ONE PIECE 12/13P


「エ……エルドラゴ様が……」
「エルドラゴ様が……負けた……」

悪魔の実であるゴエゴエの実≠持ってして、最強であった彼がこの小柄な青年に負けてしまうだなんて。吹っ飛ばされた主人はもうここには存在していない、信じ難いその光景に現状。三人衆はそわそわとする焦燥に嫌な汗がじわりと浮かぶ。

「にひっ!」
「「ひぃ…!!」」

くるりとこちらに向き直る麦わら帽子の青年に、三人衆は大きく肩を揺らして情けない声を漏らした。

「に、逃げさせていただきます!!」
「いただき!」
「ます!」

あんな強靭な力を持つものと真っ正面から戦ったら死んでしまう。その未来が簡単に目の裏に浮かぶ。
ここで利口に動かなければ、と三人衆は白旗をあげて、尻尾巻いて背中を向けて逃げていく。

「あ、おい!」

相当焦っているのだろう、三人衆が走って行っている先にあるのは坂道ではなく、高い高い崖の端だ。だから、ルフィはそれを教えてあげようと声を掛けたのだが、奴らにとってルフィは恐怖そのもの。当然、聞く耳持たずに突っ走るから──

「「うっ、うわァァアア!!!」」

足場を無くしてしまい、奴ら三人ともぴゅーんと真下に落ちて行ってしまった。

「だから言ったのに〜…」

もう、と眉を顰めて唇を尖らせるルフィの背中に小さな足音が届いた。
頭を掻きながら、穏やかな表情のまま振り返る。麦わら帽子を大事そうに胸に抱えたトビオが興奮に顔を紅潮させながら、ルフィの宝物を手渡した。

「はい」
「ありがとう、トビオ」
「へへっ、」

こんなにも強かっただなんて──。
憧れの男も、ルフィのような強い心と強い力を持っていたのだろうか…。なんとなく重なる影に、トビオもへにゃりと相好を崩す。

「そうだ。おっさん、悪ィな。おでん、ウーナンに食わすんだったのに」
「…腹壊すぞ。あんなもん食ったら」
「腹なんか壊さねェ! おれは海賊だ!!」

トビオに続き、駆け寄ってきた岩蔵に詫びると、彼は少し目を大きく見開かせてそして柔らかく笑んでみせた。おかしな言い分に、トビオも仲間も声をあげて哄笑する。
一時はどうなる事かとひやひやしたが、再び静寂を取り戻したこの高台に心地の良い爽やかな風がするりと線を描いた。



邪魔者がいなくなったところで、ようやく本題に入るルフィたち一行。
家は崩壊してしまったが、地下通路の入り口は完全に塞がれていなくてほっとする。ルフィとゾロで岩を退けると、ランタンを片手に持ったナミを先頭に深く暗い地下への階段を降っていく。

「なんだか、古代遺跡を冒険しているみたいだわ〜!」
「確かにな。見たことのねェ模様があちこちあるぜ」

ランタンのオレンジにのみ照らされたこの地下通路は、ひんやりとした地底風に耳をつくような無の音に包まれているが、仲間がいるから怖くはない。
アリエラもウソップも余裕を見せて、ぐるりと土壁を見上げている。

「とうとうウーナンに会えるのか〜!」
「あァ」

トビオも岩蔵も、どこか胸を躍らせて上気した声色を通路いっぱいに響かせた。
ウーナンは、この地下の奥にいる。もう間違いのない確信に、それぞれが期待を膨らませているとナミが掲げたランタンの光が、前方──大きな木製の扉を照らした。

「ここ……扉だわ」
「この扉の中に、ウーナンが…」
「なんだか、ドキドキするわね…」
「うん……」

木製の扉の前で立ち止まり、見上げながら呟く彼ら。
トビオは、アリエラのことばに大きく頷きながらどくどく煩いほどに鳴っている小さな胸を押さえる。
ナミが「開けるわよ」と吐き出すと、全員が首肯する。ドアノブに伸ばされたナミの手により、ぎぎぎ……と古音を立てながら木製のドアがゆっくり開いていく。
その先に待ち受けていたものは──

「うそ……」
「……」

ナミが室内にオレンジを向けると、飛び込んできた光景にアリエラはハッと息を呑んでただただぽつりと受け取った感想を漏らした。ゾロも足を止めて、目を見張る。
ウソップも「こ…これは……」と喉の奥から声を絞り出して目の前の光景を受け止めた。

木製ドアのその先は、四畳ほどの小さな部屋だった。
古びたその部屋の中央の椅子に、腰を下ろしている人物がしっかり存在≠オているのだが、あるのはその姿──白骨と化した姿のみであり、魂はここに存在していなかった。
そう、彼──伝説の大海賊ウーナンはここで息絶えていたのだ。

「う、嘘だ!! これはウーナンなんかじゃない!! 偽物だッ、ウーナンはきっとどこかに……っ!!」

呆然と、白骨化した海賊を見つめていたトビオだったが、ぷつんと解けた糸に身を乗せたまま大きな瞳に涙をいっぱいに溜めて、この小さな部屋の中必死に否定を響かせた。
だが、それは虚しく壁に吸収され、目の前の白骨死体は気高く腰掛けたまま。何も状況は変わらない。

