってみんなも渦潮から前方に視線を向けると、範囲はそれほど大きくはない島だが、地面から雲に覆われて望めないほどに高所にかけて螺旋状に佇んでいる巨大な像のような石に圧巻されて、船員(クルー )は大きく目を見開かせてほう…と息を吐いた。

「あれが…ねじまき島」

確認するようにゾロは小さくつぶやく。後ろではルフィとウソップが「「ほお〜〜ッ!」」と驚愕めいた声を上げた。

「さあ、どうする? おれたちはダイヤモンドクロックを盗みに行く。お前らは仲間と船を取り返す! 目的はトランプ城だ!!」
「…ナミさんを拐いやがったクソ海賊の根城……」
「ナミは絶対に返してもらうんだから!」
「ゴーイングメリー号もだ!」
「おれの刀もな」
「このまま一緒に目指そうぜ。トランプ城に!」
「おう!」

こちらに振り向いて、強気に白い歯を見せるボロードにルフィも同じような笑みを浮かべて首肯した。


   ◇ ◇ ◇


ところ代わり、ねじまき島内部のトランプ城に、若い夫婦の抗議の声が上がっていた。

「あなた達に島を占拠されて七年。私たち島民の作らされた武器でたくさんの血が流れました。その上、あんな大量殺戮兵器を作られたら……」
「もうたくさんです! これ以上この島を汚さないでください!」

ここ、城の最上階はガラス張り窓に囲まれていて、燦々とした太陽光が部屋中を満たしているが、そこか冷たい雰囲気に包まれている。玉座から大きなからだを上げて、怒りに眉を吊り上げている悪の元凶、ベアキングに必死に訴えているのは眼鏡をかけた薄紫色の髪の毛を持つ女性と、茶色の髪の毛を持つ男性。二人とも綺麗な白衣を身に纏っている。

その懇願が気に食わなかったベアキングは、懐に潜めていた拳銃を構えて、夫婦の足元を狙って撃ちつけた。パアン、と鼓膜を裂くような鋭い銃声が響くと同時に反射的に悲鳴を上げて何歩か後退りをする。二人が下がった場所は、ガラス床になっていて、下では巨大なぜんまいが遅緩に回転している。

「町長さん方よお。忘れちゃいねェだろうな? おれ達はこの島のネジを握ってるんだ。おれがこの島のネジを外したらどうなるか分かってんだろうな?」
「……っ、」

恐ろしく眼光を光らせて、唸るような低い声で威嚇すると、夫婦はお互いに震え上がる体を抱きしめ合っている。その恐縮している姿が気持ちよくって、ベアキングは卑しく頬を緩めた。

「イヤなら大人しくしてた方がいいぜ?」

念を押して忠告すると、お帰りだ、と指を鳴らして側にいた部下である二人の男に指示を送った。短く返事を響かせて、彼は夫婦の腕を掴み、強制的に城の外へと連行する。男性が「離せ! 自分で歩ける!」と声を反響させたが、これは“支配”の象徴である。二人の男は出口まで夫婦の腕を離すことはなかった。


「キング砲さえ完成すれば、準備は完了する。このベアキング様が世界を制し、王になる時がな! ハハハハハッ!!」

冷たい床に大きな笑い声を反響させていると、玉座に近い場所にあるエレベーターがチンと高い音を立てて扉を開いた。これは幹部専用のエレベーターだ。中から出てきたのは、ナミを肩にかけたブージャックとハニークイーンである。

「あっ! ハニークイーンちゃん、お帰りでガス!」

紅一点の美女である仲間の帰還に大喜びでかけてきたのは、細男のスカンクワン。隣の彼のまん丸とした肩に担がれて、ぐったりしている艶のあるオレンジ髪の少女をちらりと細い目で捉えると、彼は両腕を上げてぴょんぴょんと飛び跳ねながら喜びをあげた。

「わ! 若い女! 攫ってきたんガスか!?」

綺麗な髪をしている少女にそっと触ろうとすると、彼女は勢いよく顔を上げて吊り上げた瞳と唸り声で威嚇を示し、スカンクワンを怯ませた。彼は情けない悲鳴を上げて尻尾巻いて遠くへと走り逃げていく。

「だめよ。スカンクワン。この女はベアキング様のお・み・や・げなんだから」
「おおっ! おれ様の花嫁候補か!!」

ナミは、GM号が盗まれたせいで今は貸し衣装であるウエディングドレスを着ている。被っているのは麦わら帽子とミスマッチだが、それでも美しい姿に、ベアキングは心を躍らせながらそっとナミを抱き上げた。巨体を持つベアキングに抱かれたナミは、170cm近くある長身だが、それでもお人形さんのように小さく見える。

「んんーー…、」
「…な、何よ……」

じろりと舐め回すように凝視されて、ナミはひくりと口角を震わせながら、強気に声を荒げるとそれが気に入ったのか、ベアキングは一瞬にして硬い表情をほぐし、ふにゃあ〜っと蕩けてしまった。
う…気持ちわる…。と露骨に顔を顰めさせるナミをそっと地に下ろして、巨大な身体でもじもじしながらどこに潜めていたのか、真っ赤な顔をして綺麗な花束を差し出した。

「は?」
「け、結婚を前提に交際しよう!!」
「ええ……」

もうため息もつけないほどに、強引で嫌悪な展開だ。胸のうちでとぐろ巻いていた瞋恚も、呆れの果てにきらーんと消えてしまったかのようにさえ感じる。出会って数秒で結婚だなんて、冗談じゃない。ああ、女学院でトップレディだったアリエラはこんな感じで見ず知らずの男達から求婚をされていたのね…。と彼女のことを彷彿して、同情の念を送らずにはいられなかった。

「私、毛深い男は嫌いなの」
「いくらでも剃るぜ!」
「弱い男も嫌い!」
「おれ様は強いぜ!」
「でも、ルフィよりは弱いでしょ」
「ルフィ?」

腕を組んで、つーんとそっぽ向いたままのナミのオレンジに彩られた蕾からこぼされた名に、ベアキングははて、と小首を傾げる。

「この女の仲間だなぞな。身体がゴムみたいに伸びる変な男だぞな。あんな奴、へでもないぞな」
「ルフィとはもしや…麦わらのルフィ?」

やわらかく足音を立てて近づいてきたのは、長身の男ピンジョーカーだ。指を鳴らすと同時に手品のように手配書を取り出して、広げてみせる。

「え〜〜あんな弱いのが賞金首なの?」
「つまり…ロロノア・ゾロも一緒か……。転ばぬ先の笛」
「杖でしょ」
「う…と、とにかく。用心に越したことはない」

堂々と誤った表現を使うピンジョーカーに、ナミは呆れながら訂正を入れた。でも、ロロノア・ゾロ。ルフィではなく、彼を意識しているのは何故だろうか。ナミの中で、うっすらとした靄のような僅かないやな予感が生まれた。

「へっ、用心だと? こんな小物にか? ようし、わかった!」
「は…っ」

双眸をギラリと光らせるベアキングに、ナミはイヤな汗が背中を流れていくのを感じる。ハニークイーンから手配書を奪い取って、フンと鼻を鳴らしてそれを宙にひらりと投げた。

「リクエスト通り、おれの強さを見せてやるよ! こいつの賞金額3000万ベリーは、おれ様と彼女の結婚パーティー資金だ!」

高々と言い放つと、ベアキングは拳銃を取り出して、ひらりと不規則に舞っている手配書のルフィの顔写真のど真ん中に小さな穴を開けたのだった。耳を突き刺す乾いた音に混じり、ナミは唇をかすかに震わせた。