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笑顔が良い、とよく褒められた。
多分、他に褒めるところがなかったんだと思う。


社会人になり会社に入社後、初めは怒っていたばかりだった先輩がある時俺の笑顔を褒めた。多分、その頃には彼女ももう諦めていたんだと思う。


『あなたは……そうね、笑顔が良いわ。愛嬌のあるお顔立ちだものね、あなたが笑っていると場が和むし、人は手を貸したくなるかもしれませんね。私も多少の失敗には目を瞑れるようになってきました。周りに遅れをとって焦る気持ちもあるかもしれませんが、あなたのペースで、笑顔で頑張りましょう』


新入社員の教育担当だったその先輩の言葉を思い出す。眼鏡をかけ、いつでもピシッと髪の毛を束ねている女性だった。彼女のような出来る人間の目には、俺みたいな出来損ないはどんな風に映っていたんだろう。

俺が入社してから死ぬまでの半年にも満たない期間で、定期的に行われていた新入社員対象の個人面談はその時で三度目だった。若手へのフォローが手厚い部署だったと思うが、その甲斐もなく俺だけはいつまでもへっぽこで。先輩にその言葉を掛けられた時も、俺は素直にハイと返事をしてニコニコと笑っていたんじゃなかったっけ。

『笑顔で頑張りましょう』を訳すと、『余計な事はもう何もするな』になる。心配されたような焦りは俺の中にも少ししかなくて、誰よりも諦めていたのは自分自身だったと思う。笑っていればいいのかと気が楽になったし、とりあえずその後で俺が心掛けたのは笑顔で挨拶をする事だったから、ポンコツにも程があるなと我ながら思う。だけど、みんな笑って挨拶をし返してくれていたから、これはこれで俺なりの処世術だったと主張したい。


笑っていればどうにかなる。笑い返してくれる人は大体良い人だし、困った時に困ったように笑えば手を貸してくれる人もいた。最後に笑顔でお礼を言えば大体が丸く収まるし、外国人に道端で何かを尋ねられた時は笑ってイエスかノーと言えばよく分からないが解決した。笑顔で手を振り去っていく彼らを、同じように笑顔で手を振って見送ってあげた。


だから分からない時はとりあえず、笑ってみればいい。



何やら張り切った様子のサウェスさまと、いつもは居ないコック帽を被った料理人達に出迎えられ、皿で埋め尽くされたテーブルを前に俺はわけも分からずにニコリと笑う。


少しだけ小鼻が引き攣った。いつになく豪勢な食卓は、いつになくふんだんに使われたスパイスによってプンプンと多種多様な香りを漂わせている。


「どうだナラヤム、今日はいつもより多くの品を用意してもらった。その心の内に不安を抱えているのか? 何も心配するな。この地をナラヤムにとって居心地の良いものに出来るのならば、日毎夜毎、貴方のためだけにこの地の料理を幾らでも振る舞おう。何も気にせず、ナラヤムは食事を楽しんでくれ」


「 ………。 」


サウェスさまは何と言ったのか。想像するだけでこわい。


まさか、俺のために用意したとか言わないよな…。最後の晩餐? 餞別? やっぱり俺は死ぬのか?


突っ立っていたらビアさんが椅子を引いてくれたから、慌ててお辞儀をして腰掛けた。俺のためにそんなことしないでと言いたくなるが、今日も言えないのがもどかしい。しかし今日は特別注目を浴びている気がして、上等な椅子に乗せた尻の据わりがいつにも増して悪かった。


長い卓上、サウェスさまよりも俺の方に寄せて置かれた皿たち。少し離れた所では、白い制服を所々ススで汚した料理人らしき人たちが数人、横並びになって俺のことをじっと見つめている。

予想はできたが食べないわけにもいかず、勧められるままに少量ずつ食べてみた結果。この世界のスパイスの種類の多さに感心しただけで、どれもふた口めを食べる気にはならなかった。


理由は分からないが張り切って作ってくれたんだろう。この世界の料理人の気合いは、スパイスの使用量に反映されて表れるのかもしれない。苦手な味がバリエーション豊かに用意されたようなこの状況に、恐らくは厚意だと察しつつも俺は喜べないでいる。