信じたくない事実。否定の言葉とともにひたすら嗚咽をあげるトビオに、岩蔵は彼の小さな肩に手を添えて緩やかに首を振った。

「じいちゃん……」

ことば無しの肯定に、トビオは大きな黒い瞳に大粒をいっぱいに溜めながら祖父を見上げる。彼もまた悲痛そうに表情を歪めていた。
憧れていた男の白骨死体──。
それを目の当たりにしたトビオに誰も何も言えなくて、じんわり耳を襲う静寂を感じながら、ふとナミが壁にランタンを向けてみる。光に照らされた室内の壁には、目を見張るものがあった。

「な、なにこれ……!!」
「ええ?」

ライトブラウンの瞳をぐるりと丸めるナミに釣られて、アリエラも室内に足を踏み入れてみると、壁にはびっしりと文字が刻まれていて「わあ……」と小さく吐息をもらした。
ランタンの灯りを調節して、全体的に室内を照らすと、その文字は壁一面に彫られていることが窺えた。

「……間違いない。ウーナンの文字だ」

嗄れ声が室内に響く。
青年期までともに過ごしてきたウーナンの文字は、頭にしっかりと残っている。この癖のある線は、間違いなく彼が記したものだった。

「これ……手紙みたいだわ」
「ええ。えっと…黄金を求めてここを訪れた者たちよ……」
「“我が名はウーナン。かつて黄金の大海賊と呼ばれていた男だ”……ってかつて? どういうことだ?」

ナミに続きウソップが音読を繋げると、書かれた内容に腕を組んで首を傾げた。
疑問を抱きながらも、紐解くためにナミが続ける。

「“しかし、今はただ死を待つだけの一人の男だ…。かつての黄金は全て本来の持ち主の元に戻しきった”──ええッ!?」
「まあ…。じゃあ、ここには黄金もお宝もなにもないのね」
「そんな……」

この黄金さえあれば。ナミは期待に胸を膨らませていた分、ショックが大きくてよろりと足元をふらつかせる。同時に、オレンジの光も踊るように文字の上で揺れた。

──おれは戦い、子どもの頃からの野望を叶えた。そして、かつて誰も目にしたことのない黄金の山を築いた。しかし、ある男の言葉がおれの中を蘇る。「黄金は笑わねェ。石ころと同じだ」
そうだ。おれが命を懸けてでも欲しいと思ったもの、それは黄金ではなく、黄金を追い求める冒険そのものだったのだ。

そう、力強く癖のある線で書かれている。
みんなが無言で文字を追っていると、その続きをゾロの低い声がつなげた。

「“ここにはもう黄金はない。だが、それよりももっと大切な宝がある。他の奴らには、何の価値もねェ物だが、今のおれにはこれだけで十分だ。どうか、この場所を荒らさないでやってくれ、おれの生涯の宝が眠る、この場所を──”」

全て読み終えると、全員はそっとウーナンに目を向けた。
本物の宝の存在に気がついた彼。伝説の大海賊は死して尚、海賊の帽子とコートを身にまとったまま、どっかりと気高く腰掛けている。
ウーナンの腕の中には、くたびれ汚れた布が大事そうに添えられていて、それに気がついた岩蔵は手に取り、そっと広げてみせた。 

「ああ…!」

広げられた布に、大きく声をあげるトビオ。
薄汚れて、ほこり被ってはいるが…それはウーナンの宝。色褪せていない信念の象徴、海賊旗だった。
『岩蔵。お前がおれを助けてくれたあの日、あれからずっとおれの胸の中でお前は同じ船に乗り、ともに長い歳月、冒険を続けてきたのだ。だからこそ、おれは冒険に懸けたこの人生に何の悔いもない』

海賊旗の端に、そうメッセージが添えられていた。大事そうに何度も読み返しながら、岩蔵は懐かしき愛しき友の名を呟いた。

「全くすごい奴だぜ、お前のじいさんは!!」
「素敵なお話だわ、なんてロマンなのかしら!」
「伝説の男が信じ続けた、たった一人の男なんだぜ!?」

呆然と祖父を見上げているトビオに、ウソップはしゃがみこんで強く背中を叩いた。
衝撃とともに、宙をぐるぐる回っていた言葉は現実となり、トビオの胸に飛び込んでくる。あまりの大きな出来事に、眩暈を起こしてしまいそうだった。
だって、だって。魂という深甚で祖父とウーナンはずっとずっと繋がっていたのだ──。

「一人は大海賊。一人はおでん屋。だが、誇りの高さは同等だったわけか」
「にししっ、そうだな!」

口角を釣り上げたゾロの柔らかな呟きに、みんなが満面の笑みで頷いた。

「じいちゃん……おれ、おれ…っ。ごめん!」

今までかけてきた苦労、わがまま。トビオは全てを思い返しながら、偉大な男の胸に飛び込む。
優しくて、温かくて、ふわりと染み付いた出汁の香りが鼻腔をくすぐる。幼子のように、胸に顔をうずくめて泣き声をあげるトビオの小さな頭を、岩蔵はそっと撫でた。

「トビオ。お前はお前の思う通りに生きろ。おれは…ずっと見守ってるさ」
「ぐすん……っ、うん…っ!!」

涙でぐちゃぐちゃになった顔を、岩蔵に見せてこっくり肯首するトビオに海賊たちの笑みが重なる。その後ろで、ウーナンの亡骸が優しい笑い声を上げた、気がした。