アンケート2013 | ナノ

 Choise, on your way from me(前篇)

「ねぇ、どう?感じる?気持ちイイ?」
―『ねぇ、どう?感じる?気持ちイイ?』

耳元で囁かれる言葉が、
ほんの少し遅れたタイミングで建物の中に響いている。

むせかえるほどの熱気が溢れる大きい浴室で、
場所に倣ったようにこだまする声。

私の目に移るのは、握りしめた自分の拳と見慣れた黄色。
視界は一定のリズムで揺れて、それに合わせて流れ落ちる汗は、頬を顎を伝い、床に零れ落ちる。

もう…やだよ……!!

無言のまま否定するように首を振ると、
楽しそうに笑う声。
狂気を含んだそれはまたほんの少し遅れて建物の中に響き渡る。

ーまるで中継されているかのように。





「熱いな…」
彼は頬に伝う汗を拭う。

私たち自称特別捜査隊の隊長、そしてみんなの番長。
決して感情を激しく表に出すことがないにも関わらず、
皆の心をスマートに読み、それぞれの状況を良い方向へと導く能力に長けた、
スーパー高校生。
そして、私の彼氏。

付き合いだしてそれほど長いわけではないけれど、
事情あってひとつ屋根の下に暮らしているし、
シャドウとの戦いを通して、仲間として、恋人として、
絆を深まっているのを感じる。

「大丈夫か?怪我はないか?」

頭脳明晰なだけでなく、眉目秀麗な彼の姿に見惚れていた私は、
彼の言葉で現実へと引き戻される。

「あっ、ごめん!大丈夫。ちょっと考えごと……ふぅ…ホント暑いね」

上気して染まった頬は、暑さのせいにしておこう。
手でうちわの形を作ってぱたぱたと扇ぐと、彼は頷いた。

「さっさと見つけようぜ巽完二!」
周りを気遣う明るい声。
ムードメーカーの陽介は高く拳を上げる。

その言葉に千枝ちゃんも雪子ちゃんも頷いた。
しかし次の瞬間、千枝ちゃんは少し表情を曇らせる。

「それにしてもこの霧…ていうか…湯気?だんだん濃くなってきてない?」
「うん…少し先も見えないくらいだね…ちょっと怖い」

雪子ちゃんは自らを抱きしめるように腕を交差する。
暑くて仕方ないのに、先の見えない不安から、背筋が冷たくなるような気がした。

「あっ、シャドウ!」
なんとなく気配がして振り返ると、すぐ背後に迫る黒い影。
全員で振り返る。
しかし、相手よりも一歩出遅れてしまう。

こんなに接近されるまで気がつかなかったなんて…!

それほどに、霧…湯気…どちらかわからない白色の蒸気は色濃く、
私たちを取り巻き、混乱の渦へ導く。

「不意をつかれたクマ! て、敵5体っぽい!?しかもコイツは手強いクマー!」
「クマさん、私たち勝てそう!?」
雪子ちゃんが叫ぶ。

「ムムム…難しいかも…!逃げる隙を探すクマ!!それまでなんとか持ちこたえるクマ!」
「オーケー!みんな、耐えるんだ」
「了解!隊長!」

私も敵の攻撃に備えて体勢を整える。

私たちの何倍もの身長を持つシャドウに、濃い霧が掛かって行く。
このままじゃ奴らの攻撃を見切れない。

「どうして!?どうしてこんなに霧が…!」
「相手がよく見えない…!」

「な、なにかおかしいクマ!シャドウが騒がしくなってきたクマ!みんな、逃げて!!」
「悠、どうしたらいい?!」
私は彼を顧みると、彼は構えていた刀をうっすらしか見ることのできないシャドウへ向けながら、
私の腕を引っ張る。

