焦ることはないよ



夏休みもそろそろ終わろうかという頃、名前は宇佐見邸に栞乃を呼んで、課題の残りをやっつけていた。とは言っても早々に休憩に入って、今は運ばれてきたチョコサンデーをつついているのだが。

「ねえ、のんちゃん」
「んー?」

名前は今日ずっと何かを考えている顔をしていたが、課題のノートは今やテーブルの隅へ追いやられている。考えていたのは問題の答えではなく、あの日の夜のことだった。

「人を好きになるとどんな気持ちになるの?」

テーブルに凭れてスプーンをゆらゆらさせていた栞乃は、名前の言葉にがばりと身を起こした。「なに、名前、どうしたの」その勢いに少しうろたえた名前だったが、あの時柳に言われた「役の心情を考える」という話を栞乃に話して聞かせた。柳が栞乃の家に入る前に言った言葉のことは、何となく栞乃にも言えなかった。

「なーんだ、そういうこと・・・」

「自覚したのかと思った」栞乃はあからさまにがっかりしていたが、その意味も分からない名前は「真剣に聞いてるの」と言いながらサンデーを一口食べた。「そうねえ・・・」栞乃は間延びした声でそう言ってからふと何かを思いついた顔をして、テーブルに出してあった名前の台本を引き寄せる。スプーンを咥えたまま台本をぱらぱらと捲り、手元にあった蛍光ペンで何やら書き始めた。

「ちょっとのんちゃん、落書きなら何もないページにしてよ」
「いいからいいから」

覗きこもうとするが、手で遮られる。「何書いてるの?」「秘密」これはいつもと変わらない二人の戯れだったが、落書きを終えたらしい栞乃に台本を見せられると、名前はきょとんとしてしまった。ページにはいつも栞乃が名前のノートに書くようないびつな動物もメッセージもない。ただ、台詞を蛍光ペンでなぞられているだけだった。「?」名前は首を傾げる。「ここ、読んでみて」それは、ジュリエットの台詞だった。

「”あの方はここにいないのに、その顔を思い浮かべるだけで、胸がどきどきするのです。私はどうかしてしまったのでしょうか。気が付けばいつでも、あの方のことばかり、考えているのです”」

「・・・――」分かるような、分からないような――好きな人のことをつい考えてしまうということを言っているのだと、頭では分かる。ただ、ピンとこないのだ。考え込む名前に、栞乃はふっと笑った。「私が話しても、やっぱり本当には伝わらないと思う」このところ、彼女はいっそう大人っぽくなっていた。

「名前が自分で”ああ、これか”って思うのが、一番いいんだよ」

名前はやはりそうか、と少し落胆した。劇には間に合わないだろう。焦って分かろうとしたところでできるものでもないし、意味がない。「ありがと、のんちゃん」溶けてしまったサンデーを食べ切って、さてと、と課題のノートを引き寄せた名前には、志乃が「もう、じれったいなあ」と呟いた声は聞こえていなかった。


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