24.光
大聖堂は城の裏門を出れば目と鼻の先にある。センチネルから許されていることは二つ。一人で大聖堂へ行くことと、パラディンを付ければ、王都の東西南北の門までなら行ってもいいということ。要は、死ぬまでに終末の日が来なければ、一生ここに居続けなければならないという事だった。終末の日を乗り越えた先に、自分の自由はあるのだ。
そのために自分は生まれたのか何のための命なのか、もう答えは出なかった。考えてもプライマスは教えてくれない。自分でその力を発動するタイミングを見計らわなければならないのだ。
──終末とは何なのか。
その答えを夢に見たのは、祭の一週間ほど前だった。
それは、この世ではないと信じたいほどの悪夢だった。
どの場所かで、その想像を絶する災禍を見ている自分は、悪魔にでもなってしまったかのような気分になった。
目の前は地獄だった。
黒の風は、月から吹くとされるこの世で一番の災厄。何を信じていても、その舌先で舐められた後、生きて帰る者は皆無に等しい。その風には熱があり冷気がある。大地をも浮かせ、渦巻きのように遠心力と引力を合わせ持ち、繰り返す波動に遺体は形を残さない。まるで月が風を使い命を捕食しているかのような恐ろしいものだった。
その悪夢も黒の風で、今までに見たことも聞いたこともないような濃度のそれは、人々が行き着く最後の悲劇なのだと確信した。至る所で吹き上げる大蛇のようにうねる炎は、たとえ太陽の側にいたとしてもその炎ほど恐ろしくはないだろうし、その炎が溶かしていく死体を盾に逃げ惑う人々でさえ、その溶け出した溶岩に飲まれ煮え死んでいく。
炎が標的を変えた後の大地は、あと何百年かかってもその毒で草花が再生しそうになかったし、その毒素が辺りの死体にまわり充満していくので、今まで辛うじて逃れてきた、本来なら幸運と呼ぶべき瀕死の人々もその毒に捕らえられ、体から綺麗な血を吹き出させて死んでゆく。
その波間で震える命は、さらに風に撫でられその体を散り散りにしていった。
王都には、何も残らなかった。
何もない瓦礫の下を這いずり回る瀕死のある人は目をやられ、両脚がない。何かを唱えているような、そうでないような何かを無表情で呟きながら、やっと目的のものを見つけた、という表情を見せた。その手が掴んだのは、真っ黒に焦げた子供のものと思われる、小さな腕だった。腕以外の体はない。
異様な軽さのその腕の周りを手で確認しながら、引きちぎられた体の先がない事に気づいたその人は、天に向かって泣き叫び、そして力尽き、その動きを止めた。
またある人は、血を吐きながら、今まで信じ続けたプライマスを罵り叫んだ。
またある人は、原型をとどめていない誰かの遺体を見つめて吐いている。
耳に直接響く無数の人々の叫び。
お前のせいだと誰かが言い、お前のせいだと、また違う声で聞こえてくる。
いや助けて!!
誰か、誰か…!!
…いやああ!!!!!
「───エイリアル!」
ハッとして目覚めた後、乱れた呼吸と、大量の汗と涙が混ざった体を、温かい体が抱き留めてくれた。
「オライオン……」
「大丈夫だ、大丈夫」
そう言われ、子供のように泣いた。大丈夫じゃなくてよかった。私は死ななければならないのだ。あのたくさんの命を守るために、私は力を解放しなくてはならない。
プライマス最後の奇跡、私の力。
そうだった。
それから毎日、その悪夢を見た。最後のその日まで。
最終的に、私は眠れなくなった。
メガトロンと再会出来なかった十年に、さらに二年の年月が積み上げられた。王都での生活にもすっかり慣れてしまい、城で働く人々と顔馴染みになり、いくらか居心地はよくなったものの、心の中はやり場のない思いでたぎっていた。
祈り続けた。
それしかできなかった。
夢の中の惨劇を口に出した事はない。悪夢にうなされて、入口を交代で守るパラディンに迷惑をかけられなかった。朝から入口で警護に当たっている兵は、今日は見たことのない青年だった。けれどもパラディンの証であるエンブレムをその甲冑に光らせる騎士は若く誇らしげだ。
話を聞くと、パラディンになりまだ4日しかたっていないとのことで、国境である城塞にはかり出されず、司令から此処で聖女様を御守りするという使命を授かりました、と誇らしく答えた。騎士団長のオライオンはいつからだったか、団長ではなく司令官と呼ばれるようになっていた。
さらに聞けば、昨日隣国が敗れ、勢力を拡大しつつある北の彼方にある国が、今夜にも王都に攻め込む可能性があるとのことで、パラディンの中でも精鋭であるバンブルビー、マイスター、アイアンハイド、そしてラチェットのオートボット部隊がオライオンと共に城塞へ向かったとのことだった。そして傭兵である機密部隊と噂されているダークナイトもかり出されたということも教えてくれた。
ダークナイトは城内で一、二度としか見たことがないがパラディンよりも重たい甲冑を纏い、甲で覆われた瞳は赤い閃光を放つのだと聞いた。いつからだったか、この国にすい星の如く現れた彼らは抜きん出た戦闘能力を持っているというのだから、きっとパラディンも大丈夫だ。
