1.日常
私は、
誰にも内緒で、
焔(ほむら)色の目をした男を閉じ込めていた。
名を、オライオンといった。
Beautiful Nightmare
「─我らは、主のはからいと五柱の神のおこないに日々感謝を捧げ…」
「あー、あー、えいちとひかりの…おーる、おーる…」
「オールスパーク」
「あ、うんそうだ。おーるすぱーく!おーるすぱーくをみらいえい…えい…」
「未来永劫讃えてゆくことをここに誓い…」
懸命に記憶の海を泳いで言葉を拾い集めてくる少年にレイラは微笑んだ。太陽の光で輪をかけた柔らかくて細い銀色の彼の髪を撫でる。
「ここまでにしようか、フレンジー」
フレンジー、と呼ばれた少年は立ち上がり、首がちぎれるんじゃなかろうかというくらいぶんぶん、と頷いた。
「むつかしい言葉でやんのはやだ。おれ、いつもやってくれる話のほうが好きだ」
磨かれた朽葉色をした木目調の床に体育座りして聞いていた他の子供たちも、そうだ、やだー、と賛同して騒ぎ出す。
聖プライマス教会は、建造されて1000年と云われている由緒正しき教会だ。最深部には聖なるプライマス像が祀られている。
「じゃあ、どのお話にしようか」
フレンジーがまた素早くその場に体育座りをして、手を挙げた。
「えっとねー、だーくないとのはなし」
フレンジーはその青い目をきらきらと輝かせながらそう答えるが、まわりの子供達がまた騒ぎ出す。
「えー、ぱらでぃんのおはなしがいーよ!!」
「ふれんじー変だよー、なんでだーくないとなのー?」
「だーくないとはわるいやつなんだぞー」
口々に文句を言い出す子供達を見回した。
「みんな、ダークナイトも神様よ?フレンジーはちっとも変じゃない」
涙をたくさん溜めているフレンジーは自分の意見を貶された事で傷ついた様子で、泣くまいと膝を抱えている腕に力を入れている。
レイラはそれをちらりと見て、さらに続けた。
「いつも正義のパラディンのお話ばっかりだもんね、今日はダークナイトのお話をしようか」
ね、とフレンジーの肩に手を乗せた後、子供たちのブーイングを無視して話し出す。
「もともとダークナイトは、パラディン同様、プライマスを守る騎士だったの」
ええー、と、一部のおませな女の子達が反応した。にっこりとそれに応えて、さらにレイラは続ける。
「プライマスから闇の力を授かった騎士たちが、ダークナイト。これはこないだ話したよね」
フレンジーは再び目を輝かせながら、レイラの顔を凝視している。
「世界は、光と闇、表と裏、朝と夜、必ず対となる二面があってひとつになる。どちらかひとつではダメなの。ダークナイトの一人、メガトロンが闇を司り、パラディンの一人、プライムが光を司る。この二つの力はとても強くて…、どちらも二つでひとつ。そういう風に、プライマスがお作りになられたの」
ゆっくりとひとりひとりの顔を見て穏やかに話し出せば、子供たちは静かに聞き入る。
「けれど、強くなりすぎたの。力がありすぎて、ダークナイトたちは、創造主であるプライマスではなく自分達が頂点に立とうとしたのね。反発しあう光と闇はついに戦ってしまう。
"ああ、このままではいつか互いの身を滅ぼしてしまい、創造した全てがなくなってしまう"
そうお嘆きになったプライマスは、騎士達をはじめとする全てのスパークを作り直した。スパークで満たす魂の器を、半永久的に生き続ける鉛の体から、いつか終わりがくる生身の肉体へ変えた。限りあるものへ作り替えてしまったの。それがこの今私たちに与えられた姿」
「はんえいきゅ…」
後ろ側にいた少女がつぶやいた。
「半永久的は、ずーっとってこと」
にっこりとほほえみながら受け答えでいる背後で、聞き慣れた嗄れた声が聞こえる。
「そこまでじゃな」
しんぷさまー、と子供達が背後の老人をめざとく見つけてわらわらと集まる。よしよし、とひとりひとりの頭を撫でているこの老人は、小さな頃からお世話になっているこの教会の神父だ。
