ジンライム ”色あせぬ恋”



お酒の席での跡部の言葉は本気だったらしく、パーティの招待状が届いた。企画で関わっているからということで会社から上司の箕島と担当の先輩と名前の三人が出席することになったのだが、その企画がそろそろ大詰めの時期とあって忙しく、仕事場からの直行となった。ので、名前はスーツのままインナーやアクセサリー、化粧を少し華やかなものに変え髪をアップにした格好である。

「普段より大人らしくなったじゃねえか」

クロークで荷物を預けて会場に入り跡部に挨拶をして談笑していると、彼は慣れた人物にしか見せない表情をして名前を眺めた。「普段は同い年とは思えねえ童顔なのにな。いつもそんな格好の方がいいんじゃねえか」「余計なお世話だよ」少し拗ねたように言い返すと跡部は「拗ねんなよ」と喉を鳴らして笑った。

「そろそろ行くか」

手塚がちょうど跡部グループのお偉い方と話をしていたので、待っていたのだ。先日の出来事のこともあって名前は何となく変な緊張を感じながら、跡部や箕島の後ろを着いて行った。

「手塚」
「跡部...ああ、箕島さん」

振り返った手塚が箕島から名前に視線を移したことでぱっと目が合って、ほんの少し間が空いた。正装した手塚の姿はやはり様になっていて、こうしている間にも会場中の女性の視線を集めている。名前も例に漏れず、思わず胸をときめかせてしまっていた。奏子の部屋で洗いざらい全てを話して自分の気持ちをはっきりさせたことでストッパーがなくなり、名前の心臓はより素直に反応するようになってしまっていた。

「そのような髪型をするのは珍しいな」

挨拶を済ませた後箕島たちが他の人と話し込んでいる隙に、手塚は名前に声をかけてきた。ちらりと見上げれば手塚の視線は名前の纏め髪やうなじに注がれていて、名前は恥ずかしさで俯いてしまう。しかし確かに、これまで仕事で顔を合わせたり仕事終わりに飲みに行ったりだったので地味な髪型ばかりだった。

「よく似合っている」
「、ありがとう」

「仕事場から直接来たのか」「うん」「忙しい中すまないな。だが、ドレス姿を見られなくて残念に思う」「っ、」「無論、その格好でも魅力的だが」名前としては先日の出来事のせいで変に緊張してしまっているのに、手塚の方は逆にそれが切っ掛けとなったのか、最早遠慮なしに真顔で口説くような言葉をかけてくる。しかも名前にしか聞こえないように耳元に唇を寄せて低い声で囁いてくるので、内心気が気ではなかった。

「あー...ええと、ありがとう。手塚くんのタキシード姿も素敵ですよ」
「言っておくが先程の言葉は世辞ではない。名字、綺麗だ」
「――っ、」
「顔が赤いな。世辞ではないと伝わったようだ」
「、もう...!」

小声で非難する名前を見て満足げにすっと背筋を伸ばした手塚は名前の大好きだった”初恋の手塚くん”とはかけ離れたような意地悪さだった――それなのに、心臓が分かり易く高鳴っていることが、囁かれた耳が熱いことが悔しい。

「手塚、そろそろ時間だ。行くぞ」

跡部が促す。手塚はこのパーティの主役なので、乾杯の挨拶があるのだ。「ああ」と短く返した手塚は再び少し背を曲げて名前の耳元に唇を寄せ、「パーティの後、空けておいてくれ」と囁いてからステージへと歩いて行った。「、!」一気に顔を赤くした名前に対して、手塚は跡部が「いちゃつき過ぎだ」と呆れ顔をするのにも顔色ひとつ変えていなかった。

「本日はお集まり頂き――」

給仕の男性からグラスを受け取っていると、マイク越しの乾杯の挨拶が始まった。手塚の戦績を褒め讃える言葉や日本へ拠点を移すことなどを聞いていると、ふと、大会に出場するために一度また日本を離れるという情報が耳に入った。そうなんだ、と名前はぼんやり思う。こうして会場の片隅から照明を受けてステージにいる手塚を見ていると、やはり彼は有名人で、自分とはほど遠いところにいる人なのだなと実感するのだった。

「名字、こちらは――」

乾杯が終わると、箕島に声をかけてきた人物を紹介されて名刺交換をしたり立食スペースで跡部主催のパーティらしい高級料理をつまんだりしてそれなりに過ごした。そんな間にも、ふと見れば手塚はたくさんの人に囲まれている。やっぱりそうだよね、と名前は内心で呟いた。学生時代から手塚国光という人は有名人で人気者で、名前は、そんな彼を密かに見つめていた。本人にも誰にも気付かれないように、ひっそりと恋をしていた。今思えば、あのくらいの距離がちょうど良かったのかも知れない。今手塚を取り囲んで擦り寄っては媚を売るような眼差しをして彼を見つめる女性たちを見て嫉妬したり、煌びやかに着飾ったドレス姿の彼女たちと色気のないスーツ姿の自分を見比べてみじめに感じたりするような距離――自分のもとへ来てほしいという欲が出てしまうような距離なんて、やはりおこがましいことなのかも知れない。

