ジョン・コリンズ ”気さくな関係”



跡部と名前が飲みに行くと言えば”焼き鳥屋”、というのがお決まりになっていた。もはや慣れたようにおしぼりを受け取り三人分の生ビールを注文する跡部に、手塚は隠しもせず怪訝な顔をしている。

「まさか跡部が焼き鳥屋を選ぶとはな」
「ここは特別なんだよ」

跡部は運ばれてきたジョッキを取って「おら」と誤魔化すように乾杯を促した。が、乾杯を終えて一口目を飲んでも手塚はまだ跡部を見ている。「あん?別にいいだろうが、俺がこういう店に来ても」「悪いと言いたいのではないが、昔の跡部からすると意外だと思ってな」会話を聞いていた名前は、昔の跡部は絵に描いたようなお坊ちゃんだったのだろうなと察した。

「名字に初めて連れて来られてから、こいつと飲む時はここって決めてんだよ」

「俺のよく行く店は名字が行きたがらねえからな」「跡部くんが行くようなところじゃ高級すぎて愚痴も言い合えないでしょ」枝豆をぷちぷちと口の中に放り込んで、冷たいビールで流し込む。少しはガヤガヤと騒がしい方が、意外と色々話しやすかったりするのだ。

「まだ女一人でプロジェクトチームにいんのか?」
「うん。しかも後輩が入ってこないからまだ一番下」

「周りは男しかいないのか」手塚は僅かに眉を潜めたが、名前は丁度運ばれてきたサラダを受け取っていたので見ていなかった。「うん、女の人も必要だって放り込まれてね」「...そうか」「それから誰も入ってこないところを見ると、やっぱり要らなかったのかな」そう言って小さく笑った名前に、少しの間黙ってビールを流し込んでいた跡部が手塚から名前に視線を移す。「お前で足りてるってことでいんじゃねーの」「だといいんだけど」

「しかし、仕事の関係で知り合って飲み仲間になるというのは珍しいんじゃないのか」

手塚は名前がサラダを取り分けるのを見やりながら言う。確かに、一時期一緒に仕事をしただけでその後友達のようになるのは珍しいケースなのかもしれない。しかも跡部の場合は同い年とは言え天下の跡部グループの跡取りという誰もが畏れ多くなる存在だ。そんな相手と仕事で知り合ったにも拘わらず名前は跡部に対して長年の連れのようなラフさで接しているのだから大したものである。

「まあこいつとの初対面はある意味強烈だったからな...こいつ、俺が跡部景吾だと知ってて新人呼ばわりしやがったんだぜ」

おかしくてたまらないといった声色で言った跡部は喉をククッと鳴らして、当時を思い出しているようだった。前述の通り二人が出会ったのは入社一年目のことなので跡部も新入社員で間違いはないのだが、彼は幼少期――彼の祖父がまだ社長椅子に座っていたような頃だ――から会社に関わっている上に、入社した頃には既に次期専務という位置にいた。つまり名前のように正真正銘の”新人”というわけではなかった。そんな相手にも関わらず名前は、入社早々あの跡部グループと提携しての社運をかけたプロジェクトに放り込まれ余裕がなかったことや、跡部に声をかけられた時ちょうど忙しくコピー機とデスクを往復していたことで「君も新人なんだよね?お互い頑張ろうね!それじゃあこれすぐ運ばないといけないから行くね」と言い放ってしまったのだ。相手が誰かを知らないわけではなかったのに、忙しさのピークで余裕がなかった。本来ならば怒りを買っても仕方のないことなのだが、このことがきっかけで、跡部は自分相手に媚びたり身構えたりしない名前の居心地の良さを気に入って今のような関係になっていったのだった。

「も、もうその話はいいでしょ」

跡部は笑っているし手塚も笑いはしていないものの意外そうに瞬きをして名前を見ていることで恥ずかしくなった名前は、取り分けたサラダや運ばれてきた焼き鳥を引き寄せながら「それで跡部くんは最近どうなの、」と強引に話題を変えた。

「婚約者とはうまくいってるの」
「まあまあだな。ま、結婚式には二人とも呼んでやるよ」

相変わらずの物言いをした跡部がちょうど通りかかった店員を呼びとめる。「呼んでやるよ、だって」肩を竦めて苦笑するような視線を交わした手塚と名前も、跡部に続いて二杯目の酒を注文した。

「手塚は今フリーだったか?」
「そういう言い方をするならそうだな」

手塚は跡部の俗っぽい言い方に僅かに眉を寄せて頷く。「でも、意外だよね」「こいつは理想がたけーんだよ」「そんなことはない」「嘘つけ」「そうだとしても跡部くんに言われたくないよね」「そうだな」「お前ら...」ここで名前はふと二人が超のつく有名人でしかもかなりのルックスの持ち主であったことを思い出し、そんな人達と同じテーブルを囲んでいるのだと思うと不思議な感覚に陥った。かたや自分は至って平凡なOLだ。こんなに次元の違う人達と同じ空間にいてもいいのだろうか。否、光栄だと思うべきか。...しかしどうしても手塚にばかり視線や意識がいってしまうのはやはり学生時代の影響なのだろう。最近こればっかりだからいい加減にしなきゃと自分自身に少し呆れた。と、内心のことに気を取られてジョッキを持ち上げたままでいた名前を見ていたらしい手塚が、「どうかしたのか」と声をかける。「あ、ううん、何でもない」名前は誤魔化すようにビールを流し込み、ジョッキを空にした。