「よしよし、ああ良い子達じゃ。さぁもうすぐ太陽が沈む時間じゃぞ。お帰り。さぁ」
小さな子供達は楽しそうに、教会の入口へ走り出した。それを曲がった腰を押さえながら見つめる神父の横顔を眺めた。
「いやぁすまんな、お陰で時間を気にせず参加できたわい」
そう言ってレイラを見つめ返した神父は、改めて微笑んだ。
「戴冠式はもう終わったんですか?」
「ああ、おかげでな。見事じゃったよ。我が子の晴れ姿を見た気分じゃな」
そう言って目を細めた神父に微笑みを返す。
「オプティマスもお前に会いたかろうに」
今日は幼なじみのオプティマスが、国の象徴であるマトリクスを授かる日だった。オプティマスとは、この教会が提携する施設でともに育った。年は少し離れていて、他にもたくさんの幼なじみがいるなかで、オプティマスは自分を妹のように可愛がってくれた。
「ずいぶんと遠い存在になった気がします。ただ名前のおしりにプライムが付いただけなのに」
そう言ってため息をつくと、神父は呵々と笑った。
「そう考えるうちはまだ距離は近い。やつも同じように思っとるじゃろ。他の輩はめっきり顔を見せんがのう」
長椅子を整え始めた神父に気づき、それを慌てて補助した。
「おぉ、すまんの」
「アイアンハイドは…結局陸軍に配属されたみたいです、こないだ電話しました。ジャズとバンブルビーは相変わらずうちの図書館で古代書物を漁っては、宝探しの毎日みたいで」
幼なじみ達の近況を話せば、ふむ、とにこやかに神父は頷く。
「ラチェットは来ておる、時々礼拝にな」
「あ、ラチェットの所行かなくちゃ」
「何じゃお前、どこか悪いのか」
振り向いた神父に慌てて首を振る。
「あ、いいえ、最近なぜか眠れなくて。安定剤を処方してもらってるだけです」
そうか、と神父が静かに言い終わると、日は沈みきってしまって、プライマスの像が光っているのが目立ち始める。レイラはバッグを持ち直した。
神父は、いく数多の物事を見てきたであろうその蒼い目を、まっすぐにレイラに向ける。
「何か…悩みがあるのかな?」
その全てを見抜くような瞳に射抜かれそうになりながらも、レイラはつとめて明るく答えた。ちょっと焦ってしまって、声が裏がえりそうになった。
「何にも」
少し下がってしまった眼鏡を慣れた手付きで少しだけ押し上げた神父が、プライマス像を見上げる。
それにつられてレイラも、プライマス像を眺めた。柔らかい光を放っていて幻想的だ。青い翼は大きく、夢で見たようなぬくもりを感じる。
「私、図書館に戻りますね」
「おお、そうじゃ、お主ラチェットに会うならこれを頼まれてくれんかの」
何かを思い出した神父が、古ぼけたバターの箱のような本を懐から出して、レイラに手渡した。
「小さいけど分厚いですね、何の本ですか?」
「ふむ、大昔の医学書を欲しがっておってな」
レイラは手に持った本を眺めた。タイトルからして、何を書いてあるのかわからなかった。
「あ、でも私今日は今から図書館に戻らないと…コートを忘れちゃって。明日でもいいですか?」
腕時計の針は、6時半を差している。
「かまわんよ、急ぎじゃないと言っておったからな」
神父にお辞儀をすると、またきます、と笑顔で答えた。出口へ歩き出す。
背後で呼び止められた。
「レイラ」
踵を返さず振り向くと、穏やかな神父の声は教会じゅうにこだました。
「不安は不安を呼ぶ。嘘は嘘を呼ぶ。良薬も度を超すと毒じゃからな。内には溜めん事じゃ。お主にプライマスの加護があらんことを」
嗄れていて、聞き慣れたいつもの優しい声。神に仕える人はみんなこうなのかな、と思える絶対の安心感はレイラの心をあたためた。踵を返し、出来るだけ丁寧に礼を返した。
「お気遣い感謝します、アルファートリン神父」
図書館は閉館前で、閑散としている。
