I Love You.
真夜中の雨
メールで終わった。
便利な世の中になったとはいえ、こんなやるせない気持ちになるのなら、携帯もパソコンも要らない。恋人と別れると、繋がる機械は全部捨てたくなる。どうせこんなものだ。
最初は優しくて、だんだん重たくなって、捨てられる。つまるところ、捨てられた。
「ユマ、外雨降ってるらしいよ。傘持ってきた?」
「あ、ううん…」
明るい同僚の声は、心配してくれているにもかかわらず、どん底の気分をさらに下に突き落とす気がしていらいらした。
だからといって八つ当たりは出来ない。
「迎えにきてもらおっかなー」
手鏡を睨みつけて、同僚が言う。
来てもらいなよ、それがいいそれがいい。
「あっ、ユマ!私の傘置いていってあげよっかー?」
「大丈夫だよ。すぐ止むと思うし、家近いし。平気。ありがとう」
そう?と優しく微笑んだ同僚はじゃあねと言い残して去りながらジャラジャラと大きなストラップが揺れる携帯を手慣れた手つきで開いて、電話をしながら帰っていった。
メイク直しは完璧。
時計の針は18時をさしている。辺りを見回すと殆どの人がもう既に帰っていて、煙草をくわえてけだるそうにデスクワークをする上司が一人。
いい機会だ。片付けてしまえばいいんだ。浮かれていて手がつかなかった仕事全部。昼間は集中できない。こんなに静かなら、出来そうな気がする。
集中した後時計をみると、もう20時をまわっていた。雨は止みそうにない。
「お疲れ」
背後で上司の声がした。振り向くと、帰る出で立ちの上司が笑顔で立っていた。
「あ、お疲れ様です」
笑顔を返す。
「精が出るな。まだやるのか?」
「あ、はい!でもこれが終われば...帰ります」
「そうか。あまり無理するなよ」
「ありがとうございます」
じゃあ、と言って帰っていく上司を見送って、さらに仕事を続けた。
何かをしていれば、考えなくて済む。
けれど気がついたら、21時30分になっていた。雨は、止んでいるだろうか。
「さすがに…」
帰るか。
携帯の電源を入れた。
別れると電源を切ってしまう癖がある。その間にもし電話してきたら、心配して、連絡をくれるんじゃないかって待ってるバカな自分。メールの問い合わせをした。入って来ていたのは、通販のメールマガジンだけだった。
泣きそうだ。
職場を出ると、冷たい雨は容赦なく降り続いていた。
さらに泣きそうだ。
「もう...いいや...」
雨に打たれながら、歩く。走っても歩いても、この雨じゃ一緒だ。携帯だけ濡れないように、手のひらに包んだ。
連絡があるかもしれない。
…誰から?
誰か、誰か、連れ出して欲しい。このみじめな場所から。悲しかった。
ひどい、雨だった。冷たくて、とても涙を一緒に押し流してくれるとは思えなかった。
携帯が震えている。
涙が一瞬で引っ込んだ。
雨に濡れないように開いてみる。
─JAZZ─と表示された着信には、番号もない。何なの、これ。
無心になった。空白になった。頭が、空っぽになった。ただわかるのは、望んでいた人からの電話ではない、ということだけだった。
通話ボタンを押す。
耳をハンカチで拭き取って受話器をあてた。
「…はい」
消え入るような自分の声は雨でかき消される。
『お前…凍え死にたいのか?』
少し低い、男性の声。自信がある、意志の強い声。けれど今まで聞いてきたどの男性の声とも違ったし、第一声から変な会話だった。
「は?」
間違い電話なのかな?
『──お前の後ろだ』
振り向くと、歩道の脇でライトをチカチカさせたスポーツカーはシルバーで、街灯と雨でキラキラしていた。
「………」
『──このままだと風邪引くぞ。乗れよ』
「………」
ナンパ?電話番号、なんで?
訳が分からず混乱した。
『──乗らねえのか?』
シルバーのスポーツカーは様子を見るようにゆっくり近づいてきた。
『───10秒、時間をやる』
ドアが開く。
「な、なに………」
『──………こんなチャンス、滅多にねえぞ』
何が?
『──………あと4秒だ』
「!え?ていうか、え?」
『…………』
「あ、あの」
頭の中はずっと真っ白で、しかし選択を迫られている。なぜか乗らなければならない気がした。
『い〜い選択だ』
乗った瞬間、ドアが自動的に閉まって、ロック調の音楽がカーステレオから流れ出し、スポーツカーは、物凄いスピードで走り出した。
「あーーーーー!?」
ずぶ濡れのまま、訳もわからず浮遊感に叫んだ。よくみると運転席には誰も乗っていない。
「いや!帰る!怖い!ぎゃああぁあぁ!!」
『………静かにしろ!』
聞き覚えのある声は、カーステレオから聞こえた。
「だ、だれ!?」
『ジャズ』
「は?じゃず?」
あ、JAZZって名前だったのか。
「ど、どこにいるの?」
車を遠隔操作してる人なのかな?わけがわからない。
『此処だ。待ってろ、今乾かしてやる』
温風が流れてくる。シートも温かい。
「ここって、どこ?」
『今お前が乗ってるだろ?それが俺だ。俺は今"車"に擬態している。ポンティアック・ソルスティス。なかなかいい車だ』
淡々と、しかし自信ありげに話してくるカーステレオをただ呆然を見つめた。
『…はぁ…、お前、頭悪いだろ?』
呆れた声がカーステレオから洩れた。
それは失礼だ。
「失礼だよ!ていうかなんなのさっきから拉致して急に走り出すし姿を見せなさいよさっきから通信ばっかりじゃない」
『………降りろ』
…怒らせたらしい。
「な…なによ」
『降りろ。雨も止んだ。ちょうどいい』
何が?
人通りの全くない駐車場で急ターンして、いきなりドアが開いた。からだが車の外に投げ出された。痛い思いをしながら車の方に向き直ると、スポーツカーがガチャガチャと物凄いスピードでぐちゃぐちゃになっている。
「え」
スピーディーにそれは二足歩行のロボットに変身した。もちろん、言葉を失った。
「………………」
『だから言った通りだ。お前が乗ってた車が俺だ。もういいか?』
そう言ってくるりとターンして、そばに止まっていた車にガシャリと座る。ぐしゃ、と音を立ててその車は潰れてしまった。
「あ…」
あなた…何?
『じゃあ、行くぞ。乗れよ』
またガシャガシャとみるみるうちに車に戻ったロボットを見つめる。ドアを開けて車の形をしたロボットは待っている。
「…………」
なん、何なのこれ…
恐怖、興味、好奇心、いっぺんに押し寄せる。
『どうした。この姿を見たら乗りたくなくなったか』
「え?」
『まあいい、そう簡単に理解も出来んだろう』
「………」
『お前の家の近くのようだな。もう大丈夫か、一人で』
静かに、パタリとドアが閉まる。
「………」
『なぜ泣いていたのかは知らんが』
「え?」
『人間に涙は似合わん。せっかく笑う機能があるのに』
笑う、機能...。
『…じゃあな』
エンジン音が響く。
「あっ!ま、まって」
思わず声が出た。
『……あ?まだ乗るのか』
此処ではない、どこかへ。
「……連れ出してくれるの?」
何を聞いてるんだろう。
車は、何も言わずにおもむろにドアを開いた。
『………"50年後に、あん時乗っとけば良かったって、後悔したくないだろ"?』
走り出す車は、雨に濡れたアスファルトを切りさいて、走りだした。
滑らかなスピードで。