向けられた視線の意味



夏休みが終わり新学期が始まると、海原祭の演劇で柳と名前が主役をやるということは、学校中に知れ渡っていた。

「実に良く撮れていますね。素晴らしい出来です」

それはきっと、夏休み最終日に撮った例のポスターのお陰だろう。現在三人のいる廊下だけでなく学内のあちこちに貼られたそれは柳生も惚れ惚れする出来栄えに仕上がったのだが、如何せん――・・・

「こ、これって・・・!」
「最後に一枚撮ったものだって聞いたけど、いつの間に撮ったの?」

名前はポスターを前にして絶句する。ロミオ姿の柳が跪いてジュリエット姿の名前の手を取っている写真だった。空き教室で二人になった時のものだ――いつの間に撮られていたのだろう、しかもそれが使われるなんて。柳生や栞乃だけでなくクラスメイトの女の子たちにも素敵ねなんて言われたが、名前はあの時のことを思い出して気が気ではなかった。柳はどう思っているのだろう――そんなことを考えているとふいに、通りかかった女子グループの一人の肩がぶつかった。名前も知らない面識のない子たちだ。ごめん、と咄嗟に謝ると、振り返った彼女は笑っていた。

「何?ああ、ごめんね?」

そのまま数人の女子たちとくすくす笑いながら歩き去ってゆく。ぽかんとして見送ると、「何、あれ」と栞乃がむっとしたように言う。柳生も少し眉を潜めていた。ただぶつかっただけの些細な出来事だったが、何となく――何となく、名前は彼女たちの笑い声が耳に残った。





それから一週間もすると、彼女たちの行為は不注意や偶然ではないということを理解せざるを得なくなっていた。つまり、名前にぶつかったりその拍子に教科書を落とさせたり、名前の傍でひそひそと話をしたりするのは、故意的なものらしい。

「ちょっと、何度ぶつかれば気が済むのよ」

栞乃がそう言ってからは栞乃の目がある場所ではされなくなったが、それからは決まって、彼女たちは名前が一人で行動している時を狙って現れるのだった。とにかく自分は良く思われていないらしいということは分かるが、名前にはなぜ彼女たちがそんなことをするのかがさっぱり分からなかった。きつい眼差しやひそひそ話をされるのが怖くてただ曖昧に笑ってやり過ごしていた名前だったが、この日は階段を上がっている最中にぶつかられてひやりとしたことがきっかけで、咄嗟に口を開いた。放課後のことだった。

「私、何かした・・・?」

訳も分からず口を閉ざしていた名前からまさか言葉をかけられるとは思ってもみなかったのだろう、一瞬驚いた顔をした彼女たちだったが、すぐにいつもの笑みを浮かべて名前の方を見ずに話し始めた。

「お嬢様だか何だか知らないけど、たかが学生劇のヒロインくらいで調子に乗ってると思わない?」
「あのポスターはちょっとね」
「柳くんの相手が自分に務まると思ってるのかな」

いつものひそひそ声とは違って名前にもよく聞こえる声でそう話してから、彼女たちはまたくすくす笑いながら階段を下りていった。つまり自分が何か悪いことをしてしまったというわけではなく、演劇の主役になったことをあまり良く思っていないことから一連の行為をされているらしい――名前はそう理解して、それから戸惑った。こんな時、どうしたら良いか分からない。今しがた聞いた言葉によって心に靄がかかったような痛みが走って、ただその場に立ち尽くしてしまった。なぜ彼女たちにそんなことを言われなければならないのだろう。今更演劇に出るのをやめることなどできるはずもないのに。

「宇佐見、こんなとこで何しとるんじゃ」
「――、え」

はっと顔を上げると、彼女たちと入れ違いで階段を上ってきたのは仁王だった。仁王とも練習でよく顔を合わせていたので、最近では冗談を言い合うこともある。「あ・・・多目的室に忘れ物しちゃって」練習の後、あろうことか携帯を置いて来てしまったことを思い出したのだ。取りに行こうとした矢先にあんなことがあったのだった。

