約束の土曜日



「では今週の土曜日、11時に待ち合わせるとしよう」

柳と二人で出かけることになった事の発端はこうだ。栞乃の叔父がやっている劇団の舞台のチケットを、志乃が練習の日に持ってきた。プロの演技を見て、顔合わせの日の宣言通り人一倍努力している名前の参考になればと考えたのだ。「でもね、今週末だから私行けないのよ」「そう言えばのんちゃん、週末デートって言っ――むぐ」「声が大きいったら」「ごめん」さらに柳生もその日は親戚の家に行く予定があるらしく、名前はそれなら一人でと考えていたのだが、二人は名前を一人で行かせるわけにはいかないと言う。そこで栞乃がふいに声をかけたのが、通りかかった柳だった。

「柳くん、今週の日曜日は空いてるかしら?」

名前がぎょっとしたのは言うまでもなかったが、事情を知った柳が「俺で良ければ」と頷いた。こうして、名前は柳と二人で舞台を観に行くことになったのだった。





着る服でこんなに悩んだのも、朝からそわそわするのも初めてのことだった。「名前様、約束のお時間に遅れてしまいますよ」結局は、クロゼットから服を出しては首を傾げて次を取り出すのを繰り返して部屋を散らかす名前を見かねた執事の田中が、今日の服を決めたのだった。出発前になってもまだ落ち着かない様子でスカートの丈や靴のかかとを気にする名前に、田中は何かを考えているような、微笑ましげな表情をする。

「お嬢様、心配なさらずともよく似合っておりますよ。では、お気をつけて行ってらっしゃいませ」

緊張しているのか不安げな顔をしていた名前だったが、最後は神妙な面持ちで家を出て行った。名前が今日柳と出かけるということを知っているのは、執事の田中と、屋敷で働くメイド達のみである。本来ならば宇佐見家の大切な末っ子長女を許婚でない異性と、しかも送迎もなしに――これは名前の希望だった――外へ出すとなれば主人の許しを貰わなければならないのだが、過保護すぎる父や兄からは許しなど貰えるはずもない。しかし名前がこのようなことを言い出すのは初めてのことで、外出したいと相談してきた時の表情は今までに見たこともないようなもので――恐らく本人の自覚はまだないが――彼女の閉じこもりがちだった幼少期や家柄のせいで色々なことを我慢してきたことを思えば、その願いを無下にすることなど田中には到底できないことだった。そこで、メイド達と口裏を合わせることにしたのである。生まれた時から人生や伴侶が決められていることや自由が少ないことなどを不憫に思っていたのか、彼女たちは協力的だった。つまり彼らもまた彼らなりに、名前を可愛がっているのだ。





「宇佐見」

時計台の傍に柳が立っているのを見つけてどう声をかけようかと一瞬戸惑ったが、柳はすぐにこちらに気付いて歩み寄ってきた。「あ――こ、こんにちは。ごめん、待った?」「いや、今来たところだ」「そっか、」緊張する名前に、柳は形の良い眉を少し下げた。

「そう固くなるな。緊張しているのか」
「ごめん・・・だって、こういうの初めてで」

「初めて、か。俺も同じだ」「本当に?」「ああ」頷きながらも柳は相変わらず涼しげな顔をしていて、とてもそうは見えない。「余裕そうに見えるけどな・・・」少し拗ねたように視線を逸らした名前に柳はふっと表情を緩めて、「では行こうか」と言って歩き出した。

「蝉が鳴いてるね」
「ああ。あれは油蝉だな」

やはりまだ、沈黙を気まずいと感じてしまう。何か話さなくてはと考えた名前の口から出てきたのは会話を広げようもない言葉だったが、柳はすぐに応えてくれた。彼と知り合ったばかりの頃は失礼ながらも少々お堅い印象を持っていたのだが、最近になって意外と下らないことでも乗ってくれるようなユーモアのある人物なのだと知った。あの頃は、まさかこうして二人きりで出かける日がくるとは夢にも思っていなかった――これは単なる成り行きで、”演劇のための勉強をする”という名目なのだが。

「あそこに見えるビルだな」
「うん」

しかし、偶然助けてもらったあの日に知り合って、偶然演劇で一緒になって、偶然二人で出かけることになったのだ。先日これまた偶然二人で帰った時のように名前の歩調に合わせて半歩前をゆっくり歩いている柳の背中を見ると、何となく不思議な感覚がした。しつこいようだが、柳とは”偶然”ばかりなのだ。もしその偶然が起きなければ、こうはなっていなかった。改めて考えるとやはり不思議だと思いつつ再び柳を見ると、何となく、心臓が落ち着かない感じがした。そっと胸に手を当ててみれば、どきどきしている。引退試合で柳がテニスをしている姿を初めて見た時にもどきどきしたが、今回は、少しラフなシャツに細身のパンツという私服姿を初めて見たからだろうか。それとも、周りに同級生が誰もいない二人きりの状況だからだろうか。





「やはりプロの演技は引き込まれるものがあるな」
「うん。なんだか圧倒されちゃったね」

舞台がちょうど正午開演だったので、二人は昼過ぎになって遅めの昼食を取るために近くの小さなレストランに入った。今しがた観劇した舞台に感銘を受け、あそこがああだった、あのシーンがあんなふうにできれば、と話が弾む。学生劇だとしても見てもらう以上もっと頑張らなくてはと気合を入れ直す良い機会にもなり、栞乃のくれたチケットはとても実のあるものになった。

「お待たせ致しました」

注文したランチセットが運ばれてくる。「柳くんは和食の方が好きなの?」「ああ、どちらかと言えばそうだな」気付けば名前は、朝からあれほど緊張していたのが嘘のようにリラックスしているのだった。顔を合わせてから時間が経っていることや同じ舞台を見て気持ちを共有したからだろうか――それだけだろうか?名前は、跡部や柳生ではない異性とはなかなか自然に接することができないでいた。それなのに今何となく居心地がいいのは、相手が柳だからなのかもしれない。やはり、とても不思議な感覚だった。

「そういえばここに来る前の通りが賑やかだったけど、何かあるのかな?」
「広場に屋台やステージが見えたから何かのイベントだろうな」

屋台ということはお祭りかな、と名前は思わず小さく顔を輝かせた。たくさんの人で賑わう祭りなどは名前が行きたくても参加させてもらえなかったイベントの最たるもので、その分だけ憧れも大きいのだ。名前の様子に、柳は少し考える素振りをした。

「小さいイベントだろうが・・・この後時間があるなら少し覗いてみるか」
「え?」
「宇佐見が良ければ、だが」
「、いいの?」
「ああ。顔に”行きたい”と書いてある」

「な・・・」子どもっぽいと思われただろうか。顔の赤くなったのを誤魔化すように食後の緑茶を飲んだ名前だったが、ちらりと見れば柳が少しからかいを含んだような笑みをしていて、ますます頬が熱くなるのだった。


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