17


篠塚先輩が言ったことを頭の中で繰り返してみて、なんとなく先輩がおれに言おうとしていることが分かった。

隣で黙って俺を見ていた先輩に目を向ける。

おれが考えて理解するのを待っているのか、どう反応を示すのか伺っているのか、じっとその目に見つめられて何となく言いづらくておずおずと口を開いた。


「あー……そういう人もいるって話、ですか?」


たぶん、同性愛とか、そういう。

わざわざこうして、そういうことに馴染みがない外部生のおれにも理解できるようにと言葉を選びつつ遠回しな説明をしようとしてくれていたのか。


「ああ、ここだと男しかいなくても色恋沙汰になる。…勿論そうじゃないってやつもいるけど大抵みんなそういう話は抵抗なくするし。いて当たり前というか、ここじゃそれが普通だ」


そういう人もいる、と言ったおれの想定と、実際のその人数との間にはギャップがあったらしい。


すこしじゃなくて、ふつうにいるって。


「早めに知っておいた方が星野にとっても、分からない事とかショックを受ける事を増やさずに済むかと思って」


そういう人がいるっていうのはこの歳になれば聞いたことくらいはある。自分はちがうし身近にもいたことがなかったから、そういう話に特別何か考えたり感じたことはなかったけど。


「…大丈夫か?」


「へ、」


抵抗があるかとか、やっていけるかとか先輩は心配してくれているんだと思う。ただ、実際に聞いてもおれの今の心境としては、まじかーとかそんくらいで。何も考えていないと言えば考えていない。


生徒会が人気者だとか、直江はマイチャンカワイイだとか。言われてみれば、あ、じゃあそういうこと?ってなるけどイマイチまだ実感がないというか…。


「……ああ、でも、おれにはたぶん関係ないだろうし、ちょっと聞いたり見たりする分には大丈夫なんじゃないですかね」


イケメンでも何でもないおれが、そもそもそういう対象になることはないだろうし。中学の頃女子に、彼氏っていうか友だち。と言われて傷心した経験のあるおれだ。実感があるとかないとかの話でもなかったんだと気付く。

よそでやってる分には全然構わない。人の恋バナにもともと興味のあるタイプでもなかった。


そんなおれの呑気な返答が気に入らなかったのか、今度は篠塚先輩が眉間にしわを寄せる番だった。


「な、なんですか」


「関係ないかなんて分からないだろ」


「いや、……そ、すかね」


わかるし。だっておれだし。

と、今の先輩に言うのはやめておいた方がいいだろうと咄嗟の判断により口にはしないでおく。


「星野も気を付けろ、自分なんかって思わないで。」


「はあ…」


「それと、お前は人に軽々しくイケメンとか言わないこと。先輩だったらとか先輩ならとか言ってたけどそういうのも駄目」


「んん……?」


いや、そんなおれが誰にでも軽々しくイケメンって言うやつみたいな。篠塚先輩にはまあ…そういうことも言ったけど


「……でも、篠塚先輩に言ったのはそう思ったからですよ」


思ってもないのにそういうこと言って、おれが男狙って言ってるやつだと勘違いされるかもしれないから言ってくれてるんだとは思う。

ただ先輩に対してはちゃんと思ったから言ったし、先輩だっておれのことそんな風に勘違いはしないだろう。


またきっと先輩はおれを馬鹿正直って言って笑う。


「……。」


「…先輩?」


と、思ったら反応がなくて


「どうかしました、か……って、っうお!」


身をかがめて覗き込んだら、前に傾けていていた上半身は肩を押されて逆に後ろに倒されることになった。


「っ……なんですかいきなり」


びっくりするからやめてほしい。と、背中をベッドにくっつけた状態ですぐ目の前にいる先輩に訴える。

押し倒されてるみたいな状態でこんなに近くに篠塚先輩の顔があるのも気まずくて、ぐっと先輩の肩を両手で押してみるが少し動いただけで退く気配はない。


え、全然うごかないんですけど…っ


「ふっん、!」


「気を付けろって言ったばっかだろ」


「ぬ……っ?」


自分の非力さというか、先輩との力の差に負けるかと腕に力を込めていたらそう言われた。ついさっき言われたこと。


腕から力を抜いてきょとんと先輩を見る。


「星野がそういう事言って、勘違いするやつがいたらどうする」


「いないですって」


「だからそれは分からないだろう。いたらどうするかって聞いてんだ」


どうするも何も…。

ぐっと再び腕に力を込めるが、急にマッチョになるなんて事はなくさっきと結果は変わらない。むしろ非力な腕が疲れてくるだけ。


「何かされる事だってあるかもしれないのに」


「ぐっ…だから、ないですって…!」


「今も俺にこうされてどうにも出来ないくせに」


俺を退かしてから言ってみろ、と飄々とした顔で言う先輩に、いや先輩がどけばいいだろって思ってその顔を下から睨むが効果はない。

普段鞄を持つことぐらいしかしない腕だ。先輩をどかすことは諦めて、込めていた力を抜いて腕を休ませるため胸元にのせる。

なんかむだにつかれた気がする…。


「はあ……先輩じゃなかったら本気で抵抗してますって」


もしこれが知らない人とか、おれにちょっと言われただけで本当にいきなりこんな事をしてきちゃうような人だったら、おれだって本気の全力で抵抗するに決まってる。

今は相手が篠塚先輩だし、おれが何も考えていないから先輩はこうして実践までして考えさせようとしてくれてるんだろう。本気で抵抗する必要がないし、今は本気が出てないだけで本当だったらおれの腕だってもうちょっと強い。


「…馬鹿なのかわざとなのかアホなのか分かんなくなってきた」


「はい?」


ボフッとおれの肩口に額をつけて覆い被さるようになると、先輩はため息をついた。先輩の髪の毛が首筋にあたってくすぐったい。


「いや馬鹿か…」


なんか勝手に解決したみたいで、馬鹿って言われたけどそんなことより何より近い。先輩がすごく近い。


「…ちょっと先輩。どいてくれませんか」


「んー?」


「ん……っちょ、っとやめてください」


この距離だ。聞こえてないはずがないのに先輩は離れるどころかぎしっとベッドを軋ませてさらに体重をかけてきて。

肩口にあてられていた額は離れたが、代わりに首元に顔を寄せられて先輩の鼻先がおれの首筋をなぞる。少し掛かる息までくすぐったくておれは顔を反対に背けた。


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