オーロラ ”偶然の出会い”



「おはよう名前」
「奏子。おはよう」

朝のエレベーターで、同期の奏子と一緒になった。配属先は遠い部署になってしまったが、新人研修で意気投合してからの付き合いで、忙しくない時期にはよく飲みに行く仲だ。近頃忙しくて中々会えなかったので、名前も奏子もこの偶然を喜んで自然と笑顔になった。「ねえ、名前たちのチーム次の企画でイメージキャラクターにアスリート使うんでしょ?」「そうなの?」「そうなのって、知らないの?」「次はスケジュール担当で資料作成にも関わってないから、まだ詳しいこと知らなくて」言いながら名前は、なぜチームにいる私より奏子の方が情報が早いんだろうと思った。そうなんだ、と奏子が相槌を打ったところで彼女の部署がある階に到着する。チン、と軽い音を立てて開く扉から外へ踏み出しながら振り返った奏子は、「もし本当だったら有名人に会えるね?いいなあ、それじゃまた飲み行こ」と言い残して去って行った。「うん、連絡する」と手を振った名前は、有名人ねえと大して興味を抱くこともなく、それからしばらくはその話を思い出すことはなかった。





「名字、ちょっといいか」
「はい」

上司の箕島に呼び出されて彼のデスクへ向かった名前は、「これから打ち合わせなんだが、一緒に出られるか?」という問いにきょとんとしてしまった。前回取りかかっていたものが何とか無事に終わり、次のプロジェクトに取りかかっている頃のことだった。

「はい、午後は書類整理の予定でしたので出られますが...私ですか?」

名前はスケジュール調整の担当で、本来ならば打ち合わせに顔を出す仕事はないはずである。箕島が言うに、今日の打ち合わせに出るはずだった先輩がちょっとしたトラブルで立て込んでしまい、急遽名前に出てほしいということだった。資料で読んだ企画内容は頭に入っているものの、部署内全員に資料で回っていないような、担当者同士口頭で話しあっている段階の話もあるだろう。名前はそんな中自分が代わりに行ったところでスムーズに進むのだろうかと、鞄と上着を持ち上司の半歩後ろを着いてオフィスを出ながら心配になった。

「心配いらない、今日は顔合わせと挨拶だけのようなものだ」

打ち合わせ場所に到着して先方を待つ間にも何度か資料を読み返す名前に、腕時計を確認して「もうそろそろだな」と呟いていた箕島が声をかけた。「顔合わせ、ですか」名前は資料から顔を上げる。「ああ、”イメージキャラクター”に会えるぞ。ラッキーだったかもな」先月あたりに同期の奏子が言っていた通り、今回イメージキャラクターとして日本のアスリートを起用することになっていたのだ。「...誰でした?」名前はアスリートを起用することはしっかり頭に入れていたが、肝心の”それが誰か”ということを気にしていなかった。情報の早い奏子に知られたらため息をつかれそうだと思っていたら、「お前はデキる奴なんだかヌケた奴なんだか...査定に響かせるぞ」代わりに箕島にため息をつかれてしまった。

「そ、そんな!」
「まあいきなり打ち合わせに連れてきたからな、上には黙っておいてやる」
「恐れ入ります...それで、どなたが――」

と、そこで箕島がすっと立ち上がったので名前もつられて立ち上がり、姿勢を正した。そのまま近付いて来た人物にビジネスマンらしい姿勢でしっかりと挨拶をした上司に合わせて頭を下げて顔を上げると、驚いた顔と目が合った。

「...名字、?」

「あ...、」名前も一拍遅れで首を傾げ、お互い瞠目したままで見つめ合う。まさしく偶然の出会い。マネージャーらしき人を連れて打ち合わせに現れた”イメージキャラクター”は、手塚国光だった。





「手塚選手と知り合いだったのか、名字」
「あ...はい、中学時代の同級生だったんです」

挨拶や名刺交換など大人の諸々をこなしている間にも、名前はどこかふわふわした感覚でいた。まさか起用されたアスリートというのが手塚だとは思ってもみなかったし、まさか、このような形で再会するなど夢にも思わなかった。実に不思議な感覚だ。しかし考えてみれば確かに手塚は着実に世界ランキングを上げている、日本を代表するトップアスリートの一人なのだ。

「こんな偶然があるものなんですね」

思ってもみない出来事のお陰か、打ち合わせは和やかに進行していた。手塚とマネージャーに資料を渡して詳しい企画内容やスケジュールの説明などを進めてゆく。一通り説明を終えて不明な点はないかを聞くと当然ながら手塚が手元から顔を上げ、目が合った。「――」お互い、ほんの僅かな一瞬だけ間が空いた。名前は思わずどきっとしてしまっていた。片思いしていたのは遠い昔の話で、名前には別の恋人がいて、その上今は仕事中なのに。しかし過去に好きになったことのある人というのは、いつまでも特別であったりするものだ。こればかりは仕方ないのかもしれない。ただ仕事には集中しなければと、名前は手塚やマネージャーから問われることに一つずつ丁寧に答えていった。

