ハンター ”予期せぬ出来事”



「お待たせしてごめんね、手塚くん」
「いや、俺もついさっき着いたところだ」

数時間前に10年振りの再会を果たした手塚と、夜になって再び顔を合わせている。「ここからすぐだから、歩きでいい?」「ああ、構わない」駅前で待ち合わせしたり隣同士で歩いたり、学生時代にも叶わなかったことが今こうしてひょんなことから簡単に叶ってしまっている。しつこいようだが本当に不思議なのだ。

「俺から誘っておきながら店を決めさせてしまってすまないな」
「ううん、ずっと海外にいたんだもんね」
「ああ...だが、拠点を日本へ移すことになった」
「そうなんだ。なら、またいいお店他にも教えてあげるよ」
「それは助かる」

それからは程なくして、店の前に到着した。小ぢんまりとした隠れ家的なバーだ。「いらっしゃいませ」「こんばんは」「ああ、名字さん」中に入ると客は混んでも空いてもいない丁度良い状態だった。カウンターに着くと、手塚はおしぼりで手を拭きながら下品にならない程度に店内を見た。少し暗めの間接照明に照らされた横顔はやはり当時より大人びていて、名前はぼんやりとバーカウンターが似合うなと思った。と、名前の視線に気付いた手塚が不思議そうにこちらを見たので、内心少し慌てながら取りつくろうように口を開く。

「気に入った?」
「ああ。落ちついていて良い店だな」

感心したような声色に本心からの言葉だと分かって安心した。「名字はここによく来るのか?」「うん、うちのチームの打ち上げはいつもここだから」「そうか」「それにここはお酒もだけどマスターの料理も美味しいから、忙しい時期はここで夜ご飯食べて帰ったりするの」10年の月日は名前を少しは大人にさせてくれたようで、日直で一緒になって用事の会話をするのもやっとだったのが、今では当たり障りのない返事がすらすらと出てきた。

「お待たせ致しました」

それぞれグラスを受け取って、乾杯する。目線は合わせなかった。しばらくはマスターと言葉を交わしたりちょっとした料理をつまんだりしていたが、しばらくして少しずつ酒が回ってきた頃になって、ふと手塚が言う。

「それにしても、今日は本当に驚いたな」

「こんな偶然もあるんだね」名前はシェイカーを振るうマスターから視線を戻して頷いた。「名字は、ずっと仕事で忙しくしているのか」「うん、会社でも忙しい方の部署に入っちゃったからね」「激務なのか」「激務ってほどではないけど、時期によっては泊まり込んだりすることもあるかな」「そうか...大変だな」「良く言えばやりがいがあるんだけど、正直へとへとだよ」少し愚痴のようになってしまったのを誤魔化すようにして、名前は悪戯っぽく笑って言ってみる。

「そんなことより、手塚くんの活躍っぷりはニュースで拝見しています」
「それは光栄だな」

10年という月日で、手塚もまた大人になっていた。あの手塚が名前のおどけたような声色に合わせるようにして返事をして、うすく笑ったのだ。年月を重ねたことでただ真面目なだけでなく少しやわらかくもなったのだろう。首を傾げて名前を見下ろした仕草も垢ぬけて洗練されていて、過去に特別な想いがなくてもどきっとしてしまうのが仕方ないと思えるほど魅力的だった。「それにしても、」と手塚が言葉を続けるので、名前ははっと我に帰る。

「同級生がああやって仕事をしている姿をいきなり見るのは少し不思議な感覚だな」
「あ...確かに、学生時代以来会ってないもんね」

「ああ。大学を出てすぐ今の会社に入ったのか」気持ちが浮ついていたからか、名前はこの時なぜ手塚が自分の最終学歴を知っているのかと疑問に思うことはなかった。「うん、今3年目」「なら、もうそろそろ慣れてきた頃なんじゃないか」「うーん、どうだろう。少しずつかな」曖昧に笑って二杯目のグラスを傾けた名前は、ふと手塚の視線を感じた。

「...やはり10年も経つと、変わるものだな。大人の女性らしくなった」
「え?」
「当時より大人びて綺麗になっていたから驚いた」

思わず言葉に詰まり、息を潜めてしまった。「それは...お世辞でも嬉しいかな」困ったような笑い方になってしまった。慎重な返事だった。先程手塚が柔軟な会話をすることができるようになっていると知ったので、社交辞令だと言い聞かせた。

「世辞ではない。本心だ」
「もう、手塚くんって女たらしだったっけ?」

手塚は否定したそうな顔で口を開きかけたがこれ以上言われると態度が崩れてしまいそうだったので、名前は遮るようにして言葉を続けた。「でも、私も驚いたよ。偶然会ったこともだけど、手塚くんも大人の男性らしくなってたから」もっと格好良くなった、とまでは続けられなかった。お世辞ということにして言ったとしても、本心が滲んで顔が赤くなってしまうだろうことは容易に想像できた。

