メリー・ウィドウ ”もう一度素敵な恋を”/1



あれから、名前は脇目もふらずひたすら仕事に打ち込む日々を送っていた。パーティに出席した日から二ヶ月近くが経過していた。大会のために日本を離れた手塚とは勿論会っていなかった。...のだが、ある日箕島の口から、さも何でもないことのように告げられた。

「来週の打ち上げ、手塚選手も来てくれることになったぞ」

「ちょうど帰国するそうだ」箕島のデスクの前に立って書類の確認が終わるのを待っていた名前は思わず「え?」と素っ頓狂な声を上げてしまった。聞けば、跡部がそのように取り計らったらしい。所属選手だからといってそこまでしてくれるなんてと箕島は言っていたが、きっと跡部は、手塚と名前が再び顔を合わせる機会を作ろうと取り計らったのだろう。内心お節介だとため息をつくやら期待が渦巻いてしまうやらで、名前は「そうなんですか」と努めて何でもない顔を作った。





最初に手塚と二人で飲んだ時に訪れたバーを貸し切って、打ち上げが行われた。名前の所属するプロジェクトチームは毎回この店を使っているのでマスターとは顔見知りである。皆が「久しぶり」だとか「昨日の晩もここで飲んだのにな」なんて気さくに声をかける中、三年目とはいえ下っ端の名前はマスターを手伝ってカウンターの中で皿を出したりグラスを用意したりと動き回っていた――と、店のドアが開く。

「手塚さん」

思わずグラスを取り落としそうになる。わざわざすみませんだとかお待たせしましただとか挨拶を交わしている声が聞こえて、名前も一緒にお礼を言わなければと思うのに、どんな顔をして行けばいいのか分からず思うように体が動かなかった。この二ヶ月会いたくて仕方なかった人なのに、いざとなると緊張してしまった。

「名字、何してる?早く来い」

箕島の声にはっと顔を上げると、その先にいた手塚と目が合った。心臓がどくんと一際高鳴ったのが自分でも分かった。「名字さん、お手伝いありがとうございました」とマスターによってやんわりカウンターから追い出されると先輩たちの手で手塚の前に立たされる。「――…、」目の前に手塚が立っていて、名前をじっと見下ろしていた。

「あの...ありがとう、ございました」

それだけしか言えずに、思わず視線を落としてしまう。あんなに会いたいと思っていたのに、いざ目の前にするとこれだ。手塚はそんな名前に口を開きかけたが、何かを言う前に周りの先輩が名前と手塚にグラスを握らせて、あれよあれよと言う間に乾杯が始まってしまった。

「いやあ俺、この仕事してて手塚選手に会えるなんて思ってなかったっス!」
「この前の決勝、テレビで見てました」
「それ深夜のやつだよな?お前それで遅刻したんだろ」

酔っぱらった社員たちの言葉一つ一つにきちんと礼を述べたり返事をしたりするところはやはり手塚らしい。酒が進むと店の中はわいわいと賑やかになり、ここでも手塚はやはり人に囲まれていた。名前も最初はその談笑の輪に混ざって話を聞いていたが、どうしても手塚の視線を意識してしまい普段通り振る舞えなくなってしまって、そっと輪を離れたのだった。どうしてこうなんだろうと逃げるようになってしまった自分を情けなくおもいつつ、楽に話せるマスターや箕島とばかり話していた。手塚に背を向ける形でカウンター席に座っていたので、時折手塚が名前を見ていたことには気が付かなかった。

「タクシーが必要な方は――」

お開きの時間になっても、手塚と名前はまともに会話をする機会がないままだった。何なら名前はいつものように箕島と話し込んでしまっていた。

「箕島さんと名字はタクシー使いますか?」
「名字はどうするんだ」
「私は電車で帰ります」
「そうか。なら一台頼む」

タクシーの手配をしていた先輩に箕島が答え、二人はまた話を再開した。最後に挨拶をしたり改めて手塚に礼を述べたりした後、次の企画の話で名前が箕島にちょっとした相談をしていたのだ。が、顔を寄せて話し込むさまは傍から見れば親密そうに感じてしまう程で、それは今日ずっと名前と話す機会が掴めずにいた手塚も例外ではなかった。

「手塚さん、タクシーが到着しました」
「ああ、では――」

”箕島”という人物はここにきても、手塚が行動に出るきっかけとなった。長い脚でつかつかと名前に歩み寄るとスーツの袖から覗く細い手首を掴み、「名字。この時間は電車でも危険だ。送って行こう」と尤もらしいけれど強引な言葉を並べながら、周りが唖然とする中で目を白黒させる名前の手を引いて堂々とタクシーに乗り込んだ。それから運転手に告げたのは、名前の住所ではなく以前手塚が滞在していたホテルの名前だった。「手塚くん...?」送ると言ったのではなかったか。またあのバーにでも行くつもりなのだろうか?手塚は行き先を告げたっきり黙ったままでいる。そういえば前も同じような経緯だったと名前は思い出したが、今の手塚の横顔は何となく怒っているように見えて、とても話しかけられるような雰囲気ではなかった。


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