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「ふ、ふふ、篠塚せんぱい。」


「なんだよ」


「おれに勉強教えたかったですか?」


おれの頬から手を離し、こっちを見ないように体ごと向きを変えてしまった篠塚先輩に今度はおれの方からずいずいと身を寄せていく。

我ながらうざい。

でも篠塚先輩がこんな風になるのなんて初めて見たから、嬉しいのと一緒にちょっと楽しくなってきてしまった。いつもと立場が逆だ。先輩の余裕が、おれのせいで崩れているのだと思うと何とも言えない気持ちになる。


「お前な…。あんまりこっち寄るなって」


「ぅあ…っ、ちょっと何するんですか…!」


おれが寄るほどに先輩は反対を向いてしまうし、背けられた先輩の顔をどうにか拝んでやろうと覗き込んだらガッと頭を掴まれてしまった。

そのまま突っぱねるように額を押し返され、先輩の片腕によっておれは雑に遠ざけられる。押しても押してもぴんと伸びた腕は曲がらなくて、先輩の手のひらにぐりぐりと頭を押し付けることしかできない。


「う゛…っずるいですよ…っ」


くそっ、手伸ばしてんのに向こうの方がリーチが長い……!


腕を掴んで引き剥がそうにも、揺らせば掴まれているおれの頭まで一緒になって揺れるから結局おれが一番ダメージをくらう。


「いつもは俺が近付いても逃げるくせに、こんな時ばっかグイグイ来るなよ」


だって、そんな反応されたらどんな顔してんだろうって気になっちゃうじゃん。


「おれ、今ならいつもの先輩の気持ちがわかりそうです」


多分これに似たようなこと、おれがいつもされてる側だけど。先輩もしてかしていつもこんな楽しんでたの?おれがあんなに嫌がってたときに。


「先輩だっていつもおれにするじゃん」


「何を?」


「嫌がってんのに、無理やり顔見ようとしてきたり」


「しないよ俺は、星野にそんな事。」


……いけしゃあしゃあとって、こういうときに言うのかな。


「………ふん。今からでも何か持ってこれますけど、問題集。持ってきましょーか。」


「ふっ、要らないっつの。星野が困ってるなら手を貸そうかってだけ、勉強が捗ってるなら何よりだよ」


「でもさっき断ったときは拗ねて、…っうわ」


そう言いかけたところで、ぐわんと体が横へと傾いた。せんぱいせんぱい、と前のめっていたおれの上半身を押し倒すように、篠塚先輩がおれの頭をソファーの背もたれに押し付けたせい。

先輩の手は外れて拘束状態だった頭が解放されると、手のひらに遮られていた視界が開けた。少しの間見られなかった先輩の顔がこっちを向いていて、べしゃりとソファーの背もたれにへばり付くおれを見下ろしている。


「ないから。」


「……嘘つき」


「ホント。もう気にしないで良いから。小野田のとこには行ってやれよ、凄く喜んでた」


「篠塚先輩のとこには?」


来なくていいってこと?と、背もたれの上にぐでんと乗っけた頭はそのままに先輩を見上げるおれ。


「勉強も間に合ってる上にもう煙草も吸えないけど、来たいって言うならどうぞ?」


「あっほら、やっぱり拗ねてる!」


わざとらしく不満を露わにした言い方に、ぶくく、と耐え切れずに笑う。そんなおれを見てくすりと笑い、おれの頭にポンと手をのせた篠塚先輩。


「嘘だって。いつでも来てほしいと思ってるよ」


「いつでもは、しのづか先輩が忙しいから無理でしょ」


おれがそう言えば篠塚先輩は笑みを苦笑に変えて、まあそうだな、と歯切れを悪くして謝ってくる。


おれだって別に責めたいわけじゃない。



「………勉強、捗ってるのは本当ですけど。今日だって問題集持ってこなかったのは、先輩が疲れてるかなって思ったからだし、」


「ん、星野も気遣ってくれたんだよな。」


分かってるとでも言うように、篠塚先輩は頭に乗っけた手でおれの髪の毛をくしゃくしゃにする。だらしなくソファーの上でしなだれるおれには、髪が乱れるのなんてどうでもよくて大人しくそれを受け入れておく。


「それに……」


「うん?」


「ひさしぶりに篠塚先輩に会うのに、勉強の時間にしちゃうのは勿体ないじゃないですか」


用がなくても来ていいと言ったのは先輩の方なんだから、と背もたれまでフワフワなソファーに顔をうずめてもごもごと口を動かす。

そのためにさっきだって、ここに来るまでの間ひとり部屋で勉強していたというか、そう思ったらひとりでだって勉強も捗ったというか。


「………。」


篠塚先輩は何も言ってこない。


先輩はそんなことなかった?と思っていたら、ふと頭が軽くなった。髪の毛をぐちゃぐちゃにするだけして離れていってしまった手に、おれは少しだけ顔をずらして横目でちらりと先輩を見る。


「……あ。せんぱい」


「何?」


「いや、あの…。んへへ」


「……今度は何に笑ってんの。」


さっき拗ねていたときは顔を見してくれなかったけど、今度はちゃんとこっちを向いていてくれた先輩。けれどそれを見て笑ってしまったのは、決して変な顔だったからとかではなくてその表情に見覚えがあったから。

込み上げてきてしまった笑いは、どちらかと言えばそれよりも先に湧いた照れ臭さを隠すためのものだった。


「せんぱい今、おれのこと可愛いって思ってるでしょ。」


おれがそんなことを言ったのが意外だったのか、篠塚先輩はくいっと片眉を上げる。面食らったように目を見開いたのは一瞬で、またすぐに余裕を取り戻したらしい先輩はすうっと目を細めておれに顔を寄せる。


「駄目か?」


「ン…、ううん。ダメじゃないですけど、」


「前は言う度に納得いかないって顔してたくせに。どうしたんだよ」


「だっておれがそんなことないって言ったって、先輩懲りずに言ってくるから、」


やっぱり変なのって思ったんだ。と、あくまでも可笑しくて笑ったことにした。目尻を皮切りに幾度と落とされる唇は、おれが顔の半分をソファーに沈めているせいで左側にばかり偏る。


「懲りずにって。今は言ってなかっただろ」


「え〜、…言うとキリがないから?」


どっちにしろ当たってたじゃん、とすっかり強気で。

そんな調子に乗ったおれをたしなめるみたいに、だらんと力を抜きだらしなくソファーにもたれるだけのおれの体を篠塚先輩が張り倒す。


「ぅ、わ……っ!わーッ、待って、うそですうそ!先輩は勉強しなくていいんですかッ…?」


「星野がするなら俺もするつもりだったけど、勉強の時間にはしたくないんだろう?」


「こ、っ…こういう意味では、」


なかった、はずなんだけど…。

と語尾になるにつれて小さくなっていった声は、最後の方は先輩の口に吸い込まれるようにして完全に聞こえなくなった。

そんなつもりじゃなかったと言うにはあまりにすんなりと受け入れてしまった唇に、実はそんなつもりだったのかも、なんて自分の気持ちも曖昧なまま。答えを導けるだけの思考が奪われるのには数秒あれば十分だった。


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