城塞は破られたりしないはず。
オライオンは大丈夫。
昨夜の彼は、そう思わせる優しさと強さを持っているように、見えた。
昨夜のことは、多分一生忘れないと思う。自分の一生が、あとどのくらいの尺なのかわからないけれど。
入口の警護をするパラディンに、少し休憩するといい、私が代わろう、と穏やかにそう言った幼なじみの声を扉の向こうに聞いたので、そっと部屋のドアを開けて覗いた。
「起きていたか」
穏やかにそう言った軽装備のオライオンは優しく微笑み、私の髪を撫でた。
「朝がきたら、ひとつ話したい事がある」
いや、ふたつか、と言い直した群青色の髪は揺れて、月の光に反射していた。
「そう言われると気になって眠れなくなるから、今教えてくれる?」
笑ってそう返せば、そうなのか?と眉が下がる。メガトロンが意地悪を言った後にする笑い方に、とてもよく似ていて懐かしくなった。
けれど部屋に入るなり笑顔が消えて、真っ直ぐに見据えてきたブルーグレイの瞳に、一瞬どきりとした。村をでた後のオライオンと再会して一番びっくりしたことの一つは、このすっかり逞しくなって大人の色香を見せつける成長ぶりにあると、切に思う。
「結構深刻な話?」
思わず口をついた言葉に、オライオンは一瞬だけ目を丸くして、それからまた穏やかな表情に戻った。
「少なくとも私にとっては、重要な話だ」
とにかく頷いた。無言で続きを言ってくれるよう促した。
「どうやらセンチネルが、プライムの継承者候補に、私を入れたらしい」
思わず、と目を丸くした。すなわち、次代の王となるということだ。子のいないセンチネルが選んだ後継者には錚々たる名が上がっている。その中に選ばれたなんて。
「きっとそうなると思ってた!きっとオライオンならいい国を作ることが出来る!」
オライオンが笑いながらゆるやかに首を振った。
「少数のパラディンでさえ纏めるのに骨が折れるのに、私につとまるか正直自信がない」
パラディンたちの前ではそう言わないだろう。これが本音なのだと思うと、本来の彼らしくてほほえましく思えた。
「ひとりで国づくりするんじゃないんだから」
真っ直ぐに捉えられ、昼間なら逸らしてしまいそうな視線を、ゆらゆらと揺れる夕焼け色をした松明だけの部屋の中で、うっすらと見えるその顔をずっと見ていられた。夜の闇に助けられた。
「あなたにはたくさんの信頼できる仲間がいるし、その人たちが支えてくれるから大丈夫よ」
そう言うと僅かにその頬が影を変えたので、微笑んだのだとわかった。
「…支えになって、くれないか」
「あ、ええ、もちろん!パラディンのように戦う力はないけれど、」
そう焦って言い掛けたのに、微笑みながらオライオンは首を振る。そうじゃないんだ、と言って続けた。
「私と、共に生きてくれないだろうか」
息をのんだ。
共に生きるなんて今更、今までも10年離れ離れになったけれど、魂はずっと、三人一緒だった。
オライオンとメガトロンと、私。
「…メガトロンが忘れられないならそれでもいい」
「─────、」
「君をずっと見てきた、誰を思っているかくらい、知っているつもりだ」
「だから君は君でいい、だが私も私でいたい。こう命を生死の瀬戸際に立たせることが多くなると、自分の中で色々な事が見えてくる。見たくないものもだ」
騎士になった彼の手は、小さな時のふわふわした感触は、なかった。
「私は君を失いたくない」
力を得てから、メガトロンを失い、結婚なんて考えてもいなかった。
私は、世界の力なのだ。
自分の為には生きられない。
「──…"事象凍結"」
「?」
「私がプライマスから授かった力。事象凍結」
オライオンが、からっぽの瞬きをする。
「時、命、物、空気、空間…。宇宙に存在するありとあらゆる事象の流れを止め、私と神であるプライマスは、その止めた事象を自由に出来る」
オライオンは絶句し、目を見開いた。
「………」
「けれど、その力を発動すると、私の命はつきる」
─一度しか使えない
「チャンスは一度きり」
「エイリアル」
「必ず力を発動させる」
「………」
「だから、共には生きられない」
覚悟しなければならない。甘えてはいられないのだ。
「…私を失って悲しむ人は少ない方がいいと思う」
結婚なんてしたら、私が死んだ後この人は、平和になっても置いてけぼりになってしまう。
「…だったら尚更、一緒にいなければ」
「…え?」
結婚する人は、人生で初めて好きになった人ではないと、誰かが言っていた事を思い出した。
「必ず、君を守る」
そう言って抱き締めるオライオンは、優しい。生きよう、という彼は優しい。プライマスが、彼に光という属性を与えたのがここにきて頷けた。彼こそが人々の希望なのだ。
私は彼を守らなくてはならない。
その夜、初めて男の人の唇の感触というものを知った。
窓の外を見下ろせば、城下町はいつも通りだ。
誰も危機だと感じていないようで、何とも言い難い苛立ちのような焦りが、胸の淵でわだかまった。