「お前もサボる事あるんだな」
入口の回転ドアに配属されている警備員が声をかけてきた。全身真っ黒のその制服は、この男のせいで入館を拒んでいる人達がきっとたくさんいるんだろうと思うくらい、威圧感がある。
「今日は夜勤?バリケード」
あー、と唸って頷いたこの年若い警備員は、バリケードだ。この図書館に就職が決まって、働き始めた時から此処にいる。
「煙草ないか」
「持ってない。仕事中でしょ?持っててもあげない」
「サボったのチクるぞ」
「サボってないよ、教会に聖書の読み聞かせに行ってたの。神父が留守の間。ちゃんと外出許可書も出したし」
「………早く閉館しろ、ガキどもが喧しい」
入口で中二階を見上げると、まだ帰っていない二人の子供が絵本を取り合っている。あらら、とレイラが洩らして、子供達の方へ歩み寄る。
しゃがんで目線を合わせ、二、三言葉を交わすと、子供達はにっこり笑って、ぱたぱたと出口に走ってきた。バリケードはその様子を気だるく眺める。向かってきた子供達にドアを開くと、ばいばい、こわいお兄ちゃん、と言われて更に萎える。
レイラは中二階から子供達に手を振って、ついでにバリケードにも手を振った。
二階にあがり、閉館の放送を流す。スタッフルームに入ると、同僚であるブラックアウトとマギーが、資料を整理していた。
「ごめんね、留守を任せちゃって」
「おかえりー、暇で暇で逆に疲れたわぁ」
マギーは、金色の長い髪を束ねるだけで"さまになる"典型的な美人だ。性格もさっぱりとしていて、そこがいい。
レイラは彼女が同僚で一番好きだった。
隣にいたブラックアウトは作業が終わったらしく、立ち上がりブルゾンを羽織った。
「俺はもうあがるぞ」
その言葉に手だけ挙げて応えたマギーに、ブラックアウトはひとつため息をついて、黒のニットキャップを深くかぶると、スタッフルームの扉を開けた。部屋を出る寸前、あ、と思い出してドアノブに手をかけたまま、ブラックアウトが振り返る。
「そういえばお前を尋ねてきた奴らがいた」
そう言ったブラックアウトに、レイラは首を傾げた。
「誰?」
「あー、銀髪の、いつも来る奴だ」
「誰だろ、ジャズかな」
「また調べて欲しいもんがあると言っていた」
「ジャズだ」
「また来ると言ってたぞ」
ドアノブから手を放してお疲れさん、と言って去っていったブラックアウトにお疲れ様、と明るく手を振った。マギーは疲れた様子でテーブルに突っ伏したまま、くぐもった声を放つ。
「今夜どうする?グレンの店で食べない?あたしおなかすいちゃった」
「うーん、今日は直帰しようかな」
気だるそうなマギーの提案をやんわりと断る。レイラは、今日は教会と職場である図書館を3回も往復で疲れがたっぷりとたまっていたので、気乗りがしなかった。
「そう?じゃあ私、行くわ」
断りをさほど気にした様子もなく、よいしょ、と小さく呟いてバッグを持ち立ち上がると、また明日ねという言葉とお疲れ様という言葉と、ユニセックスなパルファンの香りと、15センチヒールの心地良いこつ、こつ、という音を残して、帰っていった。
スタッフルームの椅子を綺麗にたたんで、それから、見回りをした。本棚からはみ出した絵本は子供達が居た時間を切り取ってそこに残していったような気持ちになって、毎日少しだけさみしかった。国立図書館であるこの施設は、古代書物のみならず他国の文書を集めた国内最大級の図書館だ。前館長の突然の退任で一時的に管理を任されているレイラは、就職したての時には味わえなかった、"ひとりきりの図書館"を味わうことができる(入り口には、厳つい警備員が夜通し立っているのだが)。
レイラは全ての図書室を見て回り、非常灯以外の電源を切った。
入口のバリケードに温かい缶コーヒーをおごって、よろしくーと笑って施錠した後、マフラーを巻いて、帰宅した。8時半、身を切るような寒さに耐えられず家路を急いだ。