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その時、楢山は天井にぶら下がるシャンデリアを眺めていた。


(でっけぇシャンデリア…。地震が来たらブラブラして大変だろうな…いや、日本じゃないんだしそんな心配必要ないのか。ちょっと揺れてた方がキラキラしてもっと綺麗そうだけど…回す機能とか付いてないのかな…)


回らずとも眩い輝きを放つシャンデリアの光を目を細めてぼんやりと眺めていたが、それまで聞こえていた話し声が止んで場が静まり返っていることに気が付き、楢山は見上げてきた視線を戻した。皆が楢山を見ていた。

シャキンッと姿勢を正した楢山は状況を把握すべくオドオドと辺りを見渡して目を白黒させた後、やはり何も分からなくてぱたりと目を伏せた。そんな彼のもとへ、王座から腰を上げたサウェスがゆっくりと近付く。目の前に立たれれば、正座をして誰よりも低い位置にいる楢山はすっぽりとその影に覆われる。


サウェスは片膝をつき、その場に屈んで俯く楢山の顔を覗き込んだ。一連のサウェスのゆったりとした動きに楢山は少しだけ息がしやすくなった気がして、そっと顔を上げた。


「ああ…、近くで見るとより美しい。吸い込まれてしまいそうな瞳だ。その奥に何を見る。私の国はどう映る。……ああ、いけないな、まずは感謝しなければ。この国にその姿を現してくれてありがとう。この手を取れること、光栄に思う。名前は何という?」


「 っ……? ……?? お、恐れ入りますが、もう一度よろしいでしょうか… 」


跪いた王様に片手を取られてキョドった。もう一度聞いたところで分からないだろうに。

思わず聞き取れなかった時の電話対応のように返してしまった。どうしよう、二度目はないぞと楢山は冷や汗をかく。聞き返してばかりでいつも先輩に怒られていたことを、遠い記憶のように思い出していた。


「……ほう、なんて複雑な名だ…まるで何かの詩を詠唱しているようだった。すまないが、もう一度聞かせてくれないだろうか」


「………サウェス陛下、差し出がましいようですがこの方、我々の言葉が通じないようです。恐らくは今、名前を聞かれていることも理解していない可能性が……」


「おお、そうかアヴェル、ありがとう。遥か遠い空の向こうから来たんだ、言葉が通じる方が不思議だな。考えが及ばず申し訳なかった……私の名前はサウェス・イエルベルだ。サウェス、サウェスと呼んではくれないか?」


サウェスが楢山の手をするりと離し、その手を胸に当ててそう言った。繰り返された言葉に、自己紹介をしているのだと楢山は汲み取る。いくら自分が見上げても無反応だったくせに、この人が来たらすぐに口を開くのかよ赤髪、とは思っていなくもない。


「 さ、さうぇす、さん…? 」


「おお、そうだ。だが惜しいな、最後に添えたのは敬称か? 不要だ、サウェスで良い。サウェスだ」


「 、…? えっと…… 」


(まだ言えってこと? さん付けで呼んだせいで正しく発音できていないと思われたのかな…というか、さんではなく様でも付けた方がよかった? そんな微々たる差、どうせここでは通じないんだろうけど…)


さん付けが通じないからと言って呼び捨てにするわけにもいかないだろう、と口を開けずにいる。彼を呼び捨てで呼ぶ人間などここには居ないであろうことは楢山でも分かった。先程から彼が呼ばれる際には、サウェスという名の後に何かがくっ付いている。他の人たちと同じ呼び方がしたいと思うのだが何と言っていたか、聞き慣れない言葉は全て流れていってしまって、そんな僅かな敬称部分など微塵たりとも思い出せない。


「………サウェス陛下、彼がいくら天からいらした方と言えども、サウェス陛下を敬称なしに呼ぶのは憚られるのではないでしょうか。我々と同じように、サウェス陛下、と呼ぶのがこの環境にも慣れやすいのでは…」


今度は楢山の右斜め後ろに控えていたキーツがこの状況を見兼ねて口を開いた。この場で陛下相手に使える敬称が何か知りたいのだろう、と先程から楢山の様子を観察し続けていたキーツは推察し、少しだけ強調してサウェス陛下の名を口にしたのだった。


縮こまって足元でオドオドとする青年が困っているであろう事は、先程からこれでもかという程にひしひしと伝わってきていた。隙を見ては楢山に交互に見上げられていたアヴェルとキーツ。楢山を捕らえてきたのは他でもない彼らであったが、言葉も通じない中で小さく座り込んでしまった小柄な青年のつむじを上から見下ろしていたら、良心も痛むというもの。諦めた楢山が俯き、この場にいる皆がサウェス陛下とリンゴルド団長の会話に注目している隙にアヴェルとキーツは何とも言えない表情で目を見合わせていたのだった。

それ以降はアヴェルもキーツも楢山と目が合わないように前だけを見つめていたが、ここへ来て二人して堪え切れないというように口を挟むことになってしまった。捕らえて地下へ送ろうとしたくせに助け舟を出すような真似をした。楢山へまだ捨てきれない少しの疑念は抱きながらも、彼を神の子と評した陛下の前では後ろめたさや罪悪感は確実にあり、それらに苛まれてアヴェルとキーツは先程から目のやり場に困っていた。今は楢山と同じところにまで屈んでいるサウェス陛下の肩の辺りに、ぼんやりと視線を落とす事で落ち着いている。

