いつもと違う君を見た



夏休み最終日の練習後、いよいよ衣装を試着することになった。完成したわけではないが、一度身に付けてみてサイズや動きにくい部分がないかを見るのだ。

「どう?重くない?」
「名前ちゃん、ちょっと腕を上げてもらえる?」

試着は被服室と多目的室で行われた。女子の試着室となった被服室では、栞乃を始めとする数人の衣裳係に囲まれてチェックを受ける名前の他にも数人がその作業をしている。演劇のストーリー上、ドレスを着ている生徒が多い。主役である名前もその一人だ。

「名前、ちょっと後ろ向いてみて」
「うん」

ジュリエットのドレスは肩の開いたプリンセスラインのものだった。衣裳係は栞乃と同様家庭科部の部員が大半だが、学生が作ったものとしては流石と言える出来栄えだ。名前はパーティに出席する機会が多いのでドレスを着ることにはあまり抵抗はないものの、まさにおとぎ話のプリンセスといったドレスを着るのは初めてで、髪飾りを付けるために髪もセットされて、少々気恥ずかしかった。一通り調べ終わった栞乃たちが「あとは飾りをもう少し」とか「それから袖の部分を」とか話し合っているのを聞きながら、名前はやれやれと手袋を外した――と、栞乃の手が伸びてきてそれを止められる。「待って名前、まだ脱がないで」「え?」見ると、少し前に試着してサイズを確かめていた演劇用の靴が用意されている。

「ポスターのための写真、今日撮ることになったのよ」

確かに、演劇の宣伝のためのポスターを作ることは名前も知っていた――気は進まなかったが。「でも学校始まってからじゃ・・・」「実行委員にちょうど写真部の子がいてね、衣装合わせと一緒の日にすれば一回で済むからって」名前も一回着るだけで済む方がいいでしょ、とまで言われれば、頷くしかない。周りにいた衣裳係の女子たちはほらねとばかりに名前をすとんと椅子に座らせて、てきぱきと髪を整え化粧を施してゆく。最後に靴を履くように促されて、名前は、心の準備もできないままに完成させられてしまった。

「ほら、行くわよ」
「行くってどこへ」
「空き教室にセットを作るんだって――ロミオ姿の柳くんが待ってるはずよ」

思わず顔を上げた名前に、栞乃はこっそりと悪戯っぽく笑った。





空き教室の扉を開けると、ピアノが置いてある方と反対側の壁際が片付けられており、そこに演劇で使う道具が並べられているのが見えた。美術部の生徒が作ったらしい背景や壁画がかけられ、どこかから借りてきたらしいアンティークなテーブルと椅子が置かれている。学生劇ながら、本格的である。

「ほら、名前ちゃん」

後ろにいた衣裳係の子にとんと促されて一歩部屋の中へ踏み出すと、こつ、とヒールの音が響いた。教室内にいた実行委員の生徒たちが振り返り、それを追うようにして振り返ったのは――かっちりとしたタキシードを着た王子姿の柳だった。振り向いた拍子に片方の肩にかけられたベルベットのマントがふわりとなびいて、名前は思わずはっと息を呑む。

「宇佐見、」

名前の頭の中は正直に、格好いい、と思った。そっと足を踏み出して、こつ、こつ、と柳の方へ歩く。一歩ずつ彼に近付いてゆく。今の名前の目はいつものように背筋を伸ばして立っている柳だけを捉えていて、周りの景色は霞んで見えるようだった。

「あ――それじゃ、撮るよ」

はたと足を止めて声のした方を見る。そこでようやく、教室内は静まり返っていたものの写真を撮る生徒以外にもこの場には実行委員がいたのだと思い出して、名前は今の自分の行動に驚いた。今、柳のことしか見ていなかった。じわりと体が熱くなった。

「もっと近くに寄って・・・もう少し・・・宇佐見さん、体を少し柳の方に向けて」

椅子に座ったり背中合わせで立ったりと指示を聞いているうちにふと気付けば、名前の目の前に柳の胸がくる位置まで近付いて向かい合わせで立っていた。緊張で瞬きが増えてしまう――ふと柳の呼吸で前髪が揺れて、心臓がいっそう騒ぎ立てた。いつか跡部が名前の腰を抱いた時のように今どこかに触れられているわけでもないのに、体が勝手に熱を持っている。どうにか平常心を保とうと柳のタキシードの紋章をじっと見てやり過ごした。

「確認してくるから、ここで少し待っててくれ」

実行委員たちは一度パソコンに繋いで確認するために、多目的室へ戻って行った。思わず潜めていた息をふっと吐き出す。シャッターを切られていた時間は長かったようにも短かったようにも感じられた。「疲れたか?」柳は普段通りに問いかけただけであるはずなのに、名前は、上手く目を見ることができなかった。きっと慣れない姿を見て変に緊張した名残だろう――しかし最近では二人きりになっても殆ど自然に柳と会話することができるようになっていたのに、何となく今は難しい。

「こういうの、あんまり得意じゃなくて」

笑ってそう言ってから、変な笑い方になっていただろうかと不安になった。「俺もそうだ。慣れていないのでどうにもな」「本当?いつもみたいに、余裕そうだったけど」「そんなことはない。緊張している」「柳くんでも、緊張するんだ」「ああ、特に今は――」その先が続かないのを不思議に思って顔を上げると、柳はその涼やかな眸で名前をじっと見下ろしていた。

「ひどく緊張している。宇佐見がそんな格好だからだろうか」

同じだ――と思った。今柳が言ったのは、名前の頭の中に渦巻いているものと同じだった。どうして、いつもと違う格好をしているだけで心臓が煩くなるのだろう。柳も同じということは、柳に聞けばその答えが分かるのだろうか。しかし名前は、それを聞くことはしなかった。何となく、今は知りたくなかった。

「よく似合っている」

そんなことを言われても、柳生曰く”シャイ”な名前がどうしようもないほど顔を真っ赤にせずに済んだのは、柳がその整った眉をくっと上げて冗談めいたうすい笑みをして言ったからだった。「お世辞だ」名前は笑いながらそう言って、柳と同じ冗談めいた顔で「柳くんも、よく似合ってる」と真似をした。「お世辞か」柳が珍しく――というよりも初めて――くっくっと喉の奥で堪えるように笑ったので、名前は同じように笑いながらも、目が離せなくなるのだった。

「宇佐見」
「うん?」
「・・・いや、今は違うな」

今度は何を言い出すのだろう。柳はおもむろに床に膝をついて、「柳くん?」「今は柳ではない」目を瞬かせる名前に、そっと手を差し出した。

「――”お手をどうぞ、ジュリエット”」

それは劇中の台詞だった。柳はまだ笑んでいたが、先程までとは違う笑い方のような気がして、何だか落ち着かない。柳くんってこういうことをする人だったっけ――みんなが戻ってくるかもしれない――頭ではそんなことを考えていたのに、気付けば名前は手を伸ばしていた。

「・・・”はい、ロミオ”」

ふと思い出したのは、跡部が同じように名前の前に跪いた時のことだった。あの時も名前はどこか落ち着かない感覚がしていたが、それと今のふわふわとして足が地に着かないような感覚とは、どこか違うようだった。手袋越しでも少し熱い体温が伝わって、二人のいるこの教室だけが切り取られた空間のようで――だから、廊下側の窓から一度シャッターを切られたことには、気付くことができなかった。


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