「あっ…!!」
彼の腕に抱きとめられた瞬間、私のいた場所にシャドウの攻撃が当たり、床にひびが入る。

「あ、ありがとう…」
「気をつけて」
「うん…」
すぐ近くで響く声。
こんな状況だというのに、彼の香りに安心してしまう。

「みんな、どうやら様子が変だ。作戦を立て直す。入口に戻ろう。来た道を戻ればいい。すぐそこだ、わかるな?」
全員に聞こえるように声を張る悠。
その目はシャドウを睨みつけたまま。

「オッケィ!行こう!雪子!」
「うん!」

「皆が離れるまで、俺がシャドウを足止めしておく」
「そんな、悠っ!」
「大丈夫…ほら、早く行って」
「おい、名、行くぞ!」
「ちょ、陽介っ…!」
陽介に手を取られ、半ば強引に悠から引き剥がされる。

私の手を掴んでいるのが陽介だということはわかるのだが、
霧が濃く、彼の姿まで見ることができない。
クマからもらった眼鏡をしているのにも関わらず、こんなにも周りが見えないのは初めてだ。

でも周りが見えていないのはこのときだけではなかった。
私はずっと、周りを見てこなかった。
それがこんなことを引き起こすなんて、微塵も思っていなかったー。

***

「迷った…」
「うそでしょ……入口からそう離れてなかったよね…?」
「わりぃ……がむしゃらに走ったからさ…」
「もぉ…」

陽介に手を取られ、その背中を夢中で追いかけてきて数分後、
どうやら私たちは帰り道を間違ってしまったらしい。
霧は相変わらず濃く、ハッキリ見ることができるのは陽介の背中のみ。

「…………」

彼はまだ手を離さない。
結果、彼の進む方向に進むことになる。

悠の手とは少し違う感触。
高い湿度のせいで汗ばむ二人の手の平はまるでくっついているかのようだ。


「陽介、もう手…大丈夫だよ?」
「……次、シャドウが来たら、俺がお前を守らなくちゃ…だからさ、このまま」
「う、うん…」

白い霧の中、尚も進む。
道を誤ったのなら、元の道に引き返すべきなのだが、彼はそうしようとしないし、
なんとなくそう進言できる雰囲気でもなかった。

いつもまっすぐで明るい陽介が、
迷っているように見えた。

「陽介?大丈夫?」
「え?な、なにが?」
背中に問うと、いつも通りの陽介の声が返ってくる。
あれ?心配しすぎかな…?

「クマはシャドウが騒がしいっていってたけど、奇襲されたりはしないな、今のところ」
「そうだね」
当たりをきょろきょろと見渡す私たち。
シャドウの気配は感じない。
まだ慣れていないダンジョンだし、2人のところを奇襲されたらひとたまりもないだろう。

…早く、悠に会いたい…。

急に不安を覚え、やはり陽介を説得しようと決意する。
進言ひとつできずに、仲間だなんて言えないよね。

「うーん…この辺りは…まだ来たことないところだよね?見覚えないし…なんて、霧でほとんど何も見えないけど。2人だけじゃなんか危ないし…戻る?」
この言葉に、私を引っ張る様に歩いていた陽介が初めて立ち止まる。

「名は俺と2人だけじゃ不安?」
「そ、そんなことないよ?」
「あいつが一緒ならそんなこと言わないだろ?」
表情を見ることができない。
自分を蔑んでいるような、そんな風に聞こえて胸が痛む。

「そ、そりゃあ2人より3人の方がシャドウと闘うのもラクだから…」
「そういう意味じゃねぇよ!」

突然響く怒声。
彼の肩が震えている。
繋いでいない方の手でぐっと拳を作り、何かに耐えているようだった。

「ど、どうしたの陽介?」
「………っ」
「あ、ちょっと…!」

手をぐっと握り直されて、また彼は走りだす。
自然と身体は引っ張られ、ついていかざるを得ない。

「陽介!陽介ってば!!こっち違うよ!?」
「…………」

まとわりつく白色の靄。
少し先しか見えない状況の中、
陽介はまるで方向など考えず、がむしゃらに走っているようだった。
みんなの待ち合わせ場所であるダンジョン入口から、どんどん遠ざかるように。
その背に何を言っても無言のまま。

表情も感情もわからない。
本当の彼を感じることができるのは、唯一繋がっている手だけだった。

そのとき、陽介が急に立ち止まる。
「っ!!」
その背の向こう側には、道幅いっぱいに広がり、こちら側に迫りくる赤色のシャドウ。
強敵だ。
私たち2人では突破するのが難しい…!