「そう言えばさっきも思ったんだが、名字は俺が起用されていると事前に知っていたはずだろう。なぜ驚いていたんだ」
「あ...まあ正直に言うと、アスリートの起用は知ってたんだけど、それが誰かまではうっかり見落としてて」

白状してしまってから、仕事のできないやつだと思われただろうかと後悔した。が、隣から聞こえてきたのはくっくっと喉の奥で笑っている声だった。ぱっと見上げると喉仏が震えていて、妙に色気のある男のそれに名前は再びぱっと目を逸らす。「そ、そんなに笑わなくても...確かに打ち合わせ前まで知らなかったなんてとんでもないことだけど、そもそも私出る直前に着いて来いって言われて...」仕事の相手であるにも関わらず裏側を話してしまうほど動揺していた――「すまない、だが...やっぱり変わっていないなと思ってな」――動揺していた。だから、手塚が名前の抜けた一面を”変わっていない”と分かった理由にも、思い至らなかった。

「...名字、ひとつ聞いてもいいか」
「ん?」
「恋人はいるのか」

「――・・・、」内心ではっと、冷静になった。ここまでの自分の行動を顧みてひどく罪悪感を覚えた。自分は今、なぜどきどきと胸を高鳴らせていた?なぜ仕草ひとつで動揺していた?何を浮かれているのだ、自分には恋人がいるのに。

「...うん。手塚くん、は?」
「俺は、いないが」

「今日こうして誘って大丈夫だったのか」恋人がいるのに男と二人で飲みに行くなんて節操のない女だと思われただろうか。「困らせてしまったならすまない」「ごめんごめん、気にしないで。同級生と再会して呑みに行くって言ってあるの」待ち合わせ場所へ向かう道中で連絡を入れてあった。「...そうか」何となく、沈黙が流れた。手塚の前に、三杯目のグラスが置かれる。

「もう長いのか、恋人とは」
「4年くらい」

手塚は「長いな、」と言ってグラスを傾けた。名前は急激に酔いが醒めた気がしていた。そして、先程まで舞い上がってしまっていたのは久しぶりの再会で学生時代の懐かしい気持ちを少し思い出してしまっただけだと言い聞かせた。なんと分かりやすく浮かれてしまったのだろうと恥ずかしくなった。もういい大人なんだからと、取り繕うような笑顔をはりつけた。

「手塚くんに恋人がいないなんて信じられないな。モテるでしょ」
「いや、そんなことはない」
「でも、学生時代よりすごく格好良くなってるし」

今ならすらすらと言えた。その言葉に一度瞬きをした手塚がまたうすく笑って「お世辞でも嬉しい、だな」と返し、名前が「本心なのに」と返す。先程の会話と同じだったが、心の中はまるで違っていた。浮かれてはいけない。期待などもってのほか――と、そんな何とも言えない雰囲気の中、名前の仕事用の携帯が震えた。「あ...会社からだ。ごめん、ちょっと出てきてもいい?」「ああ、構わない」外に出て通話すると、薄々予想していた通りの内容――つまり残業の”お誘い”――だった。この場を終わらせてしまうのが名残惜しいという気持ちはどうしてもちらついてしまったが、これ以上浮ついた気持ちになってしまわないようにするには丁度良かった。丁度良かったのだ。

「ごめんね手塚くん、これから会社に戻らないといけなくなっちゃったの」
「こんな時間にか」

怒っているのでも気分を害しているのでもなく、唯々心配しているのだと分かる目で見返された。「まあすぐ済むと思うんだけどね」するりと視線を外して、事も無げに「本当にごめんね。今日はありがとう、会えて嬉しかった。良かったらまた行こうね」なんてするすると言葉を紡ぐ。

「また誘ってもいいのか」
「、もちろん。それじゃあ――」
「名字。先程かけた番号が俺の携帯番号だ」

良ければ私用の携帯からそこに一度連絡をくれ、と手塚は続けた。つまり、名前の個人的な携帯番号を教えてほしいと、手塚は言うのだ。今日は予期せぬ出来事の連続で、もうキャパオーバーになってしまいそうだった。名前は「後で、する」としか、言えなかった。

「ああ。では、気を付けて」
「ありがとう、手塚くんも」

先程から何度もいけないと自分に言い聞かせているのに、”また”という言葉に、連絡先がほしいという言葉に、やはり浮かれてしまいそうになる。そんな名前には、少しひんやりした外の空気がちょうど良かった。酔いも、この心も、夜風に撫でられて醒めてしまえ。醒めてしまえ。そんなことを願いながら、名前は火照りを振り切るようにしてタクシーに乗り込んだ。


ハンター:勿論、”都会の夜の”ハンター。ライ・ウイスキーとチェリー・ブランデーのみというシンプルさながら、度数は高い。カクテル言葉は”予期せぬ出来事”。

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