あの時、もっとこうしてたら。もっとああしてたら…もしかしたら俺達の未来は違っていたのかもしれない。最近もっぱらそんな考えばかりが頭を支配している俺は、居心地の良いここに居すぎたのだろう。

どうしても消えてくれないあの苦しい過去や、最後まで素直になれなかったナマエへの気持ちや。あの時、もう必要ねえと捨てたはずのいろんなもんがすぐ側にあるせいなのか。今は、ここにある全てを失うのが怖い。そう思うなんざ…本当に俺らしくもねえな。

一人になるとどうしても考えてしまう。この世界は一体なんなのか。もしかしてここは俺が作り出した幻の世界なのか?はたまた、十年後のあの日々が…今まで過ごして来たあの世界こそが夢なのか。

今はそれすら分からなくなりつつあるけれど一つだけ確かなことがある。それは、きっと何もかも手離すことが出来ずにいる俺が、知る勇気も覚悟もないままここに縋りついているってことだけだ。


晋助、と。俺を見つけては嬉しそうに名前を呼んで駆け寄って来るその姿を見ると。何故だろう?無性に胸が苦しくなる。当たり前のように俺の腕に触れて笑うナマエが愛しくて堪らない筈なのに、言葉を交わせば交わすほど…笑い合えば笑い合うほど虚しくもなるのだ。

手を伸ばせば簡単に腕の中に収まってしまうだろうこの小さな身体が目の前にあるのに。未だに掻き抱くことが出来ないのは、自分の想いを伝えることが出来ないのは…きっと、頭のどこかでは理解しているからなのかもしれない。

「…ナマエ」

このままずっと、ナマエの側に。出来ることならこれから先もずっとこの女と共に在りたいと、あってはならないその気持ちが心のどこかにまだあるのが本音だ。けれど、このままじゃ駄目だと声がするのだ。このままここにいてはいけないと、まるで警告のように鳴り響くその声を俺は確かに聞いたことがある。

誰だ?そう問いかけてみても返ってくる言葉はない。だったらせめて、今は…まだもう少し。そうして耳を塞ぐことで俺はここに留まっているような気がする。



季節が蒸し暑い夏から秋へ移り変わったある日。近く大きな戦を仕掛けるという噂が流れてきたせいかアジトの空気も何だか張り詰めていた。中には不安そうな顔をする者もいて、まったく男の癖に情けねェ奴だと…ああ、そういやあの頃の俺も全く同じことを思ったっけなとぼんやりと二度目になるこの戦の行く末を思い出していた。その時だった。一瞬、チリッと左目が痛んだのは。

なんだ、ゴミでも入ったのかと何度か瞬きを繰り返すも一向に取れない痛みに腰を上げかけて、すぐ。脳裏にある記憶が過ぎりハッとした。

…そうだ、この戦だ。この戦で俺は全てを失ったんだ。

今はまだ健在の片目に手を伸ばす。

もしかしたら、もう一度会えるかもしれねェ。もしかしたら、今度は助けられるかもしれねェ。脳裏に焼き付いて離れない最後の映像にぶるりと身震いをする。

…せんせい、震えて響いたその声は誰もいない廊下に消えた。後に残ったのは小さな、期待なんだか不安なんだか分からない身体の震えだけ。



「ナマエ…おい、ナマエ」
「え?あ、ごめん!なに?」

その日は朝から突っ掛かって来た銀時のせいでイライラしながらも、目的の人物の姿を見つけた途端に全てがどうでもよくなった。考え事をしていたらしいその背中に声を掛ければハッとしたように振り向いて、俺の姿を捉えた彼女がふわりと笑う。

その反応を見て、悪くねーな、だなんて思っちまう自分はいよいよ末期なんだろうが…んなことは随分前から気付いていた。

「何ボーッとしてんだ、腹でも減ってんのか」
「な、失礼な!考え事してたの!」

洗濯機の前で一体何を考えていたというのか。何だかいつもと様子が違うような気がして、考え事だァ?とその目を見やる。すると先程の笑顔から一転、ムッと頬を膨らませてベッと舌を出して。分かりやすい位の膨れっ面を披露するもんだから何だか可笑しくなってきて。