「手塚、こいつには長く付き合ってる恋人がいるぞ」

跡部が運ばれてきた酒を受け取りながら横目で手塚を見て言う。「...知っている」「聞いたのか?」「ああ、先日飲みに行った時にな」「二人でか?」「まあな」「ほお」「...何だ?」「いや?」何となく、二人は視線で会話しているようだった。

「それで?名字、最近その恋人とはどうなんだ」

箸を使って焼き鳥を串から外していた名前はその言葉にどきっとして思わず一瞬だけ手が止まってしまったが、誤魔化すように「どうって、普通だけど」と口角を上げた。しかしやはり、そんなもので跡部の目を誤魔化せるはずもない。

「嘘をつくな」
「――…、」

手塚が少し首を傾げるようにして無言で跡部に視線を移した拍子に、手に持っていた焼酎のロックグラスがカランと音を立てた。

「当たりだろ、一瞬視線が揺れたぜ。そんなんでこの俺を誤魔化せると思ったのか?」
「...こういう時は気付かないふりをするのがいい男だと思うけど?」
「あん?それじゃお前は何も言わねえだろうが。溜め込むな、話しちまえ」

何も言わずにサワーを飲む名前に、黙って聞いていた手塚が「名字」と口を開いた。

「俺がいるせいで話しにくいのなら席を外しても構わないが」
「っそ、そうじゃなくて」
「俺が聞いても大丈夫なのか」
「え?ああ、まあ...」
「ならば聞こう」

跡部もじっと名前を見ている。気付けば話すしかない流れになってしまっていた。仕方ないと少し息を吐きだした名前は、「...まあ、少し距離を置いてる」と白状した。

「喧嘩したのか」
「ううん」
「浮気じゃねえだろうな」
「まさか」
「じゃあ何なんだよ」
「...プロポーズ、されたの」

二人とも同じように瞠目したが、跡部の方はすぐに形の良い眉をくっと潜めた。「それが何で距離を置くことになんだよ」「うーん、不安なのかな。何となくすぐ返事をするのに迷ってね」「お前らしくもねえ。仕事の時はいつでも迷いなく思いきったことをやっちまうだろうが」確かになと思った名前は苦笑してしまう。

「そう言うな、跡部。仕事ではなく人生の重大な決断なのだからすぐに出来なくて当然だろう」

手塚はそれから、「仕事との兼ね合いもあるだろうからな」と続けた。それはプロポーズされた時にも頭に浮かんできたことだったが、名前はなぜか曖昧に頷いた。何となく咄嗟に、結婚を迷っている理由が仕事だとはっきり言いきれないような気がしたからだ。なぜだろう。今は仕事が落ちつかないからというのは本当なのに。その気があれば結婚しても仕事は続けられるはずだとどこかで分かっているからなのだろうか。なぜだろう。名前の中のどこかにもやもやとしたものが渦巻く。名前はこのまま話を続けたくないと思った。話を続けてこのもやもやの理由が分かってしまったら怖いと、この時なぜかそう思ってしまっていた。

「とにかくそんな感じだよ。答えを出さなきゃいけないけど、焦っても駄目かなってね」

これで話は終わりだというような声色で言って、グラスを傾けた。跡部はふっと息をついて「ま、溜め込むことはすんなよ」とだけ言った。手塚は何も言わなかった。名前は話題を変えようと、そんな手塚に話を振った。

「そういえば手塚くん、日本に拠点を移すって言ってたよね」
「ああ。少し先の話だがな」
「それにしても凄い活躍っぷりだね。この前の試合、テレビで見たよ」
「ありがとう」

「そうだ名字、優勝記念パーティはお前も来い」「パーティ?」聞けば、所属選手の手塚のために盛大なパーティが開かれるらしい。手塚は「相変わらずだ」と自分のためにということながら少々呆れ気味である。しかし流石は跡部グループ、豪勢なことだ。

「人前に出るのはあまり好きではないのだが」
「少しは慣れろ」
「いつも人前で試合してるのに嫌なの?」
「試合の時は集中しているからな」

話題は跡部の仕事の話や日中の撮影の話などへ移り変わってゆく。先程の話が出ることはもうなかったが、それでも何となくもやもやと心に引っかかるような感じを抱いたままで夜は更けていった。


ジョン・コリンズ:別名ウイスキー・コリンズ。伝説のバーテンダーが作った爽やかなカクテル。カクテル言葉は”気さくな関係”。

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