「どうだ、一通り食べてみてどれが気に入った? 遠慮せず好きな物を好きなだけ食べるといい。要望があればそこに控える料理長に伝えてくれ」


微笑みをたたえるサウェスさまがスッと手を向けた先には、綺麗に並ぶ料理人たち。一番端には、上司っぽい一際ダンディーな髭のおじさん。


彼らが作ったって? 分かっています、ごめんなさい…。彼らも毎日、ほぼそのままの状態で下げられる料理を見て怒ってるはずだ。意味分かんないんだろうな、こんなに豪華な御飯をなんで食べないのかって。


何の間か分からず、幾つかの目にジッと見つめられた俺は心の中で謝罪をしながら小さく会釈をした。通じもしない言語で謝罪されたところで彼らも困るだろうと、居心地の悪さに目を泳がせる。

端の方にちょこんと添えられていた葡萄に助けを求め、間を繋ぐようにぷちぷちと摘んだ。粒の小さなこの葡萄、めちゃくちゃに酸っぱいけど、今の俺にはあるだけですごく有難い存在。


長袖のふちを一周する繊細な刺繍と散りばめられたビジューが、葡萄に手を伸ばす度に視界に入る。俺には不釣り合いなその装飾が、動きに合わせてキラキラと光を反射する度に肩身が狭い思いである。


「葡萄がお好きですか」


「 ぅぐ……、 」


いちばん見ないようにしてた貫禄満載の髭の人に話しかけられて、うわ!と声をあげそうになった。少ししゃがれた低い声。俺は葡萄を摘み食う手を止めて、テーブルの下に隠すみたいに膝の上にそっと戻す。摘み食いを叱られた子どものよう。チラリと見れば、尚もジッとこちらを見つめている髭コックさん。怒っている訳ではなさそうだった。


感想を求められているのか。美味しいも美味しくないも、どうせ言葉じゃ伝わらないのに。オイシイデスと伝わらない気遣いをするくらいなら、彼の真剣な目に賭けてみようかと思い立った。

さっきの声だって低かったけど恐い感じはしなかった、とコワモテが恐くなさそうなだけで信頼を置き始めていたりする。


「 あの、これ… 」


テーブルの下から手を出して控えめにも卓上を指差せば、横一列に並ぶコックさん方の列がほんの少し乱れた気がした。騒ぐことはないけれど、ザワザワのザの字くらいはあったと思う。それでも髭コックさんは変わらずジッと俺を見つめていて、理解しようとしてくれてるのだと確信して伝えてみる事にした。


「 この葡萄は食べられるんですけど、こういうのは、少し、えぇと、苦手で…… 」


葡萄と横の一品を交互に指差す。言葉は分からないだろうけど、直接文句をつけるような状況には気が引ける。髭コックさんをちらりと見やれば、一拍置いて頷いてくれたのでホッとして続けた。


こっちみたいに煮たり焼いたりしてあっても良いけど、周りにいっぱいあるスパイスはいらなくて、俺の食事にこんなに手間を掛けてもらわなくていいと言うか、素材そのまんまのこの葡萄なんかは理想で、ほら、上に何もかかってない! と、せっせとジェスチャーを繰り返す俺を見て、少し考え込む様子で最後には真剣な表情で深く頷いてくれた髭コックさん。




次の日の夜、デロリと煮崩れて粉にまみれた葡萄だったらしいものが出てきたのには焦った。ごめんな葡萄、俺のせいでそんな姿になって。

これはあの髭コックさんのせいではない。余計な事をした俺のせいである。


結果、今のコミュニケーション能力じゃだめな事を悟った俺は一先ずパンと果物で凌ぐ日々を送る覚悟を決めたわけだけど。せめても、と俺がよく手を伸ばすフルーツは色々な種類を集めてくれるようにはなったお城の人たち。どうして俺のためにそこまで、優しい、良い人たち、でもやっぱり理由が分からない、あまり過度なもてなしはやめてくれ、と思ってやまない。

俺の好みを探る夕食は連日続いた。



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