「そうか、珍しい事もあるもんだなァ。なんだ?晩飯の事でも考えてたか」
「もうっ!違うってば!」

真っ赤な顔して否定するナマエがあまりにもいじらしくて笑えば、とんっと軽い力を込めて俺の胸を叩いて「もう!笑うな!」なんて言う。そんなことをしても痛くも痒くもないわけで、むしろなんだこいつ狙ってやってんのか?ここで押し倒してほしいのか?と思ったりもするわけで。

すると膨らませていた頬をそのままにジロリと俺を睨んだナマエに「ていうか晋助なんか用?用がないなら私行くけど?」と素っ気なく返されてようやく本来の目的を思い出した。

一刻一刻と戦の日が近付くにつれて各々仕度をし始めた今日この頃。刀の手入れをしたり、戦装束を洗ったりと様々。そんな奴らを尻目にそれは例に漏れず自分もなのだが「銀時のヤローに破かれた」とナマエに手渡したそれは先刻前のイライラの原因である白髪と言い合いの末に発展した取っ組み合いで破かれた一張羅。これがなけりゃ締まらねーっつーのに、あのクルクルパー。

「悪ィが繕ってくれ」

…そうだ、忘れもしないあの日。俺は今まさに言ったことと同じことをナマエに言った。今よりも随分とそっけない態度で、目も合わせず。だがそんな俺に対してもナマエはちっとも嫌な顔なんざ見せなかった。ただ何も言わずに受け取って、次の日の朝、綺麗に縫い合わされたそれが部屋の前に置かれていた。

そして俺は、そのままナマエに会うこともなく結局ちゃんとした礼の一つも言えねェまま戦に出て…

「わ、かった…繕っとくね」
「…どうした、お前真っ青な顔してんぞ」
「あ、ううん…大丈夫、」

しっかり直しとくね、と抱き込むようにしてその細い腕に閉じ込められた自分の羽織。明らかに無理して笑顔を浮かべるナマエに、おい本当にどうしたと言いかけてやめた。心なしか、その身体が震えているように見えたから。

「しん、すけ?」
「無理はすんな」

さらりと流れるその髪にそっと手を伸ばしていつもより少しだけ丁寧に撫でてやる。すると暫くされるがままになっていたナマエが何故か泣きそうな顔で俺を見上げてくるから。

…ああ、なんて情けねェ。自分がこんな時にどうしてやりゃいいのか分からねェような小せェ男だとは思わなかった。それでもとにかく頭を撫で続ける俺を不安気に見つめていたナマエは、一瞬でその泣きそうだった顔を隠して困ったように笑った。それは苦笑いに近いものこそすれ、作りもんなんかじゃなかったから。

「…晋助こそ、いつも無茶ばかりするんだから。その台詞、そのまんまお返しするっての」
「あァ?なんだ、急に」
「だから、お願いだから…絶対、死なないで。ちゃんとここに、私の所に帰って来て。その時にね、晋助に伝えたい事があるの。だから、」

だからこそ、驚いたのかもしれない。絶対死ぬなと、自分の元へ帰って来いと。弱々しかった筈のその顔をあっという間に必死なモンに変えてそう言ったナマエが…ああ、俺はこんなにも。

「…俺が、お前残して死ぬわけねェだろ」

自分でも重々承知している。なんとも都合の良い人間だってこと。あんなにも触れることを躊躇っていた筈なのに、心地良さの裏にどこかに虚しさを感じていた筈なのに。好きな女の一言でそんなもん全部どうでもよくなっちまうなんて。

…なァ、期待しちまってもいいだろうか。俺を見るお前の目が、他の誰を見る時より熱が込められているように感じるのも。そんなたった一言で嬉しそうに、心底安心したように微笑むのも。手に触れれば当たり前のように握り返される小さなその手を優しく包み込んで、思う。

この戦が終わったら。先生を無事助けられたら。今度はこの手を思いきり引いて、腕の中に閉じ込めてもいいだろうか。その時には、何十年と言えずにいたこの気持ちを伝えてみてもいいだろうか。

なァ、ナマエ、お前のことが好きだって。

そう言ったらお前…どんな顔するんだろうな。




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