「陽介、こっち!!」
「ん?わあ…!」

引っ張られていた手を逆に引っ張り、
目に入ったドアを開けて身を隠す。
陽介が入った瞬間に扉を押し返し、そこに背を預けた。
「陽介も!扉押さえて!」
「あ、ああ!」
2人で背中にぐっと体重を掛けて、扉を守る。

「ハァ…ハァ……」
「はぁ……はぁ…」
鼓動が高鳴り、額に汗がいくつも滲んでは、頬を滑り落ちて行く。
私と陽介は白で満たされた部屋の中を見つめ、扉の向こう側からシャドウが去るのを待った。
とはいえ、決してこの部屋の中までも安全とは限らない。
すぐに戦闘に入れるよう、心の準備をしておく。

「もう…大丈夫かな…?」
「行ったみたいだな」
「……ここも、大丈夫っぽい」

今まで進んできた場所と違って、ここは少し霧が晴れているように見える。
よく目を凝らすと、部屋の隅々まで見渡すことができた。
シャドウはいない。

大きな溜息をつきながら、その場にしゃがみ込む。
胸を満たしていた不安と焦燥が、吐息と共に外へ散っていく。
緊張がとけ、足が震えていた。

隣の陽介も同じようにしゃがみ込み、そしてうなだれた。
この世の終わりみたいな影背負って俯いている。

「わりぃ……お前のこと守るとか言ってたくせに……結局、守られてやんの、俺」
「気にしてないよ。仲間だもん、私が陽介を守ったっていいでしょ?」
「仲間、か……」

はぁ…と大きな溜息が聞こえる。
決して良い声音ではないと感じた。
陽介は私を仲間だと思ってくれていないのだろうか。胸が痛んだ。

「俺っていっつもこーだよな。肝心な時にヘマして。それがすげー恥ずかしくて、道化みたいな振る舞いして。お前に何度助けてもらったか」
「そうだっけ?私の方がいつも助けてもらってるよ?」
「情けはやめてくれ。ホントは助けてもらって嬉しくて、ありがてぇって思ってるのに、心の中にどんどん変な感情が溜まってくんだ」

語尾が震えている。
突然の独白に彼の方を見ない方が良いだろうと思っていたけれど、心配になって隣の陽介を振り返る。

彼はまっすぐこちらを見つめていた。
視線がぶつかる。
彼の瞳は金色に輝いているように見えた。

この表情は……
嫌な予感がして、せり上がってくる緊張を飲み干すように喉を鳴らす。

「肝心なときにうまくやれないんだよ、俺は…!」
「よ…陽介?」
「お前があいつに惹かれて行くのも、隣で…見ているしかなかった」
「!!」
「好きな人の恋は…応援してやりたいと思ってた。それでお前が幸せなら…それでいいって…」
「………」
「いや、違う…。俺はお前に嫌われるのが怖くて…ホントのこと言ったらお前が離れて行くんじゃないかってそう思って…何もできなかっただけだ」
「………っ」
「でも…ダメだ。頭ん中ぐちゃぐちゃで…もう抑えらんないみたいで……ごめん……」

泣きそうな声。
泣きだしそうな表情。

怖いのに動けない。
緊張がとけて、腰を抜かしたせいだ。
彼と距離を取る様に精一杯、背を遠ざけるが、限度がある。

彼の手が伸びてきて、頬に優しく触れる。
「お前の頬……唇……」
彼は今にも泣き出しそうな表情で、唇を親指で2,3度なぞる。
それからその指は突然中へと押し込まれた。

「ぐっ…!」
「ごめん、優しく出来ない…もう…俺は、俺じゃない……!」


* * *


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