PM 7:00



跡部グループの施設でトレーニングを終えた手塚は、駐車場に停めた自分の車に乗り込むなり再び携帯を確認した――名前からのコールバックはない。先ほどから名前に電話をかけているのだが、何度かけても繋がらないのだ。誰かと一緒にいて携帯を確認できないのだろうか?

「何かあったのか」
『、ううん、なにも」


手塚は昨日の名前の様子が気にかかっていた。日中はずっと例の女性記者の件で跡部とともにオフィスに籠っていたので名前からの着信に気付くのが遅れてしまい、かけ直したのは夜になってからだった。その時の名前の声色は何となく平静を保とうと努めているようなものに感じられて、何かあったのだろうかと引っかかっていたのだ。名前はいつでも、自分の負の感情をあまり口にしようとしない。それは彼女の美点でもあるのだが、同時に手塚の心配の種でもあった。いつか溜め込み続けた感情が溢れ返ったときのことを思っているのだ。また、恋人の自分には全てを曝け出してほしい、頼ってほしいと考えていた。もし、名前が一人で全てを溜め込むことに耐えきれなくなって、自分の傍を離れてゆく日がきたら――そう思うと、手塚は言い知れぬ焦燥に駆られるのだった。車の中で、手塚は再び名前の携帯に発信した――と、また留守電に切り替わるだろうという頃になって発信音がぶつりと途切れたので、手塚は少し驚いて下ろしかけていた携帯を耳に当てた。

「名前」
『ごめん――図書館にいて、気付かなかったの』

何度も電話がつながらなかったせいか、手塚は何となく久しぶりに名前の声を聞いた気がした。早歩きで図書館を出てきたのか、少し息の上がっているような声だ。その後ろで、外の音が聞こえた。

『ずっと気付かなくてごめんね』
「いや、気にするな」
『...何か、あった?』

正直に言うべきか少し迷った。単なる手塚の思い過ごしかもしれないからだ。しかし今こうして話している名前の声もどことなく普段と違うような気がして、手塚は少し間を置いてから口を開く。

「...昨日、電話した時の名前の様子が普段と違ったので気になってな。名前のマンションに行こうと思っていたんだが」

電話口で名前が息をのんだ音が聞こえる――やはり、そうだったか。『国光、』「何だ」『...ううん、ありがとう』名前が吐息で笑ったのが分かると、少し安心して手塚の表情も緩んだ。「これから会えるか」『うん、ちょうど帰ろうとしてたの』「会社近くの図書館だろう、直ぐに行くから中で待っていろ」『迎えに来てくれるの?』その時、名前の声のうしろから別の、男の声が聞こえてきた。

『名字、俺が送ってやる』

――運転席に座る手塚はハンドルを見据えたまま、すっと目を細めた。「...名前。今誰と一緒にいる」先ほどまでと声色が変わったのが自分でも分かった。名前からの返事はなく、かわりに『返してください、』と焦ったような困惑した声が少し遠くで聞こえた。

『手塚さん。わざわざ迎えに来なくても、俺が送っていきますよ』

ふいに耳に飛び込んできた低い声はうっすらと笑みを含んだ、挑戦的なものだった。直後、ぶつりと通話が切れる。「――っ、」手塚は携帯を助手席に投げると、迷わずエンジンをかけて車を出した。これ程までに荒々しい運転をしたのは初めてだった。普段の手塚はその性格上、無茶な追い越しをしたり急発進したりすることのない穏やかな運転をする。名前を助手席に乗せているときなんかは特に――「...名前、」ハンドルをきつく握りながら呟く。先ほどの男の声がフラッシュバックして、手塚は無意識のうちにアクセルを踏む力を強めていた。


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