そんな二人をよそに、楢山は感謝していた。


(! そうだ、それ、ナイス金髪の人。あ、でも目の前のサウェスさんも金髪。あ、でもでも比べてみると金髪でも違いが………いや、今はそんなことよりも。みんなが呼んでたやつだ、意味は分からないけれど様とか王様とかそんな感じなんじゃないか)


「さぅ、サウェス、ヘーカ」


「おお…キーツが言ったのを聞いて真似たか。飲み込みが早いな、慣れない言葉を発するのは難しいだろうに。…しかしキーツよ、彼はこの国の者では、ましてやこの世界の者でもないであろう? 私を陛下だと敬う必要は……むしろ私は彼が現れてくれた事に感謝しているくらいだが」


「しかし彼も敬称なしで呼ぶ事には抵抗があるようですし…この城内には陛下を敬い陛下に仕える者しかおりません。サウェス陛下を呼び捨てる者がいれば戸惑う者もいるでしょうし、サウェス様が陛下であられるのは事実なのですから問題はないのでは?」


「ふむ…そうか、皆を混乱させるわけにはいかないな…」


「あるいはサウェス様と。私たちは皆、陛下とお呼びすることの方が多いですし、私たち従者と区別をと考えるのであればそれも有りかと思います」


「そうだな、汎用性もあり一般的な敬称なら城内で使われる分には幾らか…砕けたように感じなくもないか…」


「はい、ではそのように。私から訂正させてください」


キーツは正直どちらでも良いと思った。ここまで熟考するものか、とも。しかし陛下が呼び捨てされる様を目にしたいという者はここには居ないだろう。キーツはここで押し切って、陛下と同じように片膝をついて楢山の横から少しだけ声のトーンを落として囁くように告げる。


「先程のサウェス陛下と口にしたことは忘れてください」


「……サウェスヘーカ、」


「それは、なしです。サウェス様、とお呼びください。サウェス様、繰り返して」


楢山は急に身を寄せてきたキーツにビビりながらも口を開いたが、首を横に振られてしまい戸惑う。違うということかと理解した楢山は、何やら敬称部分が変わった訂正版を口にする。


「………サウェス、サマ」


「そう。こちらの御方は?」


「………サウェスサマ…?」


どっちが敬い度が高いのかは分からなかったが、何やら揉めていた様子だった。俺ごときが口にするのは良くなかったのだろうとこの状況を判断した楢山は、キーツの真っ直ぐに指を揃えた手のひらで示された先、整った顔のブロンドヘアの国王様の目を見て控えめにもう一度繰り返した。満足気に細められる双眸。


「ああ、その声で我が名が呼ばれるのは甚く耳に心地良いな。次は貴方の名前を教えてくれないか」


今度は目の前のサウェスが、胸に当てていた手のひらをこちらに差し出した。貴方は?と問われているのだと察する。


「 ……ならやま、 」


です、まだ言いそうになって口を噤む。ぶっきらぼうな言い方のようだが楢山なりに考えて無駄を省いた。どうせ、ですます調も通じないのだから失礼にもあたらないだろう。一度勘違いをされたらきっと訂正することも自分には難しい。ナラヤマ・デスへの改名は勘弁だった。


(確かに一度死んではいるけど、これからもう一度死ぬのかもしれないけど、死ぬ前にそんな自虐的な冗談で笑いを取る気なんて………いや、待てよ、ここの人たちおそらく英語も通じない……)


冗談みたいな名前に改名することになったところで、誰一人として渇いた笑いの一つすら溢してくれないだろう。つまんない冗談に自分一人がへらへらと笑う姿は想像に容易い。愛想笑いが得意な気弱な日本人に、きっと後ろにいる赤い髪の男は何故笑うのか、とその不可解さに腹を立て、またあの鋭く光る剣の先を突き付けるかもしれない。


(そんな最期ってあんまりだ……ああでも、そんなくだらないことでちょこっとでも笑って逝けるならまだいいのかも。前回は笑う暇も驚く暇もなく、気付いたら撥ねられて死んでいたし……。今回は笑顔で最期を迎えてみようかな……)


目蓋を伏せ物思いに耽る楢山の横で、キーツは静かに立ち上がった。

一度目に陛下が名を尋ねた時は、呪文のような意味不明な言葉を並べた青年が、今はただ一言。短く言葉を発して口を閉ざした。それが意味を持つ言葉なのかは相も変わらず分からないが、恐らくは彼の名であろうと察した。陛下が投げ掛けた問いが二度目にして正しく伝わったらしい事を確認したキーツは、通訳のような真似はもう不要だろうと半歩下がりまた元の位置へと戻る。


(あーあ、金髪の人も戻っちゃうし…。向こうのは伝えてきても、俺の言葉を向こうに伝えてくれる気はないんかい)


「ナァ、ナラヤ、……ナラヤン?」


「 あ、あの、えっと、ちがくて……ならやま、 」


「ナラヤム?」


「 ん、んーと、ならや、ま、です。マ、… 」


「ナラヤム! 良い響きだ、貴方はナラヤムというのだな」


(あ、だめだ、俺ナラヤムになっちゃった…。まあいいか、もう名前なんて……どうせ死ぬのになに律儀に訂正なんかしちゃってんだろ、馬鹿らしくなってきた……なんでもどうぞ、これから貴方様の前で死ぬナラヤムです……)


なんでそんな人間に名前を呼ばせたのか、なんでそんな人間の名前を呼ぶのか。偉い人の考えることは分からないが残酷だな、と綺麗な顔で微笑む王様の顔を拝んで、もう一度死ぬ覚悟が整った楢山はへらりと笑った。



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