「ではこれで、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」

軽い打ち合わせで済んだので、箕島の言った通り心配はいらなかった。仕事モードという雰囲気がふっと緩んで、箕島と手塚のマネージャーは和やかに会話している。何とかなって良かったと安心しつつその会話を聞いていると、手塚が名前に「久しぶりだな」と声をかけた。

「久しぶり。10年ぶりだね」
「ああ。まさかこんな形で再会するとはな」
「うん、本当にびっくりした」

名前は緊張していた。学生時代の想い人だからというのはもちろん、今ではただの元同級生ではなく世界的な有名人になった人物と話をしているのだ。何となく変な感覚だった。ただ、こうしてまた会えたことを嬉しいと感じているのは間違いなかった。胸の中の奥深くに大事にしまってあるはずの懐かしい気持ちを少しだけ、思い出した気がした。ただ名前は今日偶然来ただけなので、同じ企画に携わっていてもこれからこうして顔を合わせる機会はないだろう。

「名字は撮影の日にも来るのか」
「ううん、担当の者が参ります」

世間話の途中だったが一応仕事上の話だし、と思って返事をしたら変な物言いになってしまった。「...そうか」何となく変な間が空いた。と、そんな会話に箕島が意外な形で参入してくる。

「名字も同行させます。その方がやりやすいのではありませんか」
「え?」

思わず箕島を振り返る。いいだろうと言いたげな目で見下ろしてくる箕島に名前が何かを言う前に手塚が「こういう仕事をさせてもらうのは初めてで不慣れなので、そうしていただけると助かります」と答えたので、長身な男二人によって名前の頭上で勝手に話が決まってしまった。こうして意外な再会を経て、名前は手塚と仕事をすることになったのだった。





会社に戻っても打ち合わせでの衝撃からまだどこかふわふわしていた名前に、もっと驚くべき出来事がおとずれた。というのも、その日のうちに手塚から連絡がきたのだ。定時を2時間過ぎた19時ごろになって会社を出る寸前で仕事用の携帯が鳴り、帰ろうと思っていたのに何かあったのかと少しげんなりしつつ電話に出ると相手は手塚だった。名前は驚きのあまり思わず一度携帯を耳から離してディスプレイをまじまじと見つめてしまった。

「ア――アスリートコラボ企画の件でしょうか?」

うろたえて咄嗟にそう尋ねると、『いや、そうではなくて』と返ってきた。今日会った時にも思ったのだが、中学時代より声が低くなったように感じる。しかし先程と違ってダイレクトに耳に流れ込んでくる声に、またどこか落ちつかない気持ちになってしまった。

『すまない。仕事用の携帯にかけるのはどうかと思ったんだが、これしか連絡先が分からなかったからかけさせてもらった』
「うん...?」
『その、』

折角久しぶりに会ったんだ、これから飲みにでも行かないか。そんな言葉が、あの手塚から出てくるなんて。中学時代はお堅くて真面目な優等生を地で行っていた彼が、酒を呑もうと誘うなんて。成人して社会人になって飲酒をする機会も増えていた名前だったが、そう言えば、手塚もまた大人になっていたのだ。酒くらい呑むだろう。でもお酒を呑む手塚くんなんて想像がつかないなあ...ぼんやり考えてしまっていると、『都合が悪いか』と再び声が流れ込んできて、返事をしていなかったことに気がついた。

「っあ、ごめんごめん、今ちょうど会社を出るところだからすぐ行けるよ」

今朝目が覚めた頃、夜にはこんなことになっているなどと想像できただろうか。目を擦って確かめてしまうような偶然の再会がきっかけで、手塚と二人で会うことになってしまった。言葉にしてしまえば、偶然再会した中学の同級生と呑みに行く、と何ということはないのだが、名前にとっては意味合いが違う。何せ彼は、初恋の相手なのだ。会社のトイレで軽く化粧を直して鏡に映る自分を見た時ふと、胸をわくわくさせている自分に気付く。ちらりと、今自分が交際している恋人の顔が浮かんだ。友達の男性と二人で会うことを恋人は許してくれるが、この場合も問題はないのだろうか。当然だ、当時好きだった人とは言え今は何ともないただの同級生なのだから...否、本当にそうだろうか?


オーロラ:その名の通り、味が移り変わってゆくのが楽しいカクテル。カクテル言葉は”偶然の出会い”。

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