「俺も。ほら、行くぜよ」

仁王は短くそう言って、先に階段を上ってゆく。名前もつられるようにしてその後を追った。今はするりと、足が動いた。「仁王くんは何忘れたの」「あー、台本」「うそ、それ忘れる?」「宇佐見は何忘れたん」「あー・・・携帯」「人のこと言えんじゃろ」言い合いながら多目的室に入ると、練習はとっくに終わっているので中には誰も残っておらず、少し寂しげな雰囲気だった。ぱちんと電気を点けて、ソファに置き忘れていた携帯をポケットに仕舞う。「台本あった?」振り返ると、仁王は何をするでもなくポケットに手を突っこんだまま立っていた。「仁王くん・・・?」

「たかが学生劇とは、失礼なことを言ってくれるのう」

名前はその言葉にはっとした。仁王は、先ほど名前が彼女たちに言われた言葉を聞いていたのだ。驚いたように瞬きをすると、「嫌がらせはいつからじゃ」と少し眉間にしわの寄った顔で聞かれた。「あ・・・一週間前、くらい」これまではっきりと認識しないようにしていたがやはりあれは嫌がらせなのだと改めて感じて、名前の心はますます曇ってしまった。嫌がらせ。栞乃が何かと名前と共に行動しようとするのは、それに気付いていたからだろう。

「はは、私には無理だってことなのかな」

軽く笑い飛ばしたかったのにやはり上手く笑えなかった。ちょっとした嫌がらせを受けているだけだとしても、これまでにこんな目に遭ったことなどない。視線を落として苦笑する名前を仁王は黙って見ていたが、ふいに部屋の隅に置かれたオーディオプレーヤーの電源を入れて、劇で使う曲を流し始めた。仁王の行動はいつでも読めない。何事だろうと首を傾げていると、彼はゆっくり歩み寄ってくる。

「のう、宇佐見。踊らんか」
「え?」

流れてきたのは、舞踏会のシーンで使うことになっている曲だった。仁王や柳生などは踊ることになっているが、名前はそこに出番はない。「練習、付き合ってくれんかのう」「でも私、踊れないよ」「大丈夫じゃき」仁王はそう言い切って勝手に名前の手を取った。そのままゆっくり手を引いて教室の真ん中に来ると、適当に揺れ始める。練習と言ったくせに――しかし手を差し伸べてダンスに誘うようなことをしないあたり、仁王らしいと思った。薄暗い窓に、ぎこちなく揺れる二人が映っている。最初は戸惑っていた名前だったが、少々強引に揺らされているうちにだんだん心が絆されて、やがてふっと小さく笑んだ。「・・・笑ったのう」それからは二人して楽しくなって、名前がくるりと回ったり、かと思えば仁王が回ったりして笑い合った。

「心配いらん。プリンセスはおまんしかおらんき」
「・・・仁王くん」
「だから、辞めんな」

彼なりの励ましに、名前はまた小さく笑った。「ありがとう」曲が終わるとプレーヤーの電源と電気を切って多目的室を出る。「それじゃあ」手を上げて応えた仁王が本当に忘れ物をしていたのか、結局分からずじまいだった。





「仁王」
「・・・何じゃ柳、おったんか」
「被服室で衣装のサイズ調整をしていたら多目的室から音楽や笑い声が聞こえてきたのでな」
「練習に付き合ってもらっただけじゃき、そんな怖い顔せんでくれんかのう」

柳の眉間には僅かにしわができていた。仁王はにっと口角を上げてそれを見たが、ふいに名前の消えた廊下に目をやる。

「柳、気付いとるんじゃろ。あの子は理由を少し履き違えとったけど」
「・・・ああ」

仁王より先に階段を下りた名前がこの会話を聞くことはない。とにかく彼女たちに劇を見ても何か言われないように頑張らないと――帰路につく頃には、そう思うようになっていた。


>>>

back
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -