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正午を迎えた執務室。窓から見える空は今日も青く澄んでいる。昨夜のうちに雨は降ったが、朝になればそれも止んでいた。


ナラヤムという青年が来てから心地の良い日が続いている。雨もまた大地への恵みではあるが、日中こうしてふと目を向けた窓の先に、青空が広がっている光景は喜ばしい事である。夜に私を濡らす事なく降った雨も、今こうして暖かく部屋に差す陽の光も、ナラヤムからのギフトのよう。

椅子に腰掛け机に向かって執務に励むサウェスは、風に穏やかに揺れる木々の音を聞きながら上ばかりを見上げてそう思っていた。



「本当に、食事は不要なのでしょうか」


一方でその傍に立って書類を整理していた側近・ミシエラは、窓から下を見下ろして、ふと溢すようにそう呟いたのだった。


「ナラヤムのことか? どうしたんだミシエラ、急にそのような事を言って」


「いえ、なんと言うのでしょう、ナラヤム様が、初日に目にした時よりも日に日に……小さくなっているように感じまして…」


やつれている、とも言う。


今も。ここから見える彼の姿は、この部屋からの距離を加味してもとても線が細いことが見てとれる。今日のような穏やかな風にでさえ、あの白い服を纏った彼はフワフワと飛ばされていってしまいそうだと、ミシエラは柄にもなくそんな心配をした。


下を見ない陛下は気付いていないだろう。ここから見下ろせるテラスには、昨夜の雨で濡れた椅子やテーブルを拭く侍女達と、その横で手持ち無沙汰に佇むナラヤマの姿があった。恐らくは昨日の夕食時にサウェス陛下が提案した、テラスでの昼食を遂行するつもりなのだろう。


「ナラヤムは元から小柄な青年だろう。それに食事を出して食べない選択をしているのは彼本人だ、必要なら食べるのではないか?」


「けれどどうにも不思議です。食事以外は至って普通に、我々と同じように過ごされているのですよ? 夜には眠り、入浴だって欠かさないと聞いています」


「ナラヤムの側につけた者達か。ナラヤムに仕えるとなると彼らも気が抜けないだろうが、良くやってくれているようだな」


「ええ…。ですがナラヤム様、基本的に身の回りのことはご自身でされたいそうで、世話をしようにも断られるそうですよ。侍女ができるのは少しの掃除と衣服の準備、あとは給仕係が食事を運ぶ程度だそうですね。それだけでもひどく申し訳なさそうになさると」


「ほう…謙虚で驕らず、ナラヤムの美しさはそういう内からなるものなのだろうな…」


「サウェス陛下、私が申したいのはそのような事ではなく」


「そのような事?」


「いえ……、ナラヤム様が慎ましく美しい精神をお持ちの方である事は重々承知していますが……」


そこまで言って口を噤み、ハァ…と息を吐いてしまったミシエラだが、今この室内には自分とサウェスの二人きり。それほど過敏になる必要はない。付き合いの長さもある。
目の前のこの若き王自身、何が無礼だ非礼だと騒ぎ立てるようなタチではないこともあり、多少は目を瞑ってもらおうと考えたミシエラは、吐いた息を吸い直し謝罪するような真似はせずにサウェスに向き合った。


「失礼ですが陛下、考えてもみてください。仮にも陛下が言うように彼が天から地に参られたのだとすれば、慣れない環境に心身共に負荷が掛かっている可能性だってありませんか」


「仮の話ではない、ナラヤムは天から舞い降りたとしか考えられないだろう」


「そう、ならそうで良いのです、お伝えしたいのはそこではなくて……」


パッと顔を上げ真っ直ぐな視線を寄越してくるサウェスに、そうじゃないと言ってしまいそうになるミシエラ。この点に関してサウェス陛下は一切譲る気がないのだと、この数日でミシエラは充分に思い知っている。少しでも言葉選びを間違えるとこうだ。サウェスは突如現れた黒い瞳と髪を持つ青年を、天から来た者だと信じて疑わない。


自分だって彼を不審に思っているわけではない。

彼は確かにこの国の者ではない、では何処から来たのかと考えてみてもまるで見当もつかなかった。真偽は不明でも類似する話が歴史上残っている事もあり、必然的に彼の元の所在は天まで昇ることになった訳だが、それは良いのだ。御伽噺のようで信じきれない気持ちがないわけではないが、一先ずそれも良しとして。


言葉も通じず意思疎通も難しいナラヤマという青年について、私達は余りにも分からなすぎた。絵空事にも思える抽象的な記録だけが残る現在。突然、天から神の子が舞い降りた、などと言われても正直困った。そしてそんな困った時に、我々人間とは違うのだろうの一言で片付けてしまうのはあまりに短絡的すぎるとも思ったのだ。

今日の空が青いのも、ここから見下ろす彼の髪の毛が黒いのも事実だが、彼の表情が見る度に暗いのも事実だった。それを隠すように彼は微笑む。


どうにか伝わらないものか、と眉間を指で押さえたミシエラを見て、流石のサウェスもペンを置く。


「ミシエラの言う通り、その負荷があるとして。ナラヤムにとってどうだと言うのだ?」


「例えば、ナラヤム様は不安で食事が喉を通らない、ですとか」


人間が持つ不安だとか、そんな基本的な感情にこじつけるように説明した。目の前のこの陛下、あの青年を側に置いておきたいという気に満ち満ち、空の青さにうつつを抜かすばかりで少しばかり想像力を欠いてしまっている。ミシエラはそれが気掛かりだった。


理想交じりの神話じみた存在だと思っていた神の子だが、実際に目にしてみれば我々と同じヒトでしかなかった。国に幸運をもたらすだとか、その文言に縋り、ただ側に置いておけば良いだけの飾りではない。彼のあの黒い髪だって、時が経てば伸びるはずなのだ。


世間話の延長線上、ただ分からない事を尋ねてみただけのつもりだったサウェスは、ミシエラの言葉を聞いて目を瞠る。


「………それは、大変な事ではないか……」


サウェスの素直過ぎる所にはたまに気を揉むこともあるが、素直な所は彼の最も良い所でもあると、いつも側にいるミシエラは思う。



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