「名字、行こうか」
「はい」

パーティの締めの挨拶が終わっても、手塚はやはりまだ人に囲まれていた。箕島たちと共に跡部に挨拶を終え、最後に一度だけ手塚を見て会場を出ようとする名前を跡部が引き留めた。

「名字。いいのか」

箕島たちは首を傾げたが、跡部はまっすぐに名前を見下ろしていた。きっと彼には、手塚があの時囁いた言葉が聞こえていたのだろう。もしかしたら口の動きで分かったのかも知れない。数度瞬きをした後ふっと息をついた名前は二人に先に出てもらうように言った。「...明日だ。手塚が経つのは」箕島たちの背中を見送りながら、跡部が口を開く。

「彼奴がまた日本を発つってのはお前も聞いてただろ」
「ん...そっか」
「それだけか?冷たい奴だな」

跡部はどこまで知っているのだろう、と名前は思った。まるで全てを知っているような口ぶりだ。

「だって、また日本に戻ってくるんでしょ」
「それはそうだが」

跡部が眉を上げてそう言うのをちらりと見た後、名前は遠くにいる手塚に目をやった。相変わらず、女性たちは手塚の傍を離れたがらない。「本当にこのまま帰るつもりかよ」「...うん」手塚に会いたくないのではない。正直に言ってしまえば今すぐ手塚の傍に行きたいし、あの輪を掻き分けて絡みつく女性の腕を引き離したいと考えてしまう。手塚が後で会いたいと言ったことにときめいたし、期待してしまう自分もいる...けれど。

「先にやらなきゃいけないことがあるの。本当は分かってたのに、ずっと先延ばしにしてた」

手塚国光の隣。それは自分なんかが期待してはいけない、望んではいけないことなのかも知れない。それでも、もう、学生時代のようにひっそりと諦めることはできなかった。最早、引き返せないところまで来てしまっていた。自分の気持ちに素直でいることを既に決意してしまっているのだ、今さら釣り合わないからと身を引くことなどできない。ましてや、恋人のもとに戻ることなど――名前は手塚が好きだった。あの時諦めたつもりでいたけれど、もしかしたら本当は、想いを忘れたつもりになっていただけなのかも知れない。初恋は色あせることなく、名前の心の奥底で息を潜めていただけなのかも知れない。

「結婚の話か」

小さく数度頷いた名前に、跡部はふっと笑った。きっと大抵の女の子ならすぐにとろけてしまうような魅力的な笑い方だ。「先延ばしにするなんてやっぱりお前らしくねえと思ってたぜ」彼の洞察力はやはり、他人のそれとは一線を画している。だから跡部が何も詳しく聞かないことにも、それでいて分かりきったような顔をしていることにも、何も言うまいと名前は思った。手塚から視線を外すと、にっと笑って跡部を見上げる。

「もう迷わないよ」
「それでこそお前だ」

エレベーターに乗り込むまで見送ってくれた跡部は、最後に名前の背中を勢いづけるようにぽんと叩いた。そして、扉が閉まってからぽつりと呟く。

「やるじゃねえの、手塚」

名前にも、勿論手塚にも、跡部の呟きが届くことはなかった。





「――薄々は、分かってた。付き合ってる時も、名前の中には常に誰か別の人がいるような気がしてた」

名前の心を打ち明けた言葉に、恋人は、痛みを堪えるような笑みをしてそう言った。名前の心は軋むように痛んだが、痛がってはいけないと唇を噛んで堪えた。これで本当に良かったのだろうかと今さら揺らいでしまいそうにもなる。4年も自分の傍にいてくれた人だ、寂しくないわけがない。どうしても同情が混じってしまうのかもしれないが、純粋な寂しさもあった。

「ありがとう、」
「...っずるいよ、名前は」

込み上げる何かを堪えて笑みをつくった恋人は、「最後に、送らせてくれ」と言って、名前を家の前まで送ってくれた。そして微かに震える腕でそっと一瞬だけ名前を抱きしめると「ありがとう、」と呟いて踵を返し、それからはもう名前のことを見ることはなかった。曲がり角に消えるまで、名前は彼の背中から目を離さなかった。4年間の終わりはとても呆気なくて、自分から言い出したのに、心に穴があいたような気持ちになってしまった。自分の気持ちに素直でいるというのは、そう簡単なことではないらしい。ひどくエネルギーを消費するし、本当にこれでいいのかと不安にもなる。

「――…、」

部屋へ戻って、ベッドに身を投げ天井を見つめたまま動く気になれなかった。手塚を好きだとはっきり自覚した以上、その気持ちを持ちながら今の恋人と交際を続けるわけにはいかないし、恋人がいながら手塚のもとへ行くことも許されたことではない。だから、別れを告げた。しかし恋人にきちんと別れを告げたからと言って、「さて」なんて手塚のもとへいくのはどうなのだろう?心は決まっている。しかし、時間が必要だ。手塚は今日、日本を発つ。


ジンライム:ジンをベースにした、スタンダードカクテルの名作。こちらはオン・ザ・ロックのスタイルだが、シェイクするとギムレットになる。カクテル言葉は”色あせぬ恋”。

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