そして、待ち構えていた筈のその日は案外簡単にやって来た。

襲い掛かってくる天人や巻き上がる噴煙。敵か味方か分からない叫び声が木霊する戦場に今俺は立っている。何十と目の前で散っていく敵から噴き出す血。それらを横目にただ前だけ見てひた走っていたあの日…とは、そう、何かが違っていた。

倒れている者は皆、敵だったもの達。全身を染めている赤黒い色は自分自身のものではない。嬉々とした表情で戦場を後にする知る顔を俺はどこか夢見心地のような気分で眺めていた。

「おい高杉?どうした、そんな所でぼうっと突っ立って。帰らんのか?」
「…いや、」

不思議そうに俺の顔を覗き込むヅラに「なんでもねェ」そう返してアジトに向かって歩き出したものの、やはり胸中を渦巻く拭い切れない何かが邪魔をして。帰り道、話し掛けてくるヅラの声がほとんど耳に入らなかった。

今はある、この目が。あの日失った筈のあの人が、何故ここには存在しない?思い出すと身の毛もよだつ…目を背けたくなるようなあの景色が。何故?

今の今まで目を背け続けてきたもの。自分の中で感じていた矛盾点。そのことに漸く気付かされたものの、何故だ何故だと思うばかりで一向に答えなんか出やしない。

ここは…一体どこなんだ?

最初はただの夢だと思っていた。自分の願望が見せる夢。俺は夢の中で、自分がやり直したかった過去をただやり直してるだけなんだと、ずっと、そう思っていた。言ってみれば只の自己満足。あの時助けられなかったあの人を、そしてナマエを。今度こそ、夢の中だけでも俺の手で…そう、思っていたのに。

味わったことのない焦燥が、孤独が、襲う。

…なあ、俺はどうすればいい?

そう言って縋りつきたい相手はきっと今も俺の帰りを一人待っているだろうに。本当は誰よりも早くあいつの元へ帰って、その身体を抱き締めてやりたいのに。どうしてか。激しい動悸と眩暈に襲われて上手く前へ進めなかった。



「高杉…ナマエがお前を探していたぞ」
「…ああ」

久々の勝ち戦に沸く仲間よりも一足遅れて帰還した俺は混乱した頭のまま、一人屋根の上で悶々としていた。夢だと思っていたこの世界について…考えれば考えるほど頭痛が酷くなっていく。されどこのまま放置しておく訳にもいかず無い頭を絞って辿り着いた結論は、もしかして俺は違う時間軸で進む所謂パラレルワールドというやつに迷い込んだのではないか?ということだった。

が、やはり結局はそこまで止まりだ。段々と自分の頭では着いていけなくなるような大きな話にそもそも打つ手なんて見つかるわけがない。

パラレルワールドに迷い込んだ、だなんて…それだけでも理解しがたいのに。ならばその世界に俺はいつ迷い込んだのか?という話にもなる。俺がここに来る前の、そう、最後の記憶は十年後の自室の布団の中だ。…益々俺がここにいる意味が分からなくなってきた。

はあ、自然と漏れ出た溜め息を溢したところで同じように疲れた顔のヅラが現れた。なんでも、俺を探しているらしいナマエに厠を覗かれて下半身をガン見されてもうお嫁に行けないとかどうとか…いや、テメェの将来像とか本当どうでもいいんだけど。

いかに自分が傷付いたかを語り出したこの下半身男の相手をすることに嫌気が差し、無視して屋根から降り掛ければ「なあ高杉」と、背後からヅラのやけに真剣な声が飛んでくる。

「なんだ」
「頼む。ナマエを、幸せにしてやってくれ」

振り返った先にいたヅラの顔が何故か、急に十年後の奴と被って見えた。

「…テメーに言われたかねーんだよ」

ふと、気付かされた。…ここにいる筈の高杉晋助がいないこと。何もかも失い、復讐に取り憑かれた"高杉晋助"がここには存在しないことに。



キョロキョロと辺りを見渡しながら前からナマエが歩いてくる。その姿を正面から見つめて、思う。そのまま行くと俺にぶつかんぞ、なんて。

「っあ、ごめんなさい」
「…」

そう思った数秒後にぶつかって来た間抜けなこの女のことをどうしようもなく好きだなんて思っちまうなんざ、ああ、本当に俺は馬鹿らしい。

気付いたら、強くその身体を抱き締めていた。不思議そうな声が腕の中から聞こえて、らしくもなく胸が締め付けられる。それでも冗談めかしたやり取りが出来たのは腕の中にいるナマエが俺の目からは幸せそうに笑っているように見えたからだ。

…俺はきっと、この世界に来なければ一生知ることもなかっただろう。今までの人生で唯一惚れた女の笑顔や、温もりや。胸に広がる苦くも甘いこの気持ちや。

「ナマエ」
「…なに」
「待たせたな」

好きだよ、ナマエ。お前のことが。

だがその言葉を続けることは、出来なかった。

「…私、待ってたよ、ずっと」
「…ああ」

俺もだ。俺も、こうしてまたお前に出会えんのをずっと待っていたのかも知れねェ。

だがここで、さよならだ。

それは何故か不思議と、閃いたように頭にあった。どうやら帰る時が来たらしい。方法なんざ分かりゃしないが、ただ、もうここでナマエに会うことは二度とないと。それだけは分かっていた。

名残惜しむように、ナマエの感触を確かめるように。最後に力強く抱き締めれば腕の中でナマエが何か言いたげに俺の名前を呼ぶ。それに少しぶっきらぼうに返事をしたのはそうしなければもう離れられねーと思ったからで。

「…おい、ナマエ?」

それでも声を掛けたのは。せっかく、これが最後と自分の中で決めていたボーダーラインを超えたのは。急に妙な胸騒ぎがしたからなのと、伺うように顔を覗き込んだ先にあるナマエの顔が、まるで…

「晋助、大好き」

そう言って笑ったナマエの目から一筋、溢れていった涙を見ていた。俺が言えなかったその言葉を、さよならの代わりに紡がれたその言葉を飲み込むように。ナマエは泣きながら、けれど笑ってその唇を俺のそれに押し付けるだけ押し付けた。

しょっぱい、涙の味がした。

と、思ったら。突然くたりと腕の中で意識を飛ばした。息はしている。けれど、もう、名前を呼んでも返事が返ってくることはないのだろう。もう、俺に笑顔を向けることもない。俺の名前を呼ぶ、あの声を聞くことはもう二度と叶わないのだろう。そう、頭では分かっていても。

「ナマエっ!…ナマエ!」

取り乱したように女の名前を呼び続けた。初めてだった。初めて、本気で惚れた女だったんだ。柄にもなく泣いてしまいそうな自分が許せなくて、強く、ただ強くナマエの身体を抱き締めた。そうしている内にどんどん片目が霞んでいく。ナマエが、世界が、色が…どんどん見えなくなっていくことに焦りを感じる。

けれど同時に妙な懐かしさを覚えた。

ああ、そうだ。これは世界を憎んでいる"高杉晋助"の見ている世界だ。




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