PM 7:00



自分のオフィスがあるフロアの休憩スペースにて、電話を切った名前はふっとため息をついた。かけてきた相手は今晩食事に行く約束をしていた手塚で、突然跡部グループの役員方からお誘いがかかってしまったという電話だった。仕事をする上で付き合いがどれほど重要であるかはよくよく理解しているので咎めることもなく「仕方ないね」と返事をしたのだが、残念に思ったのが少し声に出てしまっていたのか、手塚は「名前、本当にすまない」と申し訳なさそうに再び謝った。「ううん、気にしないで。気を付けて」そうは言いながらも、やはり一週間ほど前からの約束がふいになくなるとがっかりしてしまうのは仕方のないことだった。少し前には自分が休日出勤になってしまって手塚と過ごす約束を果たせなかったこともあり、最近何となくついてないと感じてしまう。今日はもう終業だがこのまま帰るのも気が乗らないし、少しだけ残業して行こうかな――そんなことを思いながら踵を返した名前は、顔を上げた途端はたと動きを止めた。

「今の、彼氏?」
「――・・・高城さん」

どうやら、少し前からいたらしい。「盗み聞きするつもりじゃなかったんだが、コーヒーを買おうと思ったら偶然な」高城はポケットに手を入れたまま、名前の方へ歩み寄ってくる。

「彼氏との約束が無しになったってとこだろ?それなら俺と行くか」

今は殊更、高城と会話したくなかった。やっぱり今日はもう帰ろうと思い直す。「...すみません、お先に失礼します」もしかしたら高城は本気で名前に好意があるわけではなく何の気なしに声をかけているだけで、名前が普段口説かれていると感じているのは自意識過剰なのかもしれないが、それでも隙を見せることはしたくなかった。...一年ほど前、手塚によって陥落させられた時には隙だらけだったということは――名前の方にも少なからず好意があったので――棚に上げておく。

「それなら、二人でとは言わない」

頭を下げながら横を通り過ぎようとしたが、高城はまだ引き下がろうとしなかった。「え、?」思わず立ち止まってしまった名前より先にオフィスへ戻ると残っていたメンバーに「これから飲みに行くぞ」と誘いをかけ、皆で飲みに行くことになり断りにくい状況を作ってしまったのだ。名前は高城の強引さに開いた口が塞がらない思いがしたが、ここで頑なに帰ろうとするのも自意識過剰かと思い、仕方なく手塚に「会社の人達と飲みに行くことになった」とメールを送っておいた。普段ならばすぐに「分かった」だとか「気を付けるように」だとか返事がくるのだが、今日は店に着く頃になっても返ってこない。しかしまあ会社の役員の人達といるのだから携帯を見られなくて当然か、と思い直して、名前は高城達に着いて店へ入って行った。

「いらっしゃいませ」

そこは個室が多くある居酒屋で、あまりガヤガヤと五月蠅すぎないので接待なんかでたまに使っていた。今回も個室を選び、店員の案内に従って店内を歩いていると、ふいに名前の前を歩いていた先輩が足を止めた。

「あれ...?手塚さんじゃありませんか」

足元を見て歩いていた名前はつと顔を上げ、向こうから歩いてきていた手塚と目が合うと「あ...」と思わず目を丸くしてしまった。

「名前...」

手塚の方も驚いているようだった。メールを見る暇がなかっただろうから名前が飲みに出ていることも知らなかっただろうし、何より数多の店が存在するこの東京の街でこうしてばったり顔を合わせたことには驚かざるを得ない。

「手塚さん...、プロテニスプレイヤーの手塚さん?」

今年からチームに入ったので手塚とは一緒に仕事をしていない高城が驚いたような声を上げる。「以前の企画で一緒にお仕事をさせて頂いたんですよ」と先輩が説明すると、社会人らしく挨拶をしていた。名前が近況を話していることで新しい上司が入ったという事は知っている手塚も挨拶を返している。そんな中でふいに、先輩が名前を小突きながら笑って口を開いた。

「手塚さんとはどうなんだって聞いても、名字全然話さないんすよ」

軽い言動の目立つ高城だが、ひとつのチームを任されるだけあって、頭は悪くない。今の言葉で瞬時に、手塚が名前の恋人であると分かってしまったことだろう。名前は内心で盛大に顔を顰めた。面倒なことになった。とにかくこれ以上余計なことを言われる前に移動しなければ。そう考えて皆を誘導しようとした時だった。

「――手塚さん、何してるんですか?」

手塚の後ろからふらふらと歩いて来た女性が、手塚の腕に手をかける。「中々戻って来ないから心配しちゃいましたよ」大分酔っているのか、とろんとして熱っぽい目で顔を近付け手塚を見上げている。今日手塚は跡部グループの役員と飲みに行くと言っていたのに、女性は見るからに役員ではなかった。「――・・・」冷静にならなければ、と手塚の腕にからむ女性の腕から目を逸らす――そうだ、きっとこの女性が以前話していた例の女記者なのだろう。...それにしても、密着取材というのは酒の席にまで同席するものなのだろうか?同性だからか何となくこの記者が手塚に好意を持っていることを悟って、名前はぱちぱちと瞬きをした。

「――・・・」

瞠目する名前に気付いた手塚は成田の腕を解きながら口を開きかけたが、「名字、そろそろいくぞ」「手塚さん、行きましょう」名前は高城に、手塚は成田にそれぞれ引っ張られてしまう。手塚は成田の行為に僅かに眉を潜めたが、仕方ないといった表情をすると「...名前、後で電話する」と言って成田と共に歩き去った。手塚の背中を目で追う名前の横顔を、